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2021年09月29日

コロナ禍の大学生活における危機

今朝のNHKラジオ「マイあさ」で、大学生協が行った調査の話題が紹介されていた。
学生生活実態調査の概要報告に基づく内容で、ラジオで取り上げていたのは、その中でもサークル活動が危機に瀕しているということにフォーカスしていた。

数日前に、マスク生活がもたらしたこと、というタイトルで、マスクによる生活変化について書いたが、大学生活も本当に大きな影響を受けていると思う。

コロナ禍での生活は、2年ほどにも及んでいる。つまり、今の大学1年生や2年生は、従来のような大学生活をまったく過ごせていないということだが、アルバイト収入等の変化や生活変化、そして心理的な変化などの実態が、この調査であらためて浮き彫りになっている。
象徴的なのが、大学生活は充実しているか?という設問に対する回答である。
210929大学生協調査.jpg
(生協調査資料より)

コロナ前までは、1年から4年までほぼ9割近くの人が、まあ充実している、充実していると回答している。ところが、今回の調査回答では、そう答えた人が、1年生では、実に60%にも満たない。2年生でも80%以下と減っている。
大学生活を充実させるものは、当然勉強すること、そしてサークルなどを通して共通の趣味や志向のある人たちと知り合って友人を作っていくことが大きな要素である。何よりも人と知り合うことの意味は、その後の人生において大きな意味をもたらしてくれる。
私自身も、授業を通して知り合った友人と、音楽サークルで知り合った友人・先輩が、大学時代の人間関係、そして今でも、大きな存在となっている。

それが、リモート授業がほとんどで、サークルの活動も実質ほとんど行われず、新入学時の勧誘活動もこの2年は、あまり行われていないようだ。サークル活動の雰囲気ややり方、伝統なども、直接会って練習したり議論したりという機会がほとんどなくなって継承されないために、仮に1~2年生が、サークルに所属していても、現在の3~4年生からそうしたことを直接対面して教わったりする機会もほとんどなくなっているわけである。そうなれば、サークルの存続自体も難しくなってきているというわけである。

また、コロナによって親御さんの仕事がうまくいかなくなったり、会社を辞めたりしていることも多くなり、学費が支払えずやむなく中退する学生も増えているという。

この数年間が、全国の大学生に与える影響は、就職といったことだけでなく、その先の日本の未来にも関わる教育における大きな問題ではないかと痛感した。しかし、具体的な打つ手を思いつけない。コロナの収束を早め、ワクチンだけでなく治療薬を開発し社会生活の復活を目指す以外に、本来的な大学生活が戻ってくる道はないだろう。

*大学生協調査資料は、こちら:https://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html

#大学生活の危機





2021年09月28日

洗濯の強い味方

父の汚れ物は、発生したらすぐに手洗いする。汚物付きのものを洗濯機に入れる気にならないためだった。そして、最近は、自分のものも手洗いすることが多い。
下着やシャツを脱いだら、その日か翌日に手洗いしてしまう。パンツ1枚とかシャツ1枚とかなので、バケツで手洗いすれば、数分で洗い終わる。あとは脱水機だけかけて干す。1〜2枚を干すのなら、これも数分で終わる。合計15分程度だろうか。

父のものは、汚物以外にはあまり汚れないので、申し訳ないが多少間をあけて、デイサービスの日にまとめて洗濯している。
こうしていると、結果として、ほとんど洗濯ものが溜まってしまうことがなくなった。その代わりに、ちょっと気が付いた時に、洗濯ものやタオルなどをどんどん洗うようになった。ちょっとした空き時間には、洗濯ばっかりしているような感じである。しかし、すきま時間で、15分程度のことなどで、あっという間に終わるから負荷を感じることはほとんどない。
洗濯カゴに、ほとんど洗濯ものが溜まらなくなったことも、精神的には非常によろしい。

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この手洗い作業での強い味方が、エリ汚れなどの部分洗いにすりこんで洗う固形石鹸である。私は「ウタマロ」という銘柄のものを使っている。というか、ドラッグストアなどを見ている限り、洗濯用の固形石鹸は、これしか見ない印象だ。特に血液と汚物の汚れにも強い。最近の洗剤で落ちない汚れが、これをこすりつけて手洗いするとどんどん落ちる。父も私も、体のかゆみがあって、ついかきむしってしまい、シャツにはしょっちゅう血がついてしまう。それもすぐに落ちるのでとても助かっている。

