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2021年08月28日

美しきアスリートたち

アスリートは美しい。
鍛え上げられた肉体の美しさはもちろん、プレーをしている時には、精神力の強さが伝わってくる。その「張り」のようなものが、肉体の美と重なりあってさらなる美しさを生み出す。
パラアスリートは、身体的なハンディキャップを抱えている。手や足がない方もいたり、目が見えなかったり。しかし、どの選手も、驚くほどポジティブで、ハンディなど全く感じさせない。健常者のアスリート以上に、長年苦労してきた人生の中で、より強い精神力が形成され、さらにポジティブに高みを目指している。その姿勢が、美しさを増幅しているように感じる。
210828中西麻耶.jpg

今日は、走り幅跳びの中西麻耶選手のプレーを見た。
あるインタビュー番組で、解説者が、「彼女は、メイクも、ネイルもばっちりきめて出場しますよ」とコメントしていて、彼女自身も、「義足の美しさも含めて見てほしい」というようなことを語っていた。
今日の彼女は、ドレッドヘアーのような素敵なヘアースタイルだった。鍛え抜かれた美しい肉体とおしゃれな女性としての思い、そして優れたプロダクトデザインによって生み出された最高の義足の美しさ。それら全部に、彼女のチャーミングな笑顔が加わって、感動的な輝きを放っていた。
結果は六位だったけれど、果敢にベストプレーにチャレンジし続けた姿は、本当に美しかった。

義足も車いすも、現在では、世界トップクラスのプロダクトデザイナーと最高水準のモノづくりの技術を融合して作られている。
たまたま日本屈指のプロダクトデザイナーのひとりである山中俊治さんと2年間くらい仕事で何度かご一緒する機会があった。その頃にちょうど義足の開発をされていて、製品化されたものも世に出されていて、それをさらに磨き上げておられた。日本の競技用の義足において、山中さんのデザインワークは、今に至る義足の発展に、大きな役割を果たしていると思う。

パラスポーツは、肉体と精神とプロダクトの融合によって、さらに新しい形の強さと美しさを生み出している。

#パラリンピック  #中西麻耶

2021年08月27日

パラリンピックに感動

パラリンピックが始まり、その魅力に、日々驚かされている。
正直、これまでのオリンピックでは、パラ競技を見ることは、ほとんどなかったように思う。他国開催でのパラリンピックの場合、放送枠が少なかったということもあるが、やはり関心も低かったと思う。

今回は、放送枠も多数設定されており、様々な競技をじっくりと見る機会が増えた。
あらためて、パラアスリートの人たちのすごさに毎日感動している。
鮮やかに車いすを操る車いすラグビーやバスケットボールなど、本当に素晴らしい技の連続で、身体的ハンディキャップを全く感じさせない。

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(ヤフーニュースより)
昨日は、水泳の男子100mで、鈴木選手が、金メダル第一号を獲得したが、片腕がない体で、見事な泳ぎを見せた。そのファイトは、身体的なハンディキャップをものともしない素晴らしいもので、見ていて思わず涙が出てきてしまった。

車いすラグビーでは、車いすの見事なコントロール技術とスピードに驚かされ、今まで知らなかった新しいスポーツのようなパラスポーツならではの魅力に魅了された。
今日のオーストラリア戦では、池崎、池コンビをはじめとする日本人選手の素晴らしいプレーに心を奪われ、相手のオーストラリアのバット選手の卓越したスピードとチェアコントロール技術に目を見張り、優勝候補のオーストラリアに僅差で勝った瞬間には、思わず声を上げて椅子から立ち上がってしまった。
210827車いすバスケAUS戦.jpg
(ヤフーニュースより)

これまで、パラスポーツをこんなにしっかり見たことはなかった。そして、自分がいかにパラスポーツの世界を知らなかったかということを思い知らされた。

今回、パラリンピックを見ていて印象的なことは、やはり競技を支える人、そして道具である。
恥ずかしながら、タッパーと呼ばれる人がいることを、初めて知った。視覚障害のあるスイマーが、壁に当たらないように棒でたたいて教える人である。スイマーの微妙な距離感にあわせてたたかないと、ターンのタイミングが狂って、タイムにも影響する。スイマーとの連携の良し悪しが、メダルをも左右する。

