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2017年11月06日
モラル
歳を取れば人間、丸くなるとか言いますね。
確かにそれはあります。
でも、別なところで角が立つこともあると思います。
いわゆる「頑固じじい」?
きっと大人になったばかりの頃、成人を過ぎたあたりに先輩から教わっているのではないですか?
「大人のケンカはするべきではない」
と。
ケンカをしないことで我慢して、ストレスは溜まるけれど学習して、
静観することで理性で抑えることを学ぶ。
歳を取れば次第にだんだんと体力も威勢も落ちてくるし、ケンカした後の結果も予想がついてくるので、
「それならケンカはまずいよね!」
と達観できるのは良いことです。
また、今までの経験を活かして自分の行動を客観的に見られるようになります。
若い頃は右も左もわからず、ただやってみようで済んだことが、いくつもの失敗を繰り返してやがて、自分のするべきことが「人のため」「人に迷惑をかけない」というのに気が付いて、人に思いやりを持つようになると思います。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
まさにこれで、自分が今まで生きてこられたのは皆様のおかげ。
おかげなんですよね。
そうやって長い年月をかけ、モラルに磨きをかけてゆく。
あらゆる場面で「これはいい」「これはダメ」と的確に答えを出すことができる。
これを世間では分別(ふんべつ)といい、「これはいいけど、あれはダメ。それはこうこうこうだから」と自身で判断できるようになる。
これが「分別がつく」ということだと思います。
またそれは50歳を過ぎた頃に身に付けるものかとも思います。
ところが、、
おせっかいなのか、老婆心なのか、単なる我がままなのか、はたまた老化現象なのか・・・
人にもそれを要求するようになっていました。
バス停に並ぶ割り込みなら声に出して注意することはときどきあります。
まして相手は、当然分別のあるはずな高齢者たちです。
しかしバスの中では注意しづらいです。
2017/08/02の「はしたない」に書いた、バス内でメロンパンを食べ散らかす人や、
2017/01/08の「バス乗車時のエチケット」に書いた、バスの降車ボタンを押すとき、人の目前に手を伸ばす人は許せません。
そんなことを平気でする人たちだから、きっと人から厳しく指導されたことはないのでは?
それを会ったこともない私が、しかもバス中で注意するには時間が足りません。
場合によっては狭いバス空間で相手は騒ぎ出すかもしれません。逆ギレ。
先日一度ありました。私の額、その上に手を伸ばし降車ボタンを押した若いサラリーマン。
私はその手首をピシャっと叩きました。
でも額の上だったから、角度が悪く中途半端な叩きになりました。
まして、その男はすぐに降りてしまったので注意するには至りませんでした。
男は不思議な顔をしていました。きっと私が手首を叩いた意味はわからなかったでしょう。
それら、
叱られ慣れていないだろう若者たちは、いったい誰が作ったのか。
学校か?親か?
どっちもどっちであろうし、バスの中で注意しづらい環境も私を含め今の社会が招いた現象だと思います。
バス待ちにせよ、バスの中、もちろんそれ以外でも、社会に不快な思いをさせる人たちは私たち社会の責任であると思います。
確かにそれはあります。
でも、別なところで角が立つこともあると思います。
いわゆる「頑固じじい」?
きっと大人になったばかりの頃、成人を過ぎたあたりに先輩から教わっているのではないですか?
「大人のケンカはするべきではない」
と。
ケンカをしないことで我慢して、ストレスは溜まるけれど学習して、
静観することで理性で抑えることを学ぶ。
歳を取れば次第にだんだんと体力も威勢も落ちてくるし、ケンカした後の結果も予想がついてくるので、
「それならケンカはまずいよね!」
と達観できるのは良いことです。
また、今までの経験を活かして自分の行動を客観的に見られるようになります。
若い頃は右も左もわからず、ただやってみようで済んだことが、いくつもの失敗を繰り返してやがて、自分のするべきことが「人のため」「人に迷惑をかけない」というのに気が付いて、人に思いやりを持つようになると思います。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
まさにこれで、自分が今まで生きてこられたのは皆様のおかげ。
おかげなんですよね。
そうやって長い年月をかけ、モラルに磨きをかけてゆく。
あらゆる場面で「これはいい」「これはダメ」と的確に答えを出すことができる。
これを世間では分別(ふんべつ)といい、「これはいいけど、あれはダメ。それはこうこうこうだから」と自身で判断できるようになる。
これが「分別がつく」ということだと思います。
またそれは50歳を過ぎた頃に身に付けるものかとも思います。
ところが、、
おせっかいなのか、老婆心なのか、単なる我がままなのか、はたまた老化現象なのか・・・
人にもそれを要求するようになっていました。
バス停に並ぶ割り込みなら声に出して注意することはときどきあります。
まして相手は、当然分別のあるはずな高齢者たちです。
しかしバスの中では注意しづらいです。
2017/08/02の「はしたない」に書いた、バス内でメロンパンを食べ散らかす人や、
2017/01/08の「バス乗車時のエチケット」に書いた、バスの降車ボタンを押すとき、人の目前に手を伸ばす人は許せません。
そんなことを平気でする人たちだから、きっと人から厳しく指導されたことはないのでは?
それを会ったこともない私が、しかもバス中で注意するには時間が足りません。
場合によっては狭いバス空間で相手は騒ぎ出すかもしれません。逆ギレ。
先日一度ありました。私の額、その上に手を伸ばし降車ボタンを押した若いサラリーマン。
私はその手首をピシャっと叩きました。
でも額の上だったから、角度が悪く中途半端な叩きになりました。
まして、その男はすぐに降りてしまったので注意するには至りませんでした。
男は不思議な顔をしていました。きっと私が手首を叩いた意味はわからなかったでしょう。
それら、
叱られ慣れていないだろう若者たちは、いったい誰が作ったのか。
学校か?親か?
どっちもどっちであろうし、バスの中で注意しづらい環境も私を含め今の社会が招いた現象だと思います。
バス待ちにせよ、バスの中、もちろんそれ以外でも、社会に不快な思いをさせる人たちは私たち社会の責任であると思います。
2017年11月01日
逃げの口実
私は今、コールセンター勤務をしていて、3か月おきに契約更新して飽きたらだいたい1年ごとに会社を変えています。
この街へきて10年経ちました。初めからコールセンターだったわけではなく、行きついた先がコールセンターだったのです。
それまでいろいろな仕事をしてきましたが、一言でいうと広く浅くなわけで、特に「この道のプロ」といったわけではありません。
ここへ来て間もなくの頃は高校時代の友人と何度か飲みに行きました。
友人はずっとこの街に住んでいるので、「よく来たな!」という感じでした。
建売系の不動産会社に勤務する彼は、会うたびに必ず「家」の話をしてきました。
あるとき、家の家賃を聞いてから飲みに行くことはプッツリと途絶えてしまいました。
決して安い家賃ではないと思います。が、すでにそのとき40歳半ばだったので、
「これは無理!」
そう思ったのかも知れません。(チッキショー!笑)
田舎では、何人かの友人は社長で、何人かは孫がいて、はた目には「安泰」に見えます。
でも、不動産屋の友人は当時、課長で、上からの締め付けと下からの突き上げが辛いとこぼしていましたし、社長は社長できっと大変でしょう。この時代だから。
私はコールセンターに勤めてしばらく「通し」と呼ばれる朝9時から夜9時勤務もしていました。しかし、50歳になった頃から通しなんてできる体力はなくなりました。今では8時間勤務もやっとです。(笑)
社長でも課長でもない私が稼ぐにはただ勤務時間を重ねるしかありません。
コールセンターでは管理職をしたところで役職手当はありません。拘束時間が長くなる分、実入りも良いのでしょうが、この歳で管理職にお声がかかることはないでしょうし、何か役職に付いたら好きなときに辞めづらくなるでしょう。
だから今のスタイルが良いのです。
この歳だと何か大きな夢を持つこともなくなりました。
夢は子供が自分たちで果たして欲しいと思います。
学校が隠蔽体質を持つのにはいろいろな理由があるのでしょう。
校長の経歴にキズが付かないよう事なかれ主義というのは反対でしたが、何となくそれもわかる気になってきました。