サイトを見てみたら、やはり60年ほどの歴史があるブランドで、もとは「花紙」(いわゆる落とし紙ですね)を作っていた会社が始めたもので、花紙以外の商品を作る必要に迫られたときに、石鹸を製造できる会社を探して提携し、花紙につけていた歌麿という名称にあやかって、ウタマロとカタカナ表記にした石鹸を売り出して現在に至っているとのことだ。
外国で受けるからそんな名前をつけたのかと思っていたが、創業者が、浮世絵版画のファンだったことが由来らしい。

ウタマロというエキゾチックな響きを思いながら、今日も私は手洗いをしている。
#ウタマロ石鹼

2021年09月27日

古刹とアート

今日は、重要文化財である伏木の勝興寺で開催されている工芸展に出かけた。
"GO FOR KOGEI"と題されたアートイベントの一環で開催されているもので、私の好きなテキスタイルデザイナーの須藤玲子さんも参加されているということもあって、見学に行きたいと思っていた。
また、本堂の半解体工事をはじめ大掛かりな修復工事も昨年末に完了してから勝興寺を訪れるのは初めてだったので、その意味でも楽しみであった。

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以前は、足場に囲まれていた建造物が多かったけれど、きれいに修復された総門を車で入り、駐車スペースに車を止めた。日差しの中で、美しく輝く金飾りが施された檜皮葺の唐門をくぐると、威風堂々たる巨大な本堂が見えた。ここも以前来た時には、工事の覆いがかかっていたような気がする。
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そもそも、文化財になるほどの寺は、空間自体がアート性を持っており、アートイベントの展示スペースとしてはぴったりといえる。

まず、エントランスで、意表を突く造形空間が出迎えてくれる。入場者は、田辺竹雲斎氏による竹を使った巨大なオブジェの中を潜り抜けていく。
竹かごのような龍のような作品は、なかなか楽しくもあった。
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そして、竹のトンネルを抜けると、楮と布で作った八田豊氏のパネル状の作品である。質感が、お寺の空間と調和している。
その向こうには、工事現場のような組み方の巨大なオブジェが待ち受けていた。
そこからは、様々な表情の布のアートがしばらく続き、渡り廊下に行くと、私のお目当ての須藤さんによる美しいテキスタイルアートが本堂へと案内してくれる。
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本堂の脇を回り込んだ後には、ざっくりとした風合いの伊藤慶二氏の陶土の作品、そして自然光だけのほの暗い空間に浮かび上がる青木千絵氏の漆を塗った巨大なオブジェが、不思議な雰囲気の世界に導いてくれる。

異空間の中でゆっくりとアートを楽しんだ数時間になった。

帰りには、これまた久しぶりに勝興寺の下にある国登録有形文化財の旧伏木測候所を訪ねた。
係りの方が、ゆっくりと解説をしてくださり、貴重な明治時代の天気図資料も、棚から出してお見せいただいた。

静かで、素晴らしいデイサービス日の半日休暇となった。

#勝興寺 #GO FOR KOGEI

2021年09月26日

ボンドが教えてくれたこと

アストンマーティンDB5,そんな車があることを知ったのは、ジェームズボンドのスパイ映画、007シリーズだった。DB5のプラモデルも作った。

マティニというカクテルがあること、そして、マティニをウオッカベースで作るヴォッカティニというものがあることや、ステアとシェイクという作り方があることを知って、カクテルブックを買いカクテルにはまったことがあった。、ワルサーPPKという拳銃のことも007が教えてくれた。

ショーンコネリーのスーツやジャケットの着こなしを見て、お洒落な男とはこういうものなのか、と漠然と感じて、洋服にも興味を持った。

映画によって、原作者であるイアンフレミングというかなり凝り性の小説家を知った。
女性を口説く時には、欧米人は、どのようにするのかということを学んだ。(おかげで、後年ずいぶんと役に立った(笑))

ショーンコネリーが、007を降りたあとの数人の俳優には、あまり魅力を感じなかった。
ただのプレイボーイ風の俳優のシリーズなど、フレミングはきっと泣いているに違いない。勝手にそう思っていた。
そして、15年ほど前に、ダニエル・クレイグのボンドシリーズがスタートした。
ゴルゴ13のようなそのストイックな雰囲気と鍛え上げられた肉体の持つ高い運動能力と、その体に似合うスーツ姿の美しさ。これぞ、007、と快哉を叫んだ。
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そのD・クレイグのボンドシリーズも、15年を経て最終作を迎える。コロナウィルスによって公開が遅れたが、クレイグだけでなく、きっとアストンマーティンもまた重要な役回りをするに違いない。