そして、ラグビーやバスケットボール、陸上などの車いすの構造の素晴らしさと、器具としてのデザインの美しさにも感動する。
車いすラグビーで、激闘によってパンクしたタイヤをあっという間に交換する技術は、F1のピットクルーのようでもあった。

パラリンピックは、私にとって、パラスポーツの魅力をあらためて教えてくれる出会いと発見のイベントになっている。
#パラリンピック

2021年08月26日

モデルナワクチンに異物

ワクチンの接種が、高齢者から、下の年齢にも拡大し職域での接種も広がっている中で、また驚きのニュースが流れた。
モデルナのワクチンに異物が混入していたという。金属片のようだということで現在モデルナ側で調査中とのことだが、埼玉では、医師が、目視で気が付いたという。
ミリ単位の大きさの異物という報道もあったので、少なくとも注射針を通って体内に入ることはなさそうだが、ワクチンを製造するタンクなどの金属がはく離したのだろうか?
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(ヤフーニュースより)

ワクチンに異物!ということも驚きだったが、このニュースで私が印象的に感じたのが、異物混入したワクチンが、どの工場で製造したものかということや、出荷された国や地域などが、短期間でトレースできていることだ。モデルナのワクチンを接種済みの人は、ワクチン接種証明書の番号から、混入可能性のある品番のものかどうかが確認できるという。
あらためて、コンピューターによるデータ管理のシステムが、本当に進化しているということを痛感した。

野菜等に至るまで、トレーサビリティの仕組みは、すさまじい発展をとげている。バーコードやQRコードなどによるデータ管理システムは、知らない間に、暮しの中に深く静かに入り込んでいる。
携帯電話を持っている人は、自分で設定を変えない限り、位置情報が常時発信され把握されている。グーグルなどでは、「この一ケ月、こんなところに出かけましたね?」と勝手にメールでデータを送って来たりする。ここまでくるとちょっと怖くなってくる。

とはいえ、「すごいけどカンタン」なインターフェイスで、暮しが進化していることは確かだ。病院に入院すると、バーコード付きのIDリングのようなものを手首などに付けられるようになった。検査を行ったりするたびにそれを読取り、瞬時にデータは集約され共有可能となる。院内での点滴薬等の照合・確認もバーコードで管理され事故を防ぐようになっている。
読取り装置も、どんどん小さくなっていて、こんな端末あるの?と驚かされることも多い。

ITの進化は、暮しをより便利にして、進化を加速させている一方で、いつのまにか自分の情報を誰かに共有されていることの怖さも感じてしまう。メカ好きの私でもちょっとうすら寒くなる。便利な暮らしは、実は、監視社会と表裏一体でもある。
#モデルナワクチン #異物混入





2021年08月25日

ラムネと地球の歩き方と

数日前、コロナウィルスによって、特需になっているものと苦境に陥っているものについて書いた。
今、ラムネが苦境に陥っているという。我々60代なら誰でも知っているビー玉の入ったあの飲み物である。飲み終わってカラカラとビー玉の音がするのが楽しかった。
なんと、かつては、ラムネの会社が2300社もあったそうだが、今は、100分の一にまで減ったという。もともと需要は減っていたようだが、コロナウィルスによって夏のイベントが激減して、ラムネもあおりをくらったのだという。このままでは、ラムネが消えてしまう可能性もあるという。それは文化の喪失でもあり、ちょっと寂しい話である。
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(写真は、日本最古のラムネと言われている長崎のもの(長崎・ジョイフルサンより))

そして、もうひとつ、旅行情報本の代表格であった「地球の歩き方」が、ピンチだという。
我々の世代にとっては、自分で旅をする海外旅行の幕開けを告げる時代のバイブルのような本であった。
それが、コロナウィルスによって、実に9割減にまで陥っているという。
新しい情報を収集する活動もしにくくなっていて、旅行需要のおちこみと共に、減少に拍車がかかっているようだ。

これまでも大きな影響を受け続けている飲食業界では、100年以上続いた老舗の名店が、日本中で閉店に追い込まれている。このままでは、飲食文化の大きな損失になりそうで本当に悲しい事態である。

