SNSの投稿も、キーボードのほうが打ちやすいこともあって、圧倒的にPCを使うのだが、これも当然使えない。また、たまたまクレジットカード関係の支払い額などを確認したりするタイミングだったり、ネット銀行での振込なども使いたくても使えなかった。
ブログを書いたりするためのメモや、日記のようなものも、最近はPC内よりも、クラウドにファイルしたものに書いているので、これまた開けなかった。これも、携帯でやろうと思えば、見たり書いたりは可能なのだが、目が悪くなってからは、まとまって読んだり書いたりするのは、やはりPCのディスプレイでないとどうもやりづらい。
幸い、原稿を書いたり送ったり、ZOOM会議の予定などの仕事はちょうど予定がなかったので、誰かにご迷惑をおかけすることはなかったのが不幸中の幸いだった。
このように、ネット経由での情報コントロールに、自分がいかに依存しているのかを痛感した1日になった。原因は、プロバイダ側のサーバーのトラブルで、その日の夜に復旧した。
電気や水道と同じように、私にとってインターネットは、まさにライフラインである。特に田舎に住んでいる人間にとって、ネット環境が途絶えると何かと辛いということを痛感した。
そんなこともあって、最近は、電話番号や、一部の書き物などを手帳に書いたり、紙に出力して保存したりするようにしている。いろんなものを全部やるまでは、とうてい手が回らないけれど、友人知人の電話番号などは、今や、ほとんど携帯とPCの中にしかないかもしれないので、結構大事なことだなと思っている。
外国からのハッキングによって、プログラムを書き換えられたりということが、現実のものになっている。外国のIT企業がハッキングされたというニュースがあり、日本には関係ないだろうと思っていると、実は日本企業の大半がその会社のシステムに依存していて、実は大きな影響を受けていたということも実際に起きている。
便利な社会には、脆弱な社会も隣り合わせになっている。みずほ銀行のトラブルは、合併の頃からの各銀行のシステムを共存させながら併用していることが影響していると指摘する意見も強い。ネット社会のトラブルの陥穽は、どこにあるかわからないものだ。
今さらながら、手帳と言うツールは、良いものだなと時々パソコンの前で、昔の手帳を眺めている。
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