あとは「目指せ!年金!」です。もらえるのかな?(笑)
特に若い頃、自分の家は持ちたいと思っていました。
でも、ないならないなりで「引っ越し」という楽しみがあります。
住んでみればどこでも、その土地の特徴があるから、それに触れるのも楽しみです。
会社をしょっちゅう変えているとはいえ、同じ派遣会社から派遣先を変えるだけだったり、コールセンター勤務を始めて早々に知り合った人を頼るとか、人間関係は続いています。
夢を持つのは自由です。
若い頃は無限の可能性があります。
私が初めて夢をあきらめたのは確か30歳半ば。
単車の免許を取ることでした。それから世界旅行。
けど、私は車で死にかけた事故を起こしていますので、単車に乗らなくてよかったかも知れない。
ほとんど、逃げの口実です。(笑)
この街へきて10年経ちました。初めからコールセンターだったわけではなく、行きついた先がコールセンターだったのです。
それまでいろいろな仕事をしてきましたが、一言でいうと広く浅くなわけで、特に「この道のプロ」といったわけではありません。
ここへ来て間もなくの頃は高校時代の友人と何度か飲みに行きました。
友人はずっとこの街に住んでいるので、「よく来たな!」という感じでした。
建売系の不動産会社に勤務する彼は、会うたびに必ず「家」の話をしてきました。
あるとき、家の家賃を聞いてから飲みに行くことはプッツリと途絶えてしまいました。
決して安い家賃ではないと思います。が、すでにそのとき40歳半ばだったので、
「これは無理!」
そう思ったのかも知れません。(チッキショー!笑)
田舎では、何人かの友人は社長で、何人かは孫がいて、はた目には「安泰」に見えます。
でも、不動産屋の友人は当時、課長で、上からの締め付けと下からの突き上げが辛いとこぼしていましたし、社長は社長できっと大変でしょう。この時代だから。
私はコールセンターに勤めてしばらく「通し」と呼ばれる朝9時から夜9時勤務もしていました。しかし、50歳になった頃から通しなんてできる体力はなくなりました。今では8時間勤務もやっとです。(笑)
社長でも課長でもない私が稼ぐにはただ勤務時間を重ねるしかありません。
コールセンターでは管理職をしたところで役職手当はありません。拘束時間が長くなる分、実入りも良いのでしょうが、この歳で管理職にお声がかかることはないでしょうし、何か役職に付いたら好きなときに辞めづらくなるでしょう。
だから今のスタイルが良いのです。
この歳だと何か大きな夢を持つこともなくなりました。
夢は子供が自分たちで果たして欲しいと思います。
学校が隠蔽体質を持つのにはいろいろな理由があるのでしょう。
校長の経歴にキズが付かないよう事なかれ主義というのは反対でしたが、何となくそれもわかる気になってきました。
あとは「目指せ!年金!」です。もらえるのかな?(笑)
特に若い頃、自分の家は持ちたいと思っていました。
でも、ないならないなりで「引っ越し」という楽しみがあります。
住んでみればどこでも、その土地の特徴があるから、それに触れるのも楽しみです。
会社をしょっちゅう変えているとはいえ、同じ派遣会社から派遣先を変えるだけだったり、コールセンター勤務を始めて早々に知り合った人を頼るとか、人間関係は続いています。
夢を持つのは自由です。
若い頃は無限の可能性があります。
私が初めて夢をあきらめたのは確か30歳半ば。
単車の免許を取ることでした。それから世界旅行。
けど、私は車で死にかけた事故を起こしていますので、単車に乗らなくてよかったかも知れない。
ほとんど、逃げの口実です。(笑)
2017年10月21日
不思議なこと
「噂をすれば影がさす」
のように、噂話をしていると当人が現れドキッとした経験は誰もがお持ちだと思います。
マーフィーの法則って、いつだったか話題になりました。
・切符を買う時、自分の並んだ列がいつも遅い。
・うまく行かなくなり得るものは何でも、うまく行かなくなる。
・機械が動かないことを誰かに証明して見せようとすると、動きはじめる。
など他にもいろいろありますね。
私なりには、「こうなんだ!」と公言したことは往々にしてそうなりにくいものだから、本当に望んでいること、願っていることは誰にも話さないようにしています。
このように人の体内に住む“虫”に関するようなことは不思議ですが、無視(私はダジャレは言いません。)できないと思うことがよくあります。
古くはもう、20年くらい前から起こっている気がします。
けど今現在にも続いている少〜し不思議なことがあります。
それは、同じ苗字の人と縁があるということ。
まだ営業をしていた頃から、
・仕入れ先の担当者がイトウさん
・保険代理店で、保険会社の担当がイトウさん
・営業を辞め、SEに転じたときのコーディネーターがイトウさん
というように、なぜか同じ苗字の人たちが登場します。
その後、サカイさんなど数年のサイクルで同じ苗字の人たちとの巡り合わせが繰り返されていくのです。
現在はノダさんです。
コールセンターの管理者や、毎月通う病院の担当医。母が入所している特別養護老人ホームの職員。
母は今年の5月に特別養護老人ホームに入所しました。
そこはいくつかの施設が集まった“福祉の村”と呼ばれるゾーンです。
私は愛煙家なのに、タバコとは縁のないような地帯。
7月に訪れた際、長くいることになったので、どうにかタバコが吸いたい。
外に出てみましたが、灰皿などは置いていない様子。
特別養護老人ホームに戻り裏側に回ると、職員さんたちが数人集まっています。
どこでタバコが吸えるのか、職員に聞けばいいんだ。
そう思い、近づいて行くと、、、
なんと職員さんたちがそこでタバコを吸っていたのです。
なるほど、コールセンターと同じくストレスの溜まりやすい仕事。
喫煙者が多いのも納得です。
職員の方は私に、どうぞ吸って下さいと仰います。
その方がノダさんでした。
お言葉に甘え、それから行くたびに一服させていただきました。
今日、衆議院選挙の期日前投票に行ってきました。
特に発信のコールセンターは日曜日は仕事です。
なので、コールセンター勤務になってからは期日前投票ばかりしています。
のように、噂話をしていると当人が現れドキッとした経験は誰もがお持ちだと思います。
マーフィーの法則って、いつだったか話題になりました。
・切符を買う時、自分の並んだ列がいつも遅い。
・うまく行かなくなり得るものは何でも、うまく行かなくなる。
・機械が動かないことを誰かに証明して見せようとすると、動きはじめる。
など他にもいろいろありますね。
私なりには、「こうなんだ!」と公言したことは往々にしてそうなりにくいものだから、本当に望んでいること、願っていることは誰にも話さないようにしています。
このように人の体内に住む“虫”に関するようなことは不思議ですが、無視(私はダジャレは言いません。)できないと思うことがよくあります。
古くはもう、20年くらい前から起こっている気がします。
けど今現在にも続いている少〜し不思議なことがあります。
それは、同じ苗字の人と縁があるということ。
まだ営業をしていた頃から、
・仕入れ先の担当者がイトウさん
・保険代理店で、保険会社の担当がイトウさん
・営業を辞め、SEに転じたときのコーディネーターがイトウさん
というように、なぜか同じ苗字の人たちが登場します。
その後、サカイさんなど数年のサイクルで同じ苗字の人たちとの巡り合わせが繰り返されていくのです。
現在はノダさんです。
コールセンターの管理者や、毎月通う病院の担当医。母が入所している特別養護老人ホームの職員。
母は今年の5月に特別養護老人ホームに入所しました。
そこはいくつかの施設が集まった“福祉の村”と呼ばれるゾーンです。
私は愛煙家なのに、タバコとは縁のないような地帯。
7月に訪れた際、長くいることになったので、どうにかタバコが吸いたい。
外に出てみましたが、灰皿などは置いていない様子。
特別養護老人ホームに戻り裏側に回ると、職員さんたちが数人集まっています。
どこでタバコが吸えるのか、職員に聞けばいいんだ。
そう思い、近づいて行くと、、、
なんと職員さんたちがそこでタバコを吸っていたのです。
なるほど、コールセンターと同じくストレスの溜まりやすい仕事。
喫煙者が多いのも納得です。
職員の方は私に、どうぞ吸って下さいと仰います。
その方がノダさんでした。
お言葉に甘え、それから行くたびに一服させていただきました。
今日、衆議院選挙の期日前投票に行ってきました。
特に発信のコールセンターは日曜日は仕事です。
なので、コールセンター勤務になってからは期日前投票ばかりしています。
2017年10月18日
タバコ
