「何をすれば良いでしょうか」。
「では、考えてこられた方法を書き出して見ましょうか」。
@親が電話で連絡する
A LINE で連絡する
B手紙を書いて送る
C共通の知り合いに同席して貰って話す
D相手の親に言う
E調停する
F裁判する
G弁護士に頼んで内容証明を送って貰う。
「でも一長一短あって私も子供も迷って決められないのです」
「では、もう一つ方法を」と言って私は「今は何もしない」と書きました。
するとその方は驚いて「何もしないなんて。それじゃあ解決しないじゃないですか」。
「そうですよね。行動してこそ解決するはずだと思いますよね。でも十分考えて、それでも迷って迷って決められない時もあります。そんな時は、若しかすると何かすると言う事の中に答えがないのかも知れません。
だから何をするか考える事と同じ位、今は何もしないと言う事も大事な選択肢ではないかと」
その方は子供と話したそうです。
すると3日後「『今は』何もしない事に決めた」と言ったそうです。
何もしないなんて可笑しい、逃げてる、流されてる、問題を放置するのか、怠けている、考えてないのと同じだなどと言う声を、小さい頃から繰り返し聞いてきた様に思います。
だから、問題解決の為には立ち向かわなくてはならない、何か行動しないといけないと直感的に思うのでしょう。
でも何もしない事が、時間を置く、距離を置く、空間を保つなど、解決に向かう為に必要な一歩を作る事があります。
今は何もしないと決める事で見えてくる第三の景色。
それは、その選択を自らが積極的にした時から見えたのかも知れません。
射場 和子 弁護士
愛媛新聞 四季録から
何もしないと言う事も選択肢らしい。
確かにその選択肢もあるかも知れない。
安倍政権が何もしない方が良いと言う政策はあったと思う。
何故なら何もかも掻き回して悪くなった事の方が多いから。
岸田氏も真似をして掻き回している気がする。