コロナ退散!の願いを込めたアマビエ様の商品は、様々に登場したが、その力も及ばず、残念ながら、未だ明かりの見えない状況が続いている。

コロナウィルスは、食文化をはじめとするさまざまな文化にまで、影を落とし始めているようだ。・・・・

2021年08月24日

家と庭と人と

この数日、実は、かねてから懸案だった裏庭の木を整理する作業に本格的に取り組んでいた。まあ、終活の一環というところか。枝を少し選定するというよりも、木を取り除くための作業に近い。

中庭は、北陸の長細い町家の真ん中にあって、家に風を通すための庭だから、小さなものだが、大昔に祖父が庭師に入ってもらって石や木を入れてかなりしっかり作ったものだと思う。その後父がほったらかしにして庭師を入れることを何十年もやっていなかったために荒れ放題になって、ヒバも松も大暴れしてしまい、正直収拾がつかなくなっている。当時の庭師が誰だったのかも、もはやわからない。大きく太くなったヒバは、毎年大量の落ち葉で雨樋いを詰まらせ、屋根に当たりそうなくらい大きくなっている。

私が実家に戻った時、中庭は、雑草が伸び放題でジャングルのようになっていた。ヒバの枝を少し切ってもらうために、植木屋さんに入ってもらったが、「ヒバも松もここまでになると、本当は切り倒してしまって、石や灯篭を楽しむためだけの庭にしたほうが良いと思います、という意見をもらったほどである。私も、その意見にはかなり心が動いたが、まだ踏み切ってはいない。

中庭の木を整理するのは先送りにして、まずは、他人も通る裏庭の木を少しだけ整理しようというのは、父の介護用に借りていたアパートから3年前に実家に戻ってきた頃から考えていた。
裏庭には、柘植とおぼしき木が植わっていたが、これも長年剪定されていなかったので、枝は暴れ放題になり、細い歩道にはみだし、単なる迷惑な木になり果てていた。父がまだ元気だった頃に、柘植を切りたいと言ってみたが、なんだか未練があるようだったのでその時は遠慮していた。今回、その木をかなり切ってみたら、本当にすっきりした。もっと早くやればよかったと実感。通りかかったご近所の方も、「思い切ってお切りになりましたね。でもすっきりしましたね」と仰っていた。きっと、見苦しいと感じておられたのだろう。

家内は、植物が好きで、庭木のことや灯篭などについて、色々意見を言ってくれる。以前は、なかなかお金もかかるし、すぐにはできないなあと思っていたが、こうして老境にいたると、庭も少しでも整理しておかないとえらいことになるということが身に沁みてくる。

日本の家と庭は、次の世代が継承してメンテしてくれることが前提で作られるものだった。しかし、家族構造が変化し、私もそうだが、実家を離れて都会で仕事をして家、そこに家庭を構えると、その前提は崩れてしまう。私の子供たちは、都会生まれの都会育ちで、この町とは縁もゆかりもない。この古い家は、私の代で終わりかな、と思っているので、私が元気な間に、少しでも軽くしていこうと思って片づけているが、まだ蔵の中のガラクタも手つかずのままだ。中庭には、大きな灯篭などががいくつかある。それが未来に継承されない場合には、少しでも取り除いておいたりしないと、子供たちがそれをやれば相当の負担になってしまう。少し壊れたものや、ヒバに押され始めて傾いたものなどは、今のうちに取り除くなどの手当が必要かもしれないと考えているが、一方で私が生まれた時から見ている庭の灯篭を取り除くことにはためらいもある。
介護にとどまらず、なにかと悩ましい日々である。

2021年08月23日

割り切れないこと

割り切れない、というのは、「十分に納得できず、気持ちがすっきりとしない。」という意味のようである。算数で、例えば10÷2=5、のようにすっきりと割り切れる数字は、気持ちもすっきりする。ところが、小数点以下に、いくつも数字が付いてくるような場合には、やはり、どうも心が落ち着かない。
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(ヤフーニュースより)

暴力事件で出場停止処分を受けていた日ハムの中田翔が、突然巨人に移籍した。しかも、移籍後すぐにゲームに出場してホームランまで打った。
私は、スポーツについては、あまり詳しくない。野球も、時々見るけれど、わからないこともいっぱいある。