タバコってだんだんと世の中から嫌われるものになってきました。
コールセンターの喫煙率は高いのか、私は他を知らないので何とも言えません。
今では会社のビルには必ず喫煙室があり、喫煙者はそこで吸うことになります。
当たり前ですが、喫煙室は喫煙者しかいないので、喫煙者同士のコミュニケーションが生まれ、タバコを吸っている間、非喫煙者の存在は意識しません。
私が今いるビルは4年振りです。4年前に異動になり、その後、会社も変わり、まわりまわって9月からまたこの会社へ、今度は派遣という形で戻ってきました。
喫煙室は前と同じ場所にあります。当時窓から見ていた同じ景色にまた戻ってきたのです。
オペレーターたちが昼食を摂る広い食堂の一角にその喫煙室はあります。
ただ、前には1枚だった喫煙室の出入口ドアは2枚になっていました。
非喫煙者に聞くと、ドアが2枚になったことで煙が食堂内に漏れるのが、かなり少なくなったそうです。
どうなんでしょう。
私は自分がタバコを吸うようになるまで、人のタバコが臭いと思ったことがありませんでした。
吸っている今でも、いぶっているタバコの煙以外は気になりません。
それは自分も吸っているからでしょうが、一度タバコをやめた人の煙嫌いはすごいですね。
一度も吸ったことのない子供や若い人も、煙は臭いのでしょう。
また当時は、受動喫煙という言葉も聞かなかったし、肺がんに対しての危機感だってぜんぜんうるさくありませんでした。
こういった社会的な変化が、嫌煙者を増やしている気もします。
何より、昔はタバコが当たり前だったと思います。
テレビドラマでもタバコを吸っているシーンが不通にありましたし、そのシーンで吸ったタバコは道にポイ捨て。足で消すというのがよくありました。今では考えられないですね。
ドラマで忙しい事務所が出てくると、そこには必ず灰皿に吸い殻が山のようになっていて、事務所内は煙で白くなっている。現実もそれに近いものだったでしょう。
ゲームセンターに行くとタバコの煙がムンムン。
ちょっとした贈り物にタバコというのもよくありました。
テレビCMでもタバコのCMがありましたし、「俺の赤」なんて、キャビンのCMはカッコいい!と思ったものです。新聞にも1面を使ってタバコの広告が載っていましたし。
当時はJTでなく、日本専売公社でした。
日本専売公社はタバコや塩を売っていたんですね。
また専売法というのがあり、タバコは値引きをしてはいけないし、サービス品も付けてはいけないという縛りがありました。
だから今のように、タバコが2つ化粧箱に入って、その上にライターが一つサービスで付いているなんて、当時は信じられないことでした。
電車も4人座席や特急電車には必ず灰皿が付いていましたし、バスにも背もたれの裏には灰皿が付いていました。あの狭いバスなのに。
駅はホームの柱すべてに四角い缶の灰皿が針金でくくり付けられていて、それでも線路はタバコの吸い殻で散らかっていました。乗降客たちは電車を待つ間タバコを吸い、電車が来ると線路にポイ捨てでした。
掃除が大変だったでしょう。当時はJRでなく、国鉄、日本国有鉄道です。
その情景を想像するだけでも当時の日本はまだ発展途上だったんだと想像できますね。
コールセンターの喫煙率は高いのか、私は他を知らないので何とも言えません。
今では会社のビルには必ず喫煙室があり、喫煙者はそこで吸うことになります。
当たり前ですが、喫煙室は喫煙者しかいないので、喫煙者同士のコミュニケーションが生まれ、タバコを吸っている間、非喫煙者の存在は意識しません。
私が今いるビルは4年振りです。4年前に異動になり、その後、会社も変わり、まわりまわって9月からまたこの会社へ、今度は派遣という形で戻ってきました。
喫煙室は前と同じ場所にあります。当時窓から見ていた同じ景色にまた戻ってきたのです。
オペレーターたちが昼食を摂る広い食堂の一角にその喫煙室はあります。
ただ、前には1枚だった喫煙室の出入口ドアは2枚になっていました。
非喫煙者に聞くと、ドアが2枚になったことで煙が食堂内に漏れるのが、かなり少なくなったそうです。
どうなんでしょう。
私は自分がタバコを吸うようになるまで、人のタバコが臭いと思ったことがありませんでした。
吸っている今でも、いぶっているタバコの煙以外は気になりません。
それは自分も吸っているからでしょうが、一度タバコをやめた人の煙嫌いはすごいですね。
一度も吸ったことのない子供や若い人も、煙は臭いのでしょう。
また当時は、受動喫煙という言葉も聞かなかったし、肺がんに対しての危機感だってぜんぜんうるさくありませんでした。
こういった社会的な変化が、嫌煙者を増やしている気もします。
何より、昔はタバコが当たり前だったと思います。
テレビドラマでもタバコを吸っているシーンが不通にありましたし、そのシーンで吸ったタバコは道にポイ捨て。足で消すというのがよくありました。今では考えられないですね。
ドラマで忙しい事務所が出てくると、そこには必ず灰皿に吸い殻が山のようになっていて、事務所内は煙で白くなっている。現実もそれに近いものだったでしょう。
ゲームセンターに行くとタバコの煙がムンムン。
ちょっとした贈り物にタバコというのもよくありました。
テレビCMでもタバコのCMがありましたし、「俺の赤」なんて、キャビンのCMはカッコいい!と思ったものです。新聞にも1面を使ってタバコの広告が載っていましたし。
当時はJTでなく、日本専売公社でした。
日本専売公社はタバコや塩を売っていたんですね。
また専売法というのがあり、タバコは値引きをしてはいけないし、サービス品も付けてはいけないという縛りがありました。
だから今のように、タバコが2つ化粧箱に入って、その上にライターが一つサービスで付いているなんて、当時は信じられないことでした。
電車も4人座席や特急電車には必ず灰皿が付いていましたし、バスにも背もたれの裏には灰皿が付いていました。あの狭いバスなのに。
駅はホームの柱すべてに四角い缶の灰皿が針金でくくり付けられていて、それでも線路はタバコの吸い殻で散らかっていました。乗降客たちは電車を待つ間タバコを吸い、電車が来ると線路にポイ捨てでした。
掃除が大変だったでしょう。当時はJRでなく、国鉄、日本国有鉄道です。
その情景を想像するだけでも当時の日本はまだ発展途上だったんだと想像できますね。
2017年10月14日
ワープロ専用機
いまは「ワープロ」ってことば自体、あまり聞くことはなくなりました。
でも、
昔はパソコンより先に、ワープロ(専用機)が使われていたので、ワープロはよく売れていました。
NECは文豪、SHARPは書院、東芝はRupo、富士通はOASYS、Canonはキヤノワード、ナショナルはパナワード、カシオはカシオワード、日立はワードパル、サンヨーはサンワード、ブラザーはピコワードなど。
富士通のOASYSはオアシスと発音します。
でも砂漠にあるオアシスはOASISです。
富士通のOASYSは、OA(Office Automation)- SYS(System)のOASYSなんだとか。
今ならインターネットあり、音楽をダウンロードしたり、何しろパソコンで、パソコンでもワープロを使う人はあまりいないと思います。
パソコンはおろか、スマホの時代ですね。
しかし、本当にワープロはよく売れていました。
文章を清書するだけの機械なのにです。
でも、この清書できるのはすごいことです。
よくペン習字など、通信教育で目にしますが、自身の書く字に自信を持っている人は、果たしてどれだけいることでしょうか。
機械で刷る文字よりもきれいに書くことができる自信を持つ人はいるのでしょうか?
また、それ以上に当時は重宝されていました。
何しろ、一度書いた文章が保存できるんです。
繰り返します。
保存できるんです。
当たり前ですが、それは今のことで、昔は保存できません。
原稿を手書きで書いたら、あとはコピーするだけ。
毎年、同じ町内会の会報や、学校からのお知らせも、日付だけ変えるだけで一から書き直しです。その手間を考えたら、保存ができて、日付だけ変えて印刷できるワープロは、「文明の利器」だったんです。
コピーだってそんなに古くからあるものではありません。
その昔は「ガリ版」です。
一回一回、ロウ紙(ろうがみ)という原版に鉄筆で清書して一枚一枚、わら半紙を敷いてはローラーを手にインクを乗せ、上から転がして印刷していました。
いきなり原版に清書です。
間違えたらマニキュアみたいな液を塗って、訂正できました。
しかし、塗った液は乾くまで待たなくてはなりません。
とにかく、書類を作るのは大変な作業でした。
それが保存できるものだから、呼び出しては編集も自由自在。
なんという便利な機械だったのでしょう?