映画公開前のPRということもあって放送されていた「007スペクター」を見ながら、この作品にも、過去のシリーズに対する色々なオマージュが隠れているなあと思いつつ楽しんだ。ちょっと寂しくもあるが、クレイグの最終作”NO TIME TO DIE”を見るのが、楽しみでもある。
#007




2021年09月25日

皇室の恋

秋篠宮家の長女眞子さまのご結婚がどうやら本決まりになりそうである。
ネットニュースによれば、お相手の小室氏は、10月に予定されている結婚直前に、なんとかアメリカの法律事務所に就職が決まったようで、司法試験の合格が決定さえすれば、弁護士として働く道が開けそうだという。
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(ヤフーニュースより)

眞子さまは、支給されるはずの1億円あまりの準備金も捨てて、自分の一途な思いをまっとうしようとされている。日本の皇室ではじめて、ある意味で、ルールを超えたいばらの道かもしれない恋を選ばれた。イギリス皇室では、エドワード8世が、王位を捨てて恋の道を進んだという例があった。眞子さまのニュースを見ながらそのことを思い出していた。

秋篠宮様は、自由な考え方でお子様たちを育てられ、眞子さまも、学習院ではなくICUという個性的な大学へ進学をされた。そのことが、今回の恋の結末を招いたというやや批判的な意見や記事も散見される。そうかもしれないが、しかし、より自由で開かれた皇室のあり方が進んだ中で、こうしたことは、いずれ起こり得る時代になっていたと思う。

スキャンダルのような話もあるが、小室さんと言う方ご本人は真面目で優秀な方ではないかとも感じている。(あくまで私個人の感想であるが。)

庶民のひとりとしては、お二人の未来がお幸せなものになることを祈るばかりである。

#眞子さま

2021年09月24日

マスク生活がもたらしたこと

以前、コロナウィルスによって人と人とのふれあいが減ってしまったことで、コミュニケーション構造に変化が起きるのではないかということを書いたが、今日は、文化庁が、マスク生活によるコミュニケーションの変化について調査をしたというニュースがあった。
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話し方や態度に変化があったという人は、62.4%。声の大きさや発音に気を付けるという人がそれぞれ、70%と60%近くに及んでいる。やはり、皆さん、自分の声が聞こえにくいのではないか、ということに気を付けるようになったようである。

言葉というか話すということは、実は、声だけでなく口元を中心とする表情も重要な要素になっている。表情が伝わりにくくなり、さらに声も届きにくくなるということで、声の大きさや話し方に注意するようになった人が多いということであろう。
ちょっと興味深いのは、身振り手振りを多く使うという人が25%くらいいらっしゃるということ。やはり人は、コミュニケーション力が不足するのではないかと感じると、ジェスチャーなどで補足しようとするのだろうか。

また、ビデオ通話やオンライン会議についても調べていて、ビデオ通話やオンライン会議をしたことがある人は、46%にものぼっている。全年代を通して、実に約半分近くの方が、テレビ通話でのコミュニケーションを経験しているという。すごい。
また、年代別に見ると、60代以上でも42%が経験していると回答しているが、これはテレビ会議というよりは、おそらく家族とのスマフォなどでのビデオ通話の経験が多くをしめているのではないかと思うが、どうだろうか。

たまたま別の番組をみていたら、ろうあ者の母娘が、母親がスーパーで買い物などをする際に、相手の口元を見ることで言葉を理解していたのが、マスクによってできなくなり非常に不便を感じているのを娘さんが見て、買い物の時に少しでもコミュニケーションできるように、お母さんのために、意思疎通出来るように様々な言葉を書いたカードを作ってあげた、というものがあった。涙もろいジイサンさんは、娘さんの優しさに思わずほろりとしてしまった。

コロナウィルスが広がり、人と人とのコミュニケーションが制約されるようになってからもう2年以上が経った。この間に大学生活を送っている人は、今までの大学生活とは全く異なるものを味わっておられると思う。大学で、リアルな友達同士のコミュニケーションができない学生生活というのは、これまでのものとはとても大きな違いであると思う。
人と人が、共に学び、語り合い、笑いあい、時に涙を流し、恋をして、酒を酌み交わし、部活動などで趣味やスポーツなどの体験を共にし、そして多くの学生が、卒業から就職へと人生を歩んでいく・・・大学生活とは、そういうものであった。高校までとは異なる学生生活。それが、コロナウィルスで一変してしまった。

そして、幼稚園や小学校など、先生や友達と、まさに触れ合いながら育っていくところであるはずの場が、スキンシップをやめて、一定の距離を置きながら過ごすようになってしまっている・・・・これがどんなふうに、人間としてのコミュニケーション能力に影響を与えるのか、実はとても怖いことだと思っている。

コロナウィルスがもたらした劇的な生活変化は、はかりしれない社会損失でもある。
コロナよ、退散せよ!!

