そんな中で、ネットニュースなどで目に付いたのが、「ほぼ皆既」月食、という表現。
「ほぼ〜」といえば、我々ギョーカイ人は、やはり「ほぼ日手帳」の糸井さんを思い出してしまう。
でも「ほぼ皆既」ってなんだか語感が不思議で心に残る。糸井さんが「ほぼ日」を使い始めた時も、ああ、やっぱり言葉の使い方がうまいなあと感心したおぼえがある。妙に心に刺さった。
(国立天文台より)
月食に戻ろう。「ほぼ皆既」とは、完全な皆既月食ではないけれど、98%が隠れるのでほぼ、という表現になっているようである。
そもそも、皆既という言葉は、子供のころから不思議であった。皆既日食という言葉を覚えた最初の頃、その言葉は、私の中では「怪奇日食」であった。だって、お日様が黒くなるのって怪奇現象みたいだから。だからそんな呼び名がついたのに違いないと思っていた。もちろん、ほどなく、怪奇でなく皆既日食、という言葉であるということは学んだ。
とはいえ、「皆既」ってあらためて見ると不思議な言葉である。皆既に?って何?
月食のニュースを見ながら気になって調べてみたら、既と言う語は、「尽きる」という意味のあることばだという。つまり、皆尽きる=全部なくなるから、完全な日食は皆既日食となるわけなのだ。へえへえへえ、である。40年くらい、あまり突っ込んで調べもしなかったことが、ニュースのおかげで調べてみようという気になってはじめてちゃんと知ることができた。
北陸地方というのは、秋から冬にかけてはすっきり晴れる日が少ない。中秋の名月といわれてもなかなか晴れてくれなかったり、しし座流星群なども、曇天で見えないことのほうが多かったように思う。
しかし、今日は、多少雲は残っていたものの、なんとか晴れてくれて、貴重な天体ショーを眺めることができた。「ほぼ皆既」は、約98%が地球の影に隠れるという。しかし、影に入って赤く染まった月の、ほんの少しだけがダイアモンドリングのように明るく黄色く輝いている様子は、なかなか風情があって、100%の皆既月食よりも魅力があるように感じた。
今日の月は、高度が低かったので、17時台の時間帯では、家並みに隠れて見えなかったが、18時3分のほぼ皆既時間前後には、美しい姿を見る事ができた。
高度の低い月の見える場所を求めて、17時過ぎから近所を歩き始めた。
「名月や池をめぐりて夜もすがら」は芭蕉の句だが、おかげで思いがけず月見の散歩を楽しむことになった。
そういえば、皆既月食と大谷選手のMVPに押されて、やや存在感が薄かった立憲民主党の党首選びが、今日本格化した。皆既月食のように影に隠れず、表舞台で、ヤジの応酬でなく、国を良くするために与党と議論を尽くす政党としてぜひ存在感を示してほしいものだ。
#部分月食 #ほほ皆既
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