それだから、会社や官庁では予算をつけて、一台百万円超の機械を何台も導入していました。
個人でも購入できる価格帯のパーソナル機が登場すると嘘のように売れていました。
仕事で使う個人向けによく売れたのは228,000円の機種です。
また、機能が文書作成と限定されていたものだから、当時の中高年者にも操作できるものでした。
だからいまだに、ワープロ専用機は、きっと当時の中高年者を中心に需要があるのですね。
ときどき新聞の広告に載っています。
ワープロ専用機が。もちろん中古品です。
なのに、価格は当時のままです。178,000円とか。
20年前の中古品が当時の定価販売です。
さすがに、228,000円の上位機種は品薄なのでしょう。
商品の程度はどうなのか。すぐに壊れてしまうことはないのか。
こっちが心配してしまいます。
もちろん、故障しても修理部品などもう手に入らないでしょう。
それだけ愛された国民機だったのですね。
こんなサイトがあります。
http://www.wapuro.com/
〜 ワープロ悠々堂 〜
ここは当時の定価ではなく、きっと適正価格で販売しています。
でも、
昔はパソコンより先に、ワープロ(専用機)が使われていたので、ワープロはよく売れていました。
NECは文豪、SHARPは書院、東芝はRupo、富士通はOASYS、Canonはキヤノワード、ナショナルはパナワード、カシオはカシオワード、日立はワードパル、サンヨーはサンワード、ブラザーはピコワードなど。
富士通のOASYSはオアシスと発音します。
でも砂漠にあるオアシスはOASISです。
富士通のOASYSは、OA(Office Automation)- SYS(System)のOASYSなんだとか。
今ならインターネットあり、音楽をダウンロードしたり、何しろパソコンで、パソコンでもワープロを使う人はあまりいないと思います。
パソコンはおろか、スマホの時代ですね。
しかし、本当にワープロはよく売れていました。
文章を清書するだけの機械なのにです。
でも、この清書できるのはすごいことです。
よくペン習字など、通信教育で目にしますが、自身の書く字に自信を持っている人は、果たしてどれだけいることでしょうか。
機械で刷る文字よりもきれいに書くことができる自信を持つ人はいるのでしょうか?
また、それ以上に当時は重宝されていました。
何しろ、一度書いた文章が保存できるんです。
繰り返します。
保存できるんです。
当たり前ですが、それは今のことで、昔は保存できません。
原稿を手書きで書いたら、あとはコピーするだけ。
毎年、同じ町内会の会報や、学校からのお知らせも、日付だけ変えるだけで一から書き直しです。その手間を考えたら、保存ができて、日付だけ変えて印刷できるワープロは、「文明の利器」だったんです。
コピーだってそんなに古くからあるものではありません。
その昔は「ガリ版」です。
一回一回、ロウ紙(ろうがみ)という原版に鉄筆で清書して一枚一枚、わら半紙を敷いてはローラーを手にインクを乗せ、上から転がして印刷していました。
いきなり原版に清書です。
間違えたらマニキュアみたいな液を塗って、訂正できました。
しかし、塗った液は乾くまで待たなくてはなりません。
とにかく、書類を作るのは大変な作業でした。
それが保存できるものだから、呼び出しては編集も自由自在。
なんという便利な機械だったのでしょう?
それだから、会社や官庁では予算をつけて、一台百万円超の機械を何台も導入していました。
個人でも購入できる価格帯のパーソナル機が登場すると嘘のように売れていました。
仕事で使う個人向けによく売れたのは228,000円の機種です。
また、機能が文書作成と限定されていたものだから、当時の中高年者にも操作できるものでした。
だからいまだに、ワープロ専用機は、きっと当時の中高年者を中心に需要があるのですね。
ときどき新聞の広告に載っています。
ワープロ専用機が。もちろん中古品です。
なのに、価格は当時のままです。178,000円とか。
20年前の中古品が当時の定価販売です。
さすがに、228,000円の上位機種は品薄なのでしょう。
商品の程度はどうなのか。すぐに壊れてしまうことはないのか。
こっちが心配してしまいます。
もちろん、故障しても修理部品などもう手に入らないでしょう。
それだけ愛された国民機だったのですね。
こんなサイトがあります。
http://www.wapuro.com/
〜 ワープロ悠々堂 〜
ここは当時の定価ではなく、きっと適正価格で販売しています。
2017年10月03日
恐怖には恐怖で
恐怖には恐怖で報復するといった「目には目を」的なことではありません。
恐怖心の対処方法といいますか、、
憶えていますか?
〜 イラク日本人青年殺害事件 〜
調べると2004年10月とあります。
日本人青年の香田さん(当時24歳)がイラクでアルカイダを名乗る組織に拘束され、首を切断、殺害された事件です。
その現場を撮影した動画が流出したのです。
ご存知の方も多いと思います。
当時はYouTubeもなく、動画投稿サイトもまだ貧弱でした。
動画といえば、ファイル共有ソフトの“WinMX”や“Winny”、“Share”などで、動画ファイルそのものが流通していました。
ファイル共有ソフトを起動し、キーワードを入力すると、それにまつわる動画がダウンロードされます。
当時はそれを「動画を落とす」などと言っていました。
香田さん事件の動画はあの頃全盛期だった“Winny”で流出していることを知っていました。
しかし、動画を見ようとは思いませんでした。
見るとすれば、それは「興味」か「好奇心」だから、それでは香田さんの“死”に申し訳ないと思ったからです。
ところがある晩、友人から電話がかかってきました。
頼むから、その動画を見てくれということでした。
その友人からの頼みとあっては、断るわけにも行かず仕方なしに見てみました。
香田さん手を拘束されて座っており、横でアルカイダの人間がイスラム法典か何かを読み上げます。
それが終わると、ナイフを持った男が香田さんの喉仏に正面からサクッとナイフを入れます。そのまま横に、、
ナイフに対して人間の首はなんて軟らかいものなのか。そう思いました。
その後、動画は途中が削除され、切断された頭部が確か、床に敷かれた星条旗の上に置かれてあり、そこで動画は終わりました。
削除された「途中」というのは首を切断する部分です。恐らく流出した本編にはあったものを、ファイル共有ソフトにアップロードする際に削除したのだと思います。
私はとんでもないものを見てしまった感覚になり、自分一人では収まりがつかない気持ちになりました。
友人から頼まれたとき、友人も一人では収まりがつかなくなったのでしょう。
だから誰かに聞いて欲しい。できれば誰か「仲間を作りたい」と思ったのでしょう。
私は昔から霊現象とか、超常現象を扱ったテレビ番組やビデオが好きです。
でも創作物や物語的なものには興味がなく、あくまで実際に撮影されたもの、映ってしまったものが好きです。
ですからフジテレビのほん怖 - ほんとにあった怖い話にはまったく興味がなく、映画「リング」も怖いとは思いません。
さっきの香田さん事件、2004年頃は夜になると部屋でDVDを借りて観ることが多くありました。
よく観ていたのは「ほんとにあった!呪いのビデオ」です。
これは投稿者からの映像を紹介して、いくつかは投稿者に取材をし、検証をするというものです。
最近は「やらせ」か?というのが増えてきました。
が、投稿映像には「え?!コワ!」というのも多くあります。
年に5作品ずつ出ていて、現在74巻が最新作です。
中でも2004年12月公開の14巻に「頭のおかしい老人」と名付けられた投稿があります。
投稿者が海外へ留学するため、親戚宅に挨拶に行ったとき、その様子をビデオ撮影した。ビデオカメラの録画停止ボタンが押されずにテーブルの上に置かれたままになった。
置かれたままのビデオカメラは部屋の奥にあるソファーを映しています。そのソファーには、いるはずのない老人が座っています。お茶を飲みながら。
やがて老人は湯飲みを床に置き、ソファーから立ち上がり、部屋を出ていきます。
その老人は半透明で背後が透けており、怖いことに湯飲みは本当にその場に置かれていました。
もちろん、親戚宅のものではありません。
その老人は、和服を着ており、とても現代の人間とは思えません。
ハリウッド映画のスタッフであれば、合成で作れる映像かも知れません。でも投稿者は一般人です。まして10年以上昔です。
また、投稿者はカメラを置いたとき、老人のいることに気づいており親戚の家族かと思い挨拶します。すると老人も挨拶するのをカメラが映しています。現実と老人がリンクしているのです。
あのときも私は、
「見てはいけないものを見た」気持ちになりました。
本当に怖かった。
今度は私も知人に見ることを勧め、仲間を作ろうとしていました。
でも知人が見たかどうか、わかりません。
そのとき私がしたことは、もっと怖いビデオを見たら老人のビデオをみた恐怖が上書きされるのだろうと思い、さらにビデオを借りてくることでした。
体験した恐怖から逃れるには、さらに上回る恐怖で上書きしていく。
あれは「ビデオ鑑賞」でしかなかったので、その恐怖は日に日に薄れていきました。
しかし、もしこれが「殺人」であったなら、本当に恐ろしいことです。
恐怖心の対処方法といいますか、、
憶えていますか?