2021年09月23日

故郷への思い

全国的にはまだまだ知られていないが、高岡市には、大仏がある。実は、奈良の大仏、鎌倉の大仏と並んで日本三大仏と言われている。(諸説あります)
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(北日本新聞より)

市民にとっては、シンボルであり誇りである。子供のころから遠足などで何度も見学に行ったりしていた。高校生の頃は、学校帰りに高岡城のあった公園を抜けて大仏の前を通って駅に向かうことも多かった。彼女と一緒に散歩するデートコースでもあった。

そんな高岡大仏の「お身ぬぐい」が、23日、同市大手町の大仏寺で行われ、高岡大仏奉賛会のメンバーなど10人が、大仏の表面を拭いてきれいにしたという。ご苦労様です。

 現在の高岡大仏は高岡銅器の技術を結集し、1933年に完成した。地上約16メートル、総重量65トンという堂々たる大きさである。県外のお客様をお連れすると、皆さんビックリされる。
また、前田利長を弔うために建立された国宝瑞龍寺は、本当に美しいお寺である。
そして、海越しの立山を眺められる雨晴海岸や、氷見市など素晴らしいスポットも数多い。

きっと、市民にとってはあたりまえで、県外の人にとっては驚きの魅力というのは、実は沢山あるに違いない。それは、人生の半分が東京都民で、半分県外人である私もそう思う。年を取るにつれて、ますますその思いは強くなってきた。
なんて素敵な町に生まれたのだろう、と自分の故郷を誇りに思っている。

美しい川が数多く流れ、立山連邦のような日本を代表する山々を日々眺められる一方で、里山の美しさとその恵みも素晴らしい。魚の美味しさは、全国屈指だと思っているし、まじめで人の良い県民性も、日本トップクラスだと思っている。

大仏のニュースを見ながら、そんな故郷に生まれた幸せと歓びをあらためてかみしめている夜である。
#高岡大仏 お身ぬぐい

2021年09月22日

モーツァルトとベルモットとペペロンチーノ

昨日は、晴天に恵まれ、美しい中秋の名月を楽しむことができた。
今日は、一転して雨の水曜日になった。中庭も雨に濡れている。

考えてみたら、このブログは、食べ物を中心とした日々の何気ない暮しの風景を書き留めるつもりだったのだけど、いつの間にか、コロナのことやら政治の話題やらが入ったりしていた。今日は久しぶりに原点に帰ったテーマを書きたいと思う。タイトルは、ちょっと村上春樹か片岡義男風だけど。

介護をしながら料理をして暮らしているこの数年の間に、いちばんのお気に入りのランチは、ペペロンチーノになった。NHKの料理番組で、イタリアンのシェフが作っていたペペロンチーノを参考にしてベーコンとキャベツのペペロンチーノを作ってみたら、とても美味しかったので、以来、それがランチの定番になった。1週間に1回以上は食べていると思う。
そしてもうひとつ、仕事をしていない年金暮らしの老人の特権として、ランチには、一杯のお酒も楽しんでいる。以前は、ジントニックだったのだが、最近は、ベルモットのソーダ割りが中心になっている。ジンが好きで、20代の終わりころからずっとコンスタントに飲んでいるが、この10年ほど自宅の酒の一つとしても定着している。マティニというカクテルがある。ジンとベルモットをシェイクしたりステア(攪拌)したりして作るのだが、ベルモットはほんの少しだけ垂らす程度とされている。チャーチルなどは、ベルモットのボトルを眺めながらジンだけをなめるというくらいドライ(辛口)なものを好んだという逸話もあるほどだが、毎日夕食前の一杯で何年も飲み続けていると、私の場合、ベルモットは少し入れて、その香りがちゃんとしているほうが好みになった。