日ハムから、無期限出場停止処分を受けていた選手を、突然巨人が引き受けた。まあ、それは良いだろう。しかし、無期限出場停止処分という厳しい処分だったはず。それが、突然巨人に移籍し、長島さんにも励まされ寄付もしたから、などということで?免罪符を得て、すぐにゲームに復帰した?というのは、やはり、どうも割り切れない。

無期限出場停止処分、というのは、いわば、「反省するまでしばらく出場せず、稼ぎも減るが、それも含めて反省し、しっかりと自分を見つめ直して謹慎していなさい」ということだろう。それが数日で、チームが変わり、本人も十分反省していて寄付もしたから、ファンも待っているのでゲームに復帰させよう、というのは、日ハムファンも巨人ファンも、どうも割り切れない気持ちではないだろうか。いくら長島さんをかつぎあげても、納得できない。
百歩譲って、才能のある可愛そうな選手に手を差し伸べて、巨人が引き受けた、そこまでは良いかもしれない。しかし、移籍後すぐに出場させる、というのは、やはり筋が通らない気がする。じゃあ何日たってからならいいのか?と問われると答えに窮する。(誰か本筋を教えてほしい)

横浜市長選が終わり、横浜市立大医学部の元教授で、立憲民主党の推薦を受けた山中竹春氏が、元閣僚の小此木八郎さんに約18万票ものの大差をつけて、初当選した。
これもまた、コロナ対策で、政府に対して割り切れない気持ちを持っていた横浜市民が、小此木氏でも、現職の林文子氏でもなく、政治には素人の大学の先生を選んだ。
(その選択には、個人的には割り切れない気持ちも多少感じるけれど、それはまたいずれ)

菅政権に対する国民の気持ちもまた、やはり「割り切れない」ものであろう。やることをちゃんとやってほしいという思い、コロナ拡大を懸念する国民に対して、十分な説明を尽くさずに、オリンピックを強硬開催したことなどなど、国民にとっては割りきれない思いの連続であっただろう。それが、地元横浜市長選での敗北にもつながったといえる。

中田翔は、長島さんからのエールのお蔭か、急な試合出場でも、ホームランを打って期待に応えたが、菅さんは、横浜市長選で「針のむしろ」となり、さらに衆院解散と総裁選の仕切りで、本人のアイデンティティを問われる局面にある。

ああ、この国の状況は、本当に割り切れないことばかりだ。

#中田翔 #横浜市長選

2021年08月22日

コロナ特需

コロナウィルスによって、意外な経済効果や特需のようなものがあるのではないか?と思っていた。一番シンプルに思いつくのは、ワクチンを作っている企業である。実際、ファイザーはじめ各社いずれも、ものすごい売り上げになっているようだ。
そして、検査関連の業界もかなりの需要の伸びがあっただろうなと思っていたが、今朝のTBS「がっちりマンデー」では、PCR検査キットの売り上げによって、経営危機を回避した企業も紹介されていた。

入院患者が増大し、病院は元より酸素治療の必要な自宅療養者も急増しているから、きっと酸素も足りなくなるだろうな、と思っていたら、今日のニュースで、酸素を扱っている会社の人が、5倍くらいの需要になっている気がすると語っていた。
幸い、酸素自体の製造能力は、まだまだ不足するような状況には至っていないということでほっとしたが、入れ物である酸素ボンベを増産する必要があるのではないかという関係者の発言もあった。それなら、やはり酸素不足も起こりかねないかもしれぬ。
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(ヤフーニュースより)

酸素といえば、もうひとつ、酸素飽和度を計測するオキシメーターも品薄になるだろうな、と思っていたら、自宅療養者の急増によって、これもかなり不足している状況になってきているという。
ちなみに、私は、たまたま呼吸器系の大病を患い、肺のコンディションをチェックするため、手術をしてしばらくたった時に、自分用にオキシメーターを購入し、肺炎などのチェックのためこの数年、日常的に使っていた。そのため、感染者が急増した頃に、東京の留守宅用にもネットですぐに購入し、仕事の関係で一人暮らしをしている息子にも先日送っておいたので、我が家には、現在3つのオキシメーターがある。こういう事態になり、早めに買っておいてよかったと思っている。