〜 イラク日本人青年殺害事件 〜
調べると2004年10月とあります。
日本人青年の香田さん(当時24歳)がイラクでアルカイダを名乗る組織に拘束され、首を切断、殺害された事件です。
その現場を撮影した動画が流出したのです。
ご存知の方も多いと思います。
当時はYouTubeもなく、動画投稿サイトもまだ貧弱でした。
動画といえば、ファイル共有ソフトの“WinMX”や“Winny”、“Share”などで、動画ファイルそのものが流通していました。
ファイル共有ソフトを起動し、キーワードを入力すると、それにまつわる動画がダウンロードされます。
当時はそれを「動画を落とす」などと言っていました。
香田さん事件の動画はあの頃全盛期だった“Winny”で流出していることを知っていました。
しかし、動画を見ようとは思いませんでした。
見るとすれば、それは「興味」か「好奇心」だから、それでは香田さんの“死”に申し訳ないと思ったからです。
ところがある晩、友人から電話がかかってきました。
頼むから、その動画を見てくれということでした。
その友人からの頼みとあっては、断るわけにも行かず仕方なしに見てみました。
香田さん手を拘束されて座っており、横でアルカイダの人間がイスラム法典か何かを読み上げます。
それが終わると、ナイフを持った男が香田さんの喉仏に正面からサクッとナイフを入れます。そのまま横に、、
ナイフに対して人間の首はなんて軟らかいものなのか。そう思いました。
その後、動画は途中が削除され、切断された頭部が確か、床に敷かれた星条旗の上に置かれてあり、そこで動画は終わりました。
削除された「途中」というのは首を切断する部分です。恐らく流出した本編にはあったものを、ファイル共有ソフトにアップロードする際に削除したのだと思います。
私はとんでもないものを見てしまった感覚になり、自分一人では収まりがつかない気持ちになりました。
友人から頼まれたとき、友人も一人では収まりがつかなくなったのでしょう。
だから誰かに聞いて欲しい。できれば誰か「仲間を作りたい」と思ったのでしょう。
私は昔から霊現象とか、超常現象を扱ったテレビ番組やビデオが好きです。
でも創作物や物語的なものには興味がなく、あくまで実際に撮影されたもの、映ってしまったものが好きです。
ですからフジテレビのほん怖 - ほんとにあった怖い話にはまったく興味がなく、映画「リング」も怖いとは思いません。
さっきの香田さん事件、2004年頃は夜になると部屋でDVDを借りて観ることが多くありました。
よく観ていたのは「ほんとにあった!呪いのビデオ」です。
これは投稿者からの映像を紹介して、いくつかは投稿者に取材をし、検証をするというものです。
最近は「やらせ」か?というのが増えてきました。
が、投稿映像には「え?!コワ!」というのも多くあります。
年に5作品ずつ出ていて、現在74巻が最新作です。
中でも2004年12月公開の14巻に「頭のおかしい老人」と名付けられた投稿があります。
投稿者が海外へ留学するため、親戚宅に挨拶に行ったとき、その様子をビデオ撮影した。ビデオカメラの録画停止ボタンが押されずにテーブルの上に置かれたままになった。
置かれたままのビデオカメラは部屋の奥にあるソファーを映しています。そのソファーには、いるはずのない老人が座っています。お茶を飲みながら。
やがて老人は湯飲みを床に置き、ソファーから立ち上がり、部屋を出ていきます。
その老人は半透明で背後が透けており、怖いことに湯飲みは本当にその場に置かれていました。
もちろん、親戚宅のものではありません。
その老人は、和服を着ており、とても現代の人間とは思えません。
ハリウッド映画のスタッフであれば、合成で作れる映像かも知れません。でも投稿者は一般人です。まして10年以上昔です。
また、投稿者はカメラを置いたとき、老人のいることに気づいており親戚の家族かと思い挨拶します。すると老人も挨拶するのをカメラが映しています。現実と老人がリンクしているのです。
あのときも私は、
「見てはいけないものを見た」気持ちになりました。
本当に怖かった。
今度は私も知人に見ることを勧め、仲間を作ろうとしていました。
でも知人が見たかどうか、わかりません。
そのとき私がしたことは、もっと怖いビデオを見たら老人のビデオをみた恐怖が上書きされるのだろうと思い、さらにビデオを借りてくることでした。
体験した恐怖から逃れるには、さらに上回る恐怖で上書きしていく。
あれは「ビデオ鑑賞」でしかなかったので、その恐怖は日に日に薄れていきました。
しかし、もしこれが「殺人」であったなら、本当に恐ろしいことです。
2017年10月01日
爪
爪って、だいたい1年で生え変わると思います。
専門家や医師に言わせたら、違うのかも知れません。が、私の爪を見ていると、だいたい一年で生まれては切られていくと思います。
小学6年生だったと思います。
土曜日は学校が「半ドン」でした。
4時間授業が午前中で終わり、給食なしで帰宅できるのです。
それはもう、遊びたいだけ遊べる週に一度の日。
平日は帰宅すると3時過ぎでしたから、日没が6時とすると3時間弱くらいしか外で遊べません。
夕日を恨めしく眺めた日が何度あったことか。
そんな土曜日は、友達と“爆竹”で遊ぶのがブームでした。
爆竹
わかりますよね。
株式会社田村栄商店(たむらえいしょうてん)様のサイト
http://www.tamuraei.co.jp/より引用。
爆竹一本一本が長い導火線でよってあり、20本で一束。
それが10束入って、当時は確か100円くらい。
爆竹一本一本には導火線があります。
形状はダイナマイトを小さくしたものです。
導火線に火を点けると、シューっと火花が進んで行き、「パーン」と破裂する。それだけです。
でも、私を含め、当時の子供たちは工夫していろいろな遊び方をしました。(のではないでしょうか?)
基本は地面に置いて、ただ破裂させる。
次には導火線に点火してから投げる。
これはタイミングが大切で、早すぎれば導火線の火が消えてしまい、不発になります。
遅いと投げる前に耳元で破裂します。
爆竹が破裂するときの音は
「パーン!」
ですが、耳元で聞こえる破裂音は
「キーン!」
です。
きっと「爆風」の気圧を小さくしたものでしょう。
また、耳元で破裂するケースはまだ、親指と人差し指でつまんだままですから、手中で破裂します。
すると人差し指と親指の、ちょうど持っていた箇所、皮膚が一時的に固くなりました。
次は何か目標を定めて「破壊」を試みるようになります。
空き瓶や空き缶。
冗談と思われても仕方ありませんが、そのとき思ったのは
ビンの中で破裂させると、「ビン!」と音がし、缶の中で破裂させると、「カン!」と音がします。
また、
たまたま近くに魔法瓶(わかりますよね?)が落ちていたものだから、魔法瓶の中で破裂させました。
・・・また話は迂回します。
「魔法瓶」とは、ヤカンなどで沸騰させたお湯を、冷めないように保存するポットです。
冷めないようにするため、いろいろな工夫がされていました。
まず、
「冷める」というのは熱が逃げること。
熱が逃げるというのは他に伝わってしまうということです。
熱の伝わり方は三つあり、
・伝導
・放射
・対流
です。
まず対流。
風呂でも鍋でも沸騰したお湯は外気に触れると、そこから冷めていきます。
冷めたお湯は体積が減り、密度が大きくなるので沈殿します。
すると上に押されたお湯は冷めるので、これを繰り返し全体が冷えていきます。
そうしないため、風呂でも鍋でも蓋をして外気と遮断します。魔法瓶も固く密閉します。
次に、伝導。
実験で見た方も多いと思います。金属棒の片側にろうそくを立て、反対側を熱すると、熱は金属棒を伝わり、ろうを溶かしてしまいます。
魔法瓶、中は二重構造になっています。ただの瓶ではありません。
二重構造の中は真空になっていて、熱を伝える媒体がないのです。
最後に放射。
黒い色は熱を吸収します。
私は反戦家なので、あまり触れたくありません。
でも、広島の原爆で黒い衣服を着ていた人が、ひどい火傷に苦しみました。
また、格子模様の衣服を着ていた人は、格子模様の火傷をしたようです。
黒い色が熱を吸収するため、魔法瓶の中は、銀(クローム)メッキされています。
正確には魔法瓶の本体、ガラス二重構造の空洞側がメッキされています。
中を見れば銀色のピカピカです。
失礼、
話は戻ります。
爆竹をしていて、魔法瓶の中で破裂させました。
音は「ビン!」です。
友人と、どうなったか駆け寄り、中を覗くとさっきまで銀色でピカピカだった魔法瓶が真っ暗になっています。
はじめ、びっくりしました。何が起こったのだろうと、
よく見ると、中のガラスが銀メッキを含め皆、割れていたのです。
さらに、それでも飽きてきます。
爆竹は不発がよくあります。
その不発の爆竹を集め、火薬を取り出すことに興味を持ちました。
爆竹は紙を巻いたもので、その中心に少しの火薬が仕込まれています。
集めた不発の爆竹を、ほぐして火薬を集めます。
小さじ一杯ほど集めたとき、火を点けたらどうなるのか、試してみました。
まったくバカなことに、余った導火線に火を点け、そのまま火薬に点火したのです。
もちろん、火薬は導火線を持った手をまるまる焼きます。
まるで昔、記念撮影をする人が片手に高くかざしたストロボが閃光するように、一瞬、目の前が真っ白になりました。
指を見ると真っ白です。
きっと火薬の燃えた跡です。
すぐに近くの水溜まりで手を洗いました。
水溜まりが汚いとかいう間はありません。
その後、2-3日すると導火線を持っていた左手の薬指に水ぶくれができ、指の太さは2倍に。
さらに爪がなくなりました。
爪が復活するのにかかったのは1年。
なので、爪の一生は一年と思いました。
いまでもそれは変わりません。
爪、表面がデコボコしていませんか?