そんなわけで、わが家には、常時ベルモットの買い置きがある。そこそこのお給料を頂いていた現役サラリーマン時代には、フレンチベルモットのノイリープラットなどというちょいといいやつを飲んでいたが、年金暮らしの今では、イタリアンベルモットの安いものをもっぱら愛用している。でもこれで十分。
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ということで、今日もベーコンとキャベツのペペロンチーノとベルモットのソーダ割りをランチに楽しんだ。外の雨に時々目をやり、内田光子さんの弾くモーツァルトを聞き、ソーダ割りをチビチビとなめながら、ペペロンチーノを楽しんだ。

内田さんのピアノの音が、鎮静剤のように心に沁みこんでいく。ああ、至福の昼下がり・・・
#ベーコンとキャベツのペペロンチーノ

2021年09月21日

中秋の名月

昨日、名月を眺めて浮世の憂さを晴らしたいものだ、と言うようなことを書いた。
その思いが届いたのか、北陸にしては珍しく、中秋の名月の今夜は、すっきりと晴れた夜空となった。8時頃に見た時は、まだ高度が低くて見えなかったが、10時過ぎにはお寺の鐘楼の上に、美しい月を見ることができた。
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中秋の名月とは、旧暦の8月15日の月のことである。だから、必ずしも満月とは限らないらしいが、今夜は満月でもあるそうだ。
中秋には、仲秋という字もある。今まで特に深く考えもしなかったが、「仲秋」とは、秋を初秋(旧暦7月)、仲秋(同8月)、晩秋(同9月)の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指す言葉で、 対して「中秋」とは「秋の中日」=陰暦8月15日のみを指すそうだ。

北陸は、この時期は秋雨や曇り空など、天気の悪い日も多く、東京に比べて、すっきりと晴れることは少ないように思う。
それだけに、今宵の月は、久しぶりに見る美しい月であった。

わが家の向かいは、江戸から続く古いお寺である。その本堂の大屋根に、月光が美しい光を映している。
家の前の道は、実は、旧北陸道なのだが、夜になると人通りもほとんどなくなる。
街灯も少ないので、月明かりを感じることができる。

電気のない時代には、満月の明かりはどれほど心強いものであっただろうか。
月の満ち欠けに注意を払い、次の満月までの日数と方角や高度を気にするようになることは、夜の闇が深い時代では当然のことかもしれない。夜の中で、じっと月の動きを眺めながら、その中に一定の法則を導き出し、暦と関連づけた昔の人々。

昼を照らす太陽と、夜を照らす月。世の中を明るく照らしてくれる自然の光には、神が宿るように思えたのも納得できる。
コロナの闇を消して、世界を明るく照らし、未来を見通せるようにしてくれるものが出て来てほしいと、今宵の月を見上げながら日本中の人が思っているかもしれない。

#中秋の名月

2021年09月20日

秋深し

数日前には、日本を西から東に横断する台風の動きが気になったが、幸いあまり大きな被害を起こすこともなく、熱帯性低気圧に変わって抜けていってくれた。(もっとも、台風から熱帯背低気圧に変わったら、力が弱くなったような印象でいたのだが、NHKラジオの気象予報士伊藤みゆきさんによれば、どうもそう単純なことではないらしいけれど)

今日は、さわやかな、というか少し夏に逆戻りしたような日差しの強い晴れとなった。夕方、少し涼しくなってから、久しぶりに散歩に出かけた。
3連休の後半は晴れそうだという予報もあったので、稲刈りをされた方も多いだろうなと思っていたら、いつもの散歩道の周辺でも、稲刈りを済ませた田んぼが多かった。
facebookを見ていても、稲刈りをやりました、というような投稿も目についた。
(写真は、知人の方からお借りしたものです)
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先週までは、「実るほど頭をたれる稲穂かな」の言葉通り、美しい稲穂が黄金色の輝きを見せていたのだけれど、あっというまに稲が刈られた田んぼは、すっきりしたというかどこか寂しくもある景色に変わっていた。夏から秋へと、季節は確実に進んでいる。
明日、21日は、中秋の名月。「月々に、月見る月は多けれど、月見る月は、この月の月」とも詠まれた旧暦の8月15日の月が、1年でもっとも美しい月とされて、古来、観月の宴などが催されたりもした。さて北陸の御天気はどうであろうか?美しい月を拝めることができるだろうか?

月末には、総裁選も行われ、誰が総理候補となるかが決する。政治もコロナも、なかなかすっきりした晴れ間が見えないけれど、せめて美しい月を眺めて、しばし浮世の憂さを忘れたいものである。
#中秋の名月 #稲刈り
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