これ以外にも、おそらく思いがけないところで、コロナ特需となっている企業がまだまだあるのかもしれない。一方、緊急事態宣言が続き、飲食業や、ホテル、航空、鉄道などの観光関連産業は、大打撃を受け経営危機に陥っている企業も少なくない。

戦争が、新たな技術革新や特需を生み出すことが多いけれど、疫病もまた、特需につながることが多い。スペイン風邪の流行の際にも同様のことがあったようだ。
特需だけでなく、困難を乗り越えるための技術開発は、科学や産業の進歩をもたらす。
今回の場合にも、短期間に優れたワクチンが開発された。また、ウィルスに対抗する素材や、触らずに反応する非接触型の機器が色々なジャンルで増えている。こうしたことも、新たな課題解決が優れた技術開発やっ製品開発を促すことにつながったということだろう。
コロナウィルスを克服するための努力が、マイナスの影響や、特定産業の特需だけでなく、未来につながる新たな技術開発を生み出し、この脅威を克服することにもつながることを心から祈念している。

2021年08月18日

コロナウィルスの脅威

コロナウィルスの国内での感染が止まらない。いや、激増している。ついこの間、1万人を超える感染者が・・という新聞の見出しを見たと思ったが、なんと今日は、全国で2万3千人を超えたという!
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(ヤフーニュースより)

30代前後の若い方や働き盛りの40代50代の人の感染者が増えているという報道も多かったが、ここへきて気になるのが、ワクチン接種を済ませた高齢者も感染しているという話である。デルタ株は、ワクチンをもしのぐ強さがあるのではないかというのだ。ようやく2度の接種を完了して、これで久しぶりに東京の家にも帰れるかな、とほっとしていた私としては、ショックである。同じような気持ちの高齢者の方も多いのではないかと思う。

今日のテレビ番組を見ていて、さらに驚いたのが、コロナウィルスは、脳神経にダメージを与える力が今までのウィルスには見られないほど強いのだというのである。
記憶障害を起こすなど、様々な脳の機能に関わる後遺症が残る場合もあるという。感染して、治ったとしても、記憶障害や、味覚障害など様々な後遺症の症例が報告され始めているようだ。
まさに人類がこれまで出会ったことのない悪魔のようなウィルスである。

ワクチン接種がすすめば、収束のきざしも見えてくるかと思っていたが、むしろ増え続けている。とにかく、感染しないように個人個人が、精いっぱいの感染対策を続けていく以外に対策がない。治療薬の開発も、なかなか良いニュースが聞こえてこない。
今日の、私のSNSには、身近な人で感染したという話しが多くなってきたと書き込みをした人がいた。これだけの数になれば、身近に危機が迫るのも十分納得できる。

とにかく、密をさけて、できるだけ出歩かず、消毒と手洗いとマスクを徹底する以外には打つ手がない。テーブルを囲んで、親しい友人や家族と一緒に、お酒や食事を楽しむという時間は、いつになったら帰ってくるのだろうか?・・・
#コロナウィルス

2021年08月17日

動作の記憶

実家のキッチンのガスコンロが、壊れてしまった。もう10年近く使っているだろうか?温度センサーが暴走して、ちょっと使うと、「過剰加熱です!」というのを示す警告音が鳴り、火が消えて、温度が下がるまで再点火を拒む。この症状を何度も繰り返すようになった。今日は、朝から、片側が全く点火しなくなった。片側が消えると、しばらくの間、もう一方も点火しなくなるという安全構造になっているので、両方火が付かなくなる。点火用の乾電池の電圧が下がっても同様のことが起きる場合があるので、念のために電池を変えてみたが変わらない。この数か月何度か出ていた症状だったが、今日はとうとう火が付かない状態が一日中続いた。