私に何かあったとき、例えば体調を崩したとか、食生活が不規則になったときなど、爪の表面が凹みます。
溝になるというのか、、、
爪の一生が一年なら、爪の長さを12等分すれば、たとえば爪の生え際から4分の1のところに凹みがあるなら、3か月前になにかあった痕跡です。
私は何かあると、爪を見て自分の過去を思い出します。
そして、反省する必要があれば、見直すようにしています。
専門家や医師に言わせたら、違うのかも知れません。が、私の爪を見ていると、だいたい一年で生まれては切られていくと思います。
小学6年生だったと思います。
土曜日は学校が「半ドン」でした。
4時間授業が午前中で終わり、給食なしで帰宅できるのです。
それはもう、遊びたいだけ遊べる週に一度の日。
平日は帰宅すると3時過ぎでしたから、日没が6時とすると3時間弱くらいしか外で遊べません。
夕日を恨めしく眺めた日が何度あったことか。
そんな土曜日は、友達と“爆竹”で遊ぶのがブームでした。
爆竹
わかりますよね。
株式会社田村栄商店(たむらえいしょうてん)様のサイト
http://www.tamuraei.co.jp/より引用。
爆竹一本一本が長い導火線でよってあり、20本で一束。
それが10束入って、当時は確か100円くらい。
爆竹一本一本には導火線があります。
形状はダイナマイトを小さくしたものです。
導火線に火を点けると、シューっと火花が進んで行き、「パーン」と破裂する。それだけです。
でも、私を含め、当時の子供たちは工夫していろいろな遊び方をしました。(のではないでしょうか?)
基本は地面に置いて、ただ破裂させる。
次には導火線に点火してから投げる。
これはタイミングが大切で、早すぎれば導火線の火が消えてしまい、不発になります。
遅いと投げる前に耳元で破裂します。
爆竹が破裂するときの音は
「パーン!」
ですが、耳元で聞こえる破裂音は
「キーン!」
です。
きっと「爆風」の気圧を小さくしたものでしょう。
また、耳元で破裂するケースはまだ、親指と人差し指でつまんだままですから、手中で破裂します。
すると人差し指と親指の、ちょうど持っていた箇所、皮膚が一時的に固くなりました。
次は何か目標を定めて「破壊」を試みるようになります。
空き瓶や空き缶。
冗談と思われても仕方ありませんが、そのとき思ったのは
ビンの中で破裂させると、「ビン!」と音がし、缶の中で破裂させると、「カン!」と音がします。
また、
たまたま近くに魔法瓶(わかりますよね?)が落ちていたものだから、魔法瓶の中で破裂させました。
・・・また話は迂回します。
「魔法瓶」とは、ヤカンなどで沸騰させたお湯を、冷めないように保存するポットです。
冷めないようにするため、いろいろな工夫がされていました。
まず、
「冷める」というのは熱が逃げること。
熱が逃げるというのは他に伝わってしまうということです。
熱の伝わり方は三つあり、
・伝導
・放射
・対流
です。
まず対流。
風呂でも鍋でも沸騰したお湯は外気に触れると、そこから冷めていきます。
冷めたお湯は体積が減り、密度が大きくなるので沈殿します。
すると上に押されたお湯は冷めるので、これを繰り返し全体が冷えていきます。
そうしないため、風呂でも鍋でも蓋をして外気と遮断します。魔法瓶も固く密閉します。
次に、伝導。
実験で見た方も多いと思います。金属棒の片側にろうそくを立て、反対側を熱すると、熱は金属棒を伝わり、ろうを溶かしてしまいます。
魔法瓶、中は二重構造になっています。ただの瓶ではありません。
二重構造の中は真空になっていて、熱を伝える媒体がないのです。
最後に放射。
黒い色は熱を吸収します。
私は反戦家なので、あまり触れたくありません。
でも、広島の原爆で黒い衣服を着ていた人が、ひどい火傷に苦しみました。
また、格子模様の衣服を着ていた人は、格子模様の火傷をしたようです。
黒い色が熱を吸収するため、魔法瓶の中は、銀(クローム)メッキされています。
正確には魔法瓶の本体、ガラス二重構造の空洞側がメッキされています。
中を見れば銀色のピカピカです。
失礼、
話は戻ります。
爆竹をしていて、魔法瓶の中で破裂させました。
音は「ビン!」です。
友人と、どうなったか駆け寄り、中を覗くとさっきまで銀色でピカピカだった魔法瓶が真っ暗になっています。
はじめ、びっくりしました。何が起こったのだろうと、
よく見ると、中のガラスが銀メッキを含め皆、割れていたのです。
さらに、それでも飽きてきます。
爆竹は不発がよくあります。
その不発の爆竹を集め、火薬を取り出すことに興味を持ちました。
爆竹は紙を巻いたもので、その中心に少しの火薬が仕込まれています。
集めた不発の爆竹を、ほぐして火薬を集めます。
小さじ一杯ほど集めたとき、火を点けたらどうなるのか、試してみました。
まったくバカなことに、余った導火線に火を点け、そのまま火薬に点火したのです。
もちろん、火薬は導火線を持った手をまるまる焼きます。
まるで昔、記念撮影をする人が片手に高くかざしたストロボが閃光するように、一瞬、目の前が真っ白になりました。
指を見ると真っ白です。
きっと火薬の燃えた跡です。
すぐに近くの水溜まりで手を洗いました。
水溜まりが汚いとかいう間はありません。
その後、2-3日すると導火線を持っていた左手の薬指に水ぶくれができ、指の太さは2倍に。
さらに爪がなくなりました。
爪が復活するのにかかったのは1年。
なので、爪の一生は一年と思いました。
いまでもそれは変わりません。
爪、表面がデコボコしていませんか?
私に何かあったとき、例えば体調を崩したとか、食生活が不規則になったときなど、爪の表面が凹みます。
溝になるというのか、、、
爪の一生が一年なら、爪の長さを12等分すれば、たとえば爪の生え際から4分の1のところに凹みがあるなら、3か月前になにかあった痕跡です。
私は何かあると、爪を見て自分の過去を思い出します。
そして、反省する必要があれば、見直すようにしています。
2017年09月27日
未来から来たご先祖さま
タイムスリップものが好きです。
タイムスリップものなら何でもというわけではありませんが。
映画だと「ターミネーター(1)」「戦国自衛隊(1979年作品)」。
他にもいろいろありますけど、他はどうも・・。
ドラマでは「Jin -仁-」「ぼくの夏休み」、マンガでは「漂流教室」とか。
過去と現代がリンクしていて、ストーリーに矛盾のないものが好きです。
当たり前すぎて、あまり考えないことですが、人はいつも時間とともに過ごしていて、
楽しいことは少ないのに、面倒なこと、辛いこともたくさんあり、辛いことは歓迎しないのに、乗り越えてみるとそこには前より成長した自分がいる。
振り返ってそれを「歴史」というんじゃないですか?
楽しいことがあったとき、たとえば誰かと会って楽しい時間を過ごした。
その後、「昨日の今頃はまだ一緒に過ごしていたのに。」なんて「回想」することはありませんか?
