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2014年05月27日

最後の満州国皇女死す

現代史、近代史、世界史が次々と流れていく、激動の1900年代前半に先の大戦に
かかわった人物、中国と米国から、
日本に元軍人、軍属と言われる人たちがあと何人いるか、全員が80代後半か,90代
誰もいなくなったとき、初めて日本の戦後が終わるのかもしれない・・・


清朝最後の王女、愛新覚羅顕キさん死去 「東洋のマタハリ」川島芳子の妹
2014.5.26 20:28 [歴史・考古学]

皇女.jpg
愛新覚羅顕●(=王へんに奇)さん=2013年4月撮影

「東洋のマタハリ」と呼ばれた川島芳子の妹で、清朝の粛親王の末娘だった
愛新覚羅顕キ(=王へんに奇)(あいしんかくら・けんき)さんが26日未明、
心不全のため北京市内の病院で死去した。95歳だった。
4月に体調を崩し入院していた。葬儀は28日、北京郊外の
八宝山公墓の梅庁で行われる。

幼少期に満州国の皇族として日本に留学。学習院、日本女子大に学び、
大手繊維メーカー「鐘紡」の北京支社で勤務中に終戦を迎えた。
日本軍のために情報活動を行ったとして処刑された芳子の妹であることなどを理由に、中国当局に「日本のスパイ」などのぬれぎぬを着せられ、農村での強制労働を
含めて計23年間も監禁された。

獄中から中国の最高実力者、トウ小平に無実を訴える手紙を書いたことなどを
きっかけに名誉回復された。
翻訳の仕事をしながら、北京で日本語学校を設立。頻繁に訪日し、講演活動を
通じて日本語教育に力を注いだ。
日本で出版した自伝『清朝の王女に生れて−日中のはざまで』(中央公論)が
大きな話題となった。晩年、
日中関係が悪化しても親日派を自認してはばからなかった。

亡くなる直前に電話で日本の友人に「中日友好。日本の皆さんによろしく
お伝えください」と話していたという。(北京 矢板明夫)

ポトマック通信 退役軍人に報いる姿勢
2014.5.27 03:14 [外信コラム]

「ドゥーリトル隊の生き残りが来ている」と聞いて米議会に出かけた。
1942年にジェームズ・ドゥーリトル中佐が指揮した日本本土への初空襲のことは
知っていても、元隊員に会えるとは思わなかった。

オバマ大統領は同隊に「議会名誉黄金勲章」を贈ることを決めた。
ドゥーリトル機の副操縦士として東京空襲に参加したリチャード・コールさんは、
授章のための法案の署名式に列席するため首都を訪れた。

授章に動いた地元オハイオ州選出の上院議員を議事堂の小部屋で待つコールさんは
思ったよりも小柄だった。
それでも98歳の高齢にかかわらず背筋をぴんと伸ばして立つ姿は、
軍人だったことの証しなのだろう。

空襲した日本について今、どう考えているかを聞きたかったが、答えたのは
50年代に東京で数年間過ごしたことだけだった。
「暮らしも仕事も楽しかった。平和な時代だった」と。

コールさんは26日、メモリアルデー(戦没者追悼記念日)に催される
ワシントンでのパレードで「大元帥」を務める。
空襲や原爆投下が英雄視されるのは日本人としてどうしても納得できない。だが、
国家のため戦った戦没者や退役軍人に報いる米国のような姿勢が、
日本には足りなかったのではないか。
先の大戦の意味を米国でも考えていきたい。(加納宏幸)
タグ:日本、中国
posted by 豊後国主 at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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