たまたま、2013年に父の介護のために帰郷した時に、車いすを使ったり介護ベッドを入れたり、何よりも実家の古くて寒い風呂場でなく、私自身が毎日入浴など基本的な生活がしやすく、快適な気温で父の介護もしやすいということで介護用にアパートを借りたのだが、その時にアパート用にガスコンロをもうひとつ買ってあった。念のために保存しておいたそのコンロに昨日差し替えてみた。2つの火口とも快適に点火する。良かった!ほっとした。毎食ごとの調理で、点火しないことに、かなりのストレスを感じていたので、本当にほっとした。
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ただひとつ、以前のコンロは、最近のユニット型のガスレンジのように、火力をスライドレバーで調整するタイプだった。一方、今回取り換えたコンロは、昔ながらの回転式というか、ダイアルを回すタイプのものだった。火をつけたあとの火力調整で、体にしみついた横にスライドする火力調整を、無意識のうちに手がやってしまう。横にスライドする動作とダイアルを回して調整する動作の違い。
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たまたま、今日の夕方、テレビで養老先生と猫のまるの特番をやっていたが、その中で、養老先生が、「動作の記憶はとくに強く残る」というようなことを仰っていた。然り。まさにその通りで、この数年の間に私の体が覚えていた記憶は、手を横に動かす火力調節だった。実は、東京の家も数年前に、キッチンのガスユニットを交換してスライド式になっていたので、私の中の火力調節の動作の記憶は、すっかり横に動かすものになっていたのであった。
横に動かすスライドレバーの位置で、中火や弱火の火加減を記憶していたのだが、それが御破算になった。けっこう、不便な感じだが、人間のすぐれた学習能力によって、あと数日もすれば、回すタイプの火力調整が、動作の記憶に上書きされることだろう。
でも、そうなると、東京の家に帰った時に、また、戸惑うことになるのかな?やれやれ。

#動作の記憶














2021年08月16日

老人の友

父の介護をしていると、とにかく体がかゆいといって、あちこちを掻きむしる。
医師から処方されている保湿系のクリームを塗っているが、あまり効かないようだ。かきむしった傷は、身体中にある。オムツを変えている時にも掻きだすので、非常に邪魔になるが、おそらくオムツ交換の時には、本人も毎回一種の緊張感があるので、血流が変わって、痒みが増すのではないかと私は勝手に推測している。
医師によれば、長年たくさんの酒を飲んできた人は、とくに痒がる人が多いという。(本当かな?)

父にクリームを塗りながら、実は60代になってから、私もあきらかに体の痒みが増したように思う。背中を中心にあちこちがかゆい。特に夜、夕食を終えて、仕上げの水割りをちびちび飲んでいるころからどんどんかゆくなる。酒を飲むと血流や血圧が変わるわけだから、多分そのせいだろう。医者の言っているように酒飲みは、痒がるという説も、あながち嘘ではないかもしれぬ。

そんなわけで、寝る前の数時間は、定規を背中に突っ込んで掻いたりしていたが、定規ではどうにも掻きにくいし、傷もつきやすいなあ、と悩んでいた。
そんな時、昔からある伝統の道具をふと思い出した。孫の手である。
考えてみれば、孫の手とは、よくできた名前で、60歳を過ぎてから痒みがひどくなっているから、ちょうど孫ができるくらいの年齢なわけで、やはりその頃から痒みも強くなることをあらわしてるのかもしれない。そして、「妻の手」ではない。
妻の手だと、たぶん、やや大きすぎるだろう。長年連れ添っていると、多少掻き方がやさしさに欠ける場合もあるやもしれぬ。
その点、孫は素直だ。手も小さいし力も強くないから、ほどよく掻いてくれるだろう。(ちなみに、私は孫がまだいないので、あくまで想像である)
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どこに売っているかな?と考えて、もしや100円ショップにあるかも?と思って出かけてみたら、ありました!早速買って帰って、その夜使ってみたが、なかなか快適である。竹という素材は、プラスチックでは味わえないような感触がある。100円ショップのものだから、仕上げが多少荒いので、とげが刺さるかとも心配したが、今のところなかなかいい具合で、気持ちがいい。快感である。定規とは比較にならない使い心地だ。
これで孫のいない私でも、痒い所に手が届く。何故かゴムボールも付いていて、どうやらこれは、肩たたき用と思われる(他に使い方があればぜひお教えください)
かゆみと肩こり、まさに孫の手は、老人の悩みを救うマジックハンドである。
#痒み #孫の手













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