昨日、松本零士先生の「戦場まんがシリーズ」に触れました。
松本零士さんの作品はとても数多く、「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」が著名ですね。
中には「男おいどん」という作品があります。実はこれ、松本零士さん初の大ヒット作品です。
九州から上京した浪人生、大山昇太(おおやま のぼった)が主人公です。
Wikipediaでは「上手くいかない、情けない若者の姿」とあります。
実は松本零士先生の回想録ではないか?との話も。
ただ、きっと多くの人たちの共感を得る作品だと思います。
昔の木造2階建てのアパート、「下宿館」に住み、部屋は4畳半。
下宿館は学生が多く、女性との接触もあるものの皆、結婚や卒業で幸せになり、いつも大山昇太の片思いで終わる。何かあるごとに、下宿館のオーナーである“バーサン”に同情され慰められる。
そんな下宿館で斜め向かいの部屋に住むスケ番の高校生が、ある夜、集団乱闘で車道に転び、車に轢かれて死ぬというアクシデントがありました。
それを聞いた大山昇太は、いたたまれず、公園に出かけます。
ついさっき、大山昇太はそのスケ番の高校生と公園のベンチに並んで座り、一緒にコーラを飲んでいたのです。
みると、コーラの空き缶がまだベンチに置いたまま、ありました。
楽しい出来事を運んできてくれる「時間」は良いヤツで、楽しかった出来事を遠ざけてしまう「時間」は残酷です。だけど、「時間」を抜きに何も語ることはできません。
私がタイムスリップものを好きになったのは、小学生のときに読んだ、マンガが始まりだと思います。
“週刊少年ジャンプ”1976年の2号に読み切りで載った、「未来から来たご先祖さま」です。
何しろ、消えかけている古い古い記憶。
数年前、登場人物とかストーリーなど憶えていることを頼りにネットで検索したところ、タイトルはどうやら「未来から来たご先祖さま」だということがわかりました。
いま改めて検索してみると、数年前に比べてヒット数はかなり減ってしまったと思います。
主人公は野中久太郎(のなか きゅうたろう)くんという少年。
ある日、ひょんなことから過去へタイムスリップしてしまいます。
タイムスリップしたのは、江戸時代後期だったか、明治の初期。
タイムスリップ物のお約束で、未来の文明を過去で紹介すると思います。
でも、その当時の「現代」だって今からすると40年以上前です。
スマートフォンはもちろんのこと、まだ当時はテレビゲームもなかった。
何を紹介したのでしょう?
たぶん、テレビやラジオっていうのがあって、街には車が走っているといったところでしょうか。
野中くんも昔の遊びに、カルチャーショックを受けます。
トイレには苦労したでしょうね。
昔の少年は野中久太郎という名前を、「最中食ったろう」みたいだと、からかいます。
それでも、子供たちはすぐに解け合いますから、仲良くなって現代の親を心配しながらも記念写真に写る。
夕日がきれいな日でした。
現代の親は、たまたま写真整理をしていて、先祖の集合写真を見つけます。
その中に、久太郎くんが写っているのを見て、
「久太郎そっくりだね、誰だろう?」
と話します。
夕方になっても久太郎くんは家に帰ってきません。
どうしたんだろうと心配する母親は、夕日をみています。
タイムスリップものなら何でもというわけではありませんが。
映画だと「ターミネーター(1)」「戦国自衛隊(1979年作品)」。
他にもいろいろありますけど、他はどうも・・。
ドラマでは「Jin -仁-」「ぼくの夏休み」、マンガでは「漂流教室」とか。
過去と現代がリンクしていて、ストーリーに矛盾のないものが好きです。
当たり前すぎて、あまり考えないことですが、人はいつも時間とともに過ごしていて、
楽しいことは少ないのに、面倒なこと、辛いこともたくさんあり、辛いことは歓迎しないのに、乗り越えてみるとそこには前より成長した自分がいる。
振り返ってそれを「歴史」というんじゃないですか?
楽しいことがあったとき、たとえば誰かと会って楽しい時間を過ごした。
その後、「昨日の今頃はまだ一緒に過ごしていたのに。」なんて「回想」することはありませんか?
昨日、松本零士先生の「戦場まんがシリーズ」に触れました。
松本零士さんの作品はとても数多く、「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」が著名ですね。
中には「男おいどん」という作品があります。実はこれ、松本零士さん初の大ヒット作品です。
九州から上京した浪人生、大山昇太(おおやま のぼった)が主人公です。
Wikipediaでは「上手くいかない、情けない若者の姿」とあります。
実は松本零士先生の回想録ではないか?との話も。
ただ、きっと多くの人たちの共感を得る作品だと思います。
昔の木造2階建てのアパート、「下宿館」に住み、部屋は4畳半。
下宿館は学生が多く、女性との接触もあるものの皆、結婚や卒業で幸せになり、いつも大山昇太の片思いで終わる。何かあるごとに、下宿館のオーナーである“バーサン”に同情され慰められる。
そんな下宿館で斜め向かいの部屋に住むスケ番の高校生が、ある夜、集団乱闘で車道に転び、車に轢かれて死ぬというアクシデントがありました。
それを聞いた大山昇太は、いたたまれず、公園に出かけます。
ついさっき、大山昇太はそのスケ番の高校生と公園のベンチに並んで座り、一緒にコーラを飲んでいたのです。
みると、コーラの空き缶がまだベンチに置いたまま、ありました。
楽しい出来事を運んできてくれる「時間」は良いヤツで、楽しかった出来事を遠ざけてしまう「時間」は残酷です。だけど、「時間」を抜きに何も語ることはできません。
私がタイムスリップものを好きになったのは、小学生のときに読んだ、マンガが始まりだと思います。
“週刊少年ジャンプ”1976年の2号に読み切りで載った、「未来から来たご先祖さま」です。
何しろ、消えかけている古い古い記憶。
数年前、登場人物とかストーリーなど憶えていることを頼りにネットで検索したところ、タイトルはどうやら「未来から来たご先祖さま」だということがわかりました。
いま改めて検索してみると、数年前に比べてヒット数はかなり減ってしまったと思います。
主人公は野中久太郎(のなか きゅうたろう)くんという少年。
ある日、ひょんなことから過去へタイムスリップしてしまいます。
タイムスリップしたのは、江戸時代後期だったか、明治の初期。
タイムスリップ物のお約束で、未来の文明を過去で紹介すると思います。
でも、その当時の「現代」だって今からすると40年以上前です。
スマートフォンはもちろんのこと、まだ当時はテレビゲームもなかった。
何を紹介したのでしょう?
たぶん、テレビやラジオっていうのがあって、街には車が走っているといったところでしょうか。
野中くんも昔の遊びに、カルチャーショックを受けます。
トイレには苦労したでしょうね。
昔の少年は野中久太郎という名前を、「最中食ったろう」みたいだと、からかいます。
それでも、子供たちはすぐに解け合いますから、仲良くなって現代の親を心配しながらも記念写真に写る。
夕日がきれいな日でした。
現代の親は、たまたま写真整理をしていて、先祖の集合写真を見つけます。
その中に、久太郎くんが写っているのを見て、
「久太郎そっくりだね、誰だろう?」
と話します。
夕方になっても久太郎くんは家に帰ってきません。
どうしたんだろうと心配する母親は、夕日をみています。
2017年09月26日
松本零士先生の「戦場まんがシリーズ」
松本零士先生による、古くは少年サンデーに不定期連載された、読み切りの短編マンガです。
いつだだったのか、小学校の夏休みを利用して、東北に住む従兄の家に何日間か滞在したとき、少年サンデーを借りて読んだら、その中に「ゼロ」という作品があり、なんとな〜く気に入ったので、「ちょうだい」と言ってもらって帰ったのが「戦場まんがシリーズ」との出逢いでした。
調べると「ゼロ」が掲載されたのは1974年とありますから、その辺りだと思います。
その後、確か1977年、スーパーで買い物をしているとき、単行本を見つけて次第に買い揃えていきました。
戦場まんがシリーズは、第二次世界大戦(昔の人は“大東亜戦争”と呼びますね)を舞台に、日本兵やドイツ兵を主人公として、不利な戦況を一生懸命に戦った、祖国を思う若者たちの物語です。
兵器、火力、食糧、兵力どれも圧倒的な連合軍を相手に、どうにか食い下がろうとした若者たち。ほぼ悲しい作品ばかりです。
実際の戦場は、もっと凄惨で血も涙もないものだったと思います。しかし、物語的にそこはストーリーを創作し、読みやすいマンガになっています。事実、戦争の勉強にもなります。
私は胸を打たれて、何度も読みました。
画像のリンクを載せておきますね。
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E9%9B%B6%E5%A3%AB+%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%8C%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwj0mZPousDWAhVLyLwKHalADJYQ7AkIWw&biw=1920&bih=974#imgrc=_
何しろ相手は憎き米兵、英兵たちです。
当時の私は、自己反戦教育、自己反米教育を自身にほどこしていきました。(笑)
しかし、今はどうでしょう?
