アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2015年09月26日

民族自決の ”一撃“、韓国

韓国・朝鮮人の、“事大主義“はほぼ潜在的DNAなのだから如何とも
し難い・・  だが教育によって変わる事が出来るというもの・・・
かの朝鮮戦争の折、首都ソウルを一カ月護りぬいた大佐、李承晩が、
釜山に追い詰められた時、大統領は日本に逃げようとしているが、米海軍の
艦砲射撃を誘導し、北朝鮮の戦車部隊を壊滅に導いたのは誰なんだ。
二人、共に日本陸軍士官学校出身だろう、たかが35年の教育制度でこれほど
変われる、すべては教育、教育次第・・・・


【コラム】韓国外相は口先で国が守れると思っているのか

今年4月、マーク・リッパート駐韓米国大使の仏国寺訪問に同行した。
同大使がソウル市内で刃物を持った男に切り付けられるテロに遭ってから
2カ月も経っていない時のことだった。
大使の後ろを付いて歩く子どもたちがどんどん増えていき、釈迦(しゃか)塔
近くまできた際、とうとう警護ラインを突破してしまった。


子どものすることなので力で制圧したり引き離したりはできない。
警護員たちは困り果ててしまったが、リッパート大使はけがを免れた方の手で
近寄ってくる子どもたちをなでた。その時、何人かの子どもが叫んだ。
「ユー・エス・エー(USA)!」。すると、
ほかの子どもたちもそれに加わった。
「ユー・エス・エー!」「ユー・エス・エー!」。念仏の代わりに
「親米スローガン」が1000年の歴史を持つ古刹(こさつ)に鳴り響いた。

それから1カ月後、リッパート大使は韓国人たちに対し、自身が暮らしている
大使館を開放した。それが、
ソウル市中区開催の「貞洞夜行祭り」の目玉として話題を呼んだ。
星条旗が空高く翻るその場所で、前々から思っていた疑問が一つ解決した。
徳寿宮重明殿が米国大使公邸から非常に近いことについてだ。
重明殿は現米国大使公邸内の旧米国公使館からわずか20メートルという
距離にある。
朝鮮時代第26代王・高宗(1852−1919年、在位1863−1907年)は
徳寿宮の火災後、消失を免れた重明殿を執務室として使用していた。
高宗は昌徳宮や景福宮でなく、なぜ米国公使館(現在の大使館)の目と鼻の
先に執務室を設けたのだろうか。

米国大使館はよく誤解されがちだ。大国の公館だということで、他国の
宮殿にまで入り込んだと思われている。昔は京畿女子高校があった場所から
芸苑学校のある場所までが宮殿だったので、古い地図を見ると徳寿宮の中に
海外公館が入り込んで建っているかのような珍しい構図になっている。
しかし、そうした主張は時間的に前後を入れ替えた歪曲(わいきょく)だ。
公館が宮殿に入り込んだのではなく、宮殿が増築したために公館を
取り込んでしまったのだ。つまり、
宮殿にわざわざ米国を入れたということになる。

それだけ日本が怖かったのだろう。

重明殿と公館の距離の短さは、高宗が感じた恐怖の強さを現しているとも
言える。

当時の米国公使(現在の米国大使)ホロス・アレンは高宗の親米姿勢に
感動した。アレンはリッパート大使と同じくらい韓国に好意的だったし、
一般国民の愛も受け入れた。アレンはロシアを引き入れ、
韓半島(朝鮮半島)では日本をけん制しなければならないとホワイトハウスを
説得した。
韓国の独立を支援しようとしたのだ。そんなアレンに、
セオドア・ルーズベルト米大統領=当時=は問い返した。

「あなたはなぜ負ける国を支持しろというのか」。
「米国は、自分のために一撃も加えなかった国のために
 介入することはできない」という

有名な言葉を残したのもそのころのことだ。
乙巳条約(1905年、日本側呼称:第二次日韓協約)は最終的に重明殿で
締結された。
アレンはその前に公使を更迭された。条約が成立すると、新しい米国公使は
日本に祝辞を述べ、すぐに荷物をまとめた。
米国人宣教師ホーマー・ハルバートは
「米国は別れのあいさつもせず、最も侮辱的な方法で韓国を最初に捨てた」と
表現した。


ルーズベルト大統領が考える国益とは、他国の手を借りてロシアの南下を
防ぎ、米国は「漁夫の利」により中国で利益を得るというものだった。
この時、「代わりに血を流す」と手を挙げたのは日本だ。中国の
「東進(東方進出)」をけん制するため血を流すという安保法が成立した今の
日本と似ている。
程度の差はあるが、「一撃を加えられる」国だということもほぼ同じだ。
米国はロシアを阻むため日本を戦場に引き込み、日本を引き込むために韓国を
捨てた。当時の韓国は「一撃を加える能力」はもちろん、独立を維持する
方法すらなかった。


今は能力がないからと言って国が捨てられる時代ではない。だが、
少なくとも「一撃の能力」なしに
外交の主導権を行使するのは許されていない。
先月の南北危機はそうした能力が試された場だった。北朝鮮の潜水艦が
半数以上いなくなり、後方の火力兵器が前進配備された時、韓国はどんな
一撃の「切り札」を切るのか。韓国海軍哨戒艦「天安」爆破・沈没や
延坪島砲撃事件を経た韓国は何が変わったのだろうか。結局、今回も
ステルス機・爆撃機・原子力空母など米国の戦略資産を引っ張り出した。
米中日はそういう韓国を目の当たりにした。
南北統一外交を主張する前に、統一を行うことができる能力を備えるべきだ。
「一撃も加えられない」国のために大国が介入しないのは
今も昔も同じなのだ。


韓国政府は今回の危機に関して大きな勘違いをしているようだ。
韓米同盟を「天下無敵」と言った尹炳世(ユン・ビョンセ)
外交部(省に相当)長官の言動がそうした認識を現している。
今回の軍事危機で韓国の役割はどれだけだっただろうか。
一撃の能力を備えた上であのような発言をしなければ、
うつろな言葉にしか聞こえない。

国は口で守るものではない。兵士たちに対する大統領の1泊2日間の
特別休暇証付与も同じだ。
兵士たちに本当に必要なのは、休暇証よりも敵の攻撃から自らを
守ることができる「一撃の能力」だ。

国際部=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)部長
タグ:韓国
posted by 豊後国主 at 08:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前: 必須項目

メールアドレス: 必須項目


ホームページアドレス:

コメント: 必須項目

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4219368

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
リンク集
最新記事

プロフィール
豊後国主さんの画像
豊後国主
初参加 2010年 7月30日
プロフィール
写真ギャラリー
カテゴリアーカイブ
わーい(嬉しい顔)"カチィ・・” と 応援宜しくわーい(嬉しい顔)
にほんブログ村 通販ブログへ
にほんブログ村
最新トラックバック
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。