米朝関係が毎日のようにニュースでも取り上げられ、ますます緊張は増すばかり。
最近、iPhoneでSmartNewsを見る頻度が増えました。
今日も、安倍総理は米国に北朝鮮攻撃を扇動していると、中国が韓国へ提唱したとか。
これは日韓関係を悪化させようとする中国の狙いだとか。
それにしても、まあまあ、日米関係は固い絆を結んだものです。
トランプ大統領と安倍首相は、いまや蜜月関係ですね。
戦後、GHQの作った日本国憲法。憲法第9条と整合性を持つように自衛隊は“専守防衛”です。
日米安保条約もあるため、日本はアメリカの傘に隠れているとか言われるのでしょうし、私もアメリカに頼る気持ちもあります。
今夜帰宅して、玄関のドアを開けるとき、「戦場まんがシリーズ」をふと思い出しました。
「あれ? 俺、子供の頃は反米だったよな?」
いつだだったのか、小学校の夏休みを利用して、東北に住む従兄の家に何日間か滞在したとき、少年サンデーを借りて読んだら、その中に「ゼロ」という作品があり、なんとな〜く気に入ったので、「ちょうだい」と言ってもらって帰ったのが「戦場まんがシリーズ」との出逢いでした。
調べると「ゼロ」が掲載されたのは1974年とありますから、その辺りだと思います。
その後、確か1977年、スーパーで買い物をしているとき、単行本を見つけて次第に買い揃えていきました。
戦場まんがシリーズは、第二次世界大戦(昔の人は“大東亜戦争”と呼びますね)を舞台に、日本兵やドイツ兵を主人公として、不利な戦況を一生懸命に戦った、祖国を思う若者たちの物語です。
兵器、火力、食糧、兵力どれも圧倒的な連合軍を相手に、どうにか食い下がろうとした若者たち。ほぼ悲しい作品ばかりです。
実際の戦場は、もっと凄惨で血も涙もないものだったと思います。しかし、物語的にそこはストーリーを創作し、読みやすいマンガになっています。事実、戦争の勉強にもなります。
私は胸を打たれて、何度も読みました。
画像のリンクを載せておきますね。
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E9%9B%B6%E5%A3%AB+%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%8C%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwj0mZPousDWAhVLyLwKHalADJYQ7AkIWw&biw=1920&bih=974#imgrc=_
何しろ相手は憎き米兵、英兵たちです。
当時の私は、自己反戦教育、自己反米教育を自身にほどこしていきました。(笑)
しかし、今はどうでしょう?
米朝関係が毎日のようにニュースでも取り上げられ、ますます緊張は増すばかり。
最近、iPhoneでSmartNewsを見る頻度が増えました。
今日も、安倍総理は米国に北朝鮮攻撃を扇動していると、中国が韓国へ提唱したとか。
これは日韓関係を悪化させようとする中国の狙いだとか。
それにしても、まあまあ、日米関係は固い絆を結んだものです。
トランプ大統領と安倍首相は、いまや蜜月関係ですね。
戦後、GHQの作った日本国憲法。憲法第9条と整合性を持つように自衛隊は“専守防衛”です。
日米安保条約もあるため、日本はアメリカの傘に隠れているとか言われるのでしょうし、私もアメリカに頼る気持ちもあります。
今夜帰宅して、玄関のドアを開けるとき、「戦場まんがシリーズ」をふと思い出しました。
「あれ? 俺、子供の頃は反米だったよな?」
2017年09月25日
八神純子
“八神純子”さんをご存知ですか?
シンガーソングライターです。
私の年代だと知らない人はいないでしょう。
デビューは1974年と、早かったようです。
しかし、世に出たのは1978年。5枚目のシングル、「水色の雨」でした。
私はすでにデビューしていたのを知らなかったので、水色の雨がデビュー曲と勘違いし、
「ものすごい歌が出てきたものだ」
と驚きでした。
今でこそ、星の数ほど歌がありますから、若い人たちがこの歌を聞いても、驚かないと思います。
でも、あの時代にあっては、聞いたことのないメロディ。三連符も使っている。
歌いだしのワンフレーズで中音域から高音域まで、インターバルで舐め上げるように動くのは当時、過去にはない旋律でした。
私にとっては衝撃でした。
(YouTube:09keiko)
水色の雨
2003年に私は、ある受験対策講座で半年間、10人の受講生を受け持ったことがありました。
その講座のカリキュラムにはデータベースの科目があり、その中に“SQL”が必須項目としてありました。
SQL
Structured Query Language
直訳すれば、構造化問合せ言語となります。
PCの用途は様々で、仕事といえばExcelなどスプレッドシートを使うことが多いでしょうか?
が、世の中でコンピュータの使われ方というのはデータベースが大半ではないでしょうか?
インターネットを使うとき、まず身近であるものがGoogleなどの検索エンジンでしょう。
データベースです。
コールセンターで使うPC。受信でも発信業務でも、顧客情報が出てくるシステム、データベースです。
使うのはまだ少し先のことですが、年賀状の宛名印刷ソフトもデータベースです。
家や会社に送られてくる請求書。
発行しているのはデータベースです。
会計的なシステムは一見データベースではないと思われがちですが、決算システムもデータベースです。
コールセンターのデータベースシステムはお客様一人ひとりの情報をお預かりするデータベースですし、請求書発行システムでは一つひとつの取引が一件のデータ。会計システムでは一つひとつの仕訳がデータです。
それらデータベースは、まず“SQL”という問合せ言語で動いていると思ってください。
問合せ言語ですから、例えば膨大なデータの中から年齢が20〜29歳までの人を抽出するとします。
SQLではこれを、
SELECT “氏名” FROM “名簿” WHERE “年齢” BETWEEN 20 AND 29;
と書きます。
だいぶ話が飛んでいるようですが、、、、
八神純子さんの歌に、「ハロー・アンド・グッドバイ」があります。
その中に、
Between Hello And Goodbye.
という歌詞があります。
出遭いと別れの間に、あなたはとても私を愛してくれたという歌詞です。
私は受験対策講座で、“BETWEEN 〇〇 AND 〇〇” 構文を説明するとき、
「八神純子さんの歌に、“Between Hello And Goodbye.”ってあるでしょう?」
と言いました。
すると、、
受講生は皆、
「はあ?」
という顔で私を見ます。
皆さん、「ハロー・アンド・グッドバイ」はおろか、八神純子さん自体知らなかったのです。
私にとっては八神純子さんについて、2度目の驚きでした。
当時の若い世代に、もう私の常識が通じないことを知った初めての経験でした。
さて、いつものことですが、話題があちこち飛び回ります。m(_ _)m
この記事はどのカテゴリになるのでしょう。
“音楽”でもあり、“随想”でもあり、“コンピュータの話”でもある。
随想ですね。
八神純子さんの数ある歌の中で私が一番好きなのは、これです。
(YouTube:Testuro Ma)
思い出は美しすぎて
この歌が「水色の雨」より先に発表されていたのは後に知りました。
それにしても、この「思い出は美しすぎて」の発売が八神純子さん、二十歳の誕生日ですから、成人前にこんな美しい歌を作り上げた八神純子さんは、やはりすごいと思います。
シンガーソングライターです。
私の年代だと知らない人はいないでしょう。
デビューは1974年と、早かったようです。
しかし、世に出たのは1978年。5枚目のシングル、「水色の雨」でした。
私はすでにデビューしていたのを知らなかったので、水色の雨がデビュー曲と勘違いし、
「ものすごい歌が出てきたものだ」
と驚きでした。
今でこそ、星の数ほど歌がありますから、若い人たちがこの歌を聞いても、驚かないと思います。
でも、あの時代にあっては、聞いたことのないメロディ。三連符も使っている。
歌いだしのワンフレーズで中音域から高音域まで、インターバルで舐め上げるように動くのは当時、過去にはない旋律でした。
私にとっては衝撃でした。
(YouTube:09keiko)
水色の雨
2003年に私は、ある受験対策講座で半年間、10人の受講生を受け持ったことがありました。
その講座のカリキュラムにはデータベースの科目があり、その中に“SQL”が必須項目としてありました。
SQL
Structured Query Language
直訳すれば、構造化問合せ言語となります。
PCの用途は様々で、仕事といえばExcelなどスプレッドシートを使うことが多いでしょうか?
が、世の中でコンピュータの使われ方というのはデータベースが大半ではないでしょうか?
インターネットを使うとき、まず身近であるものがGoogleなどの検索エンジンでしょう。
データベースです。
コールセンターで使うPC。受信でも発信業務でも、顧客情報が出てくるシステム、データベースです。
使うのはまだ少し先のことですが、年賀状の宛名印刷ソフトもデータベースです。
家や会社に送られてくる請求書。
発行しているのはデータベースです。
会計的なシステムは一見データベースではないと思われがちですが、決算システムもデータベースです。
コールセンターのデータベースシステムはお客様一人ひとりの情報をお預かりするデータベースですし、請求書発行システムでは一つひとつの取引が一件のデータ。会計システムでは一つひとつの仕訳がデータです。
それらデータベースは、まず“SQL”という問合せ言語で動いていると思ってください。
問合せ言語ですから、例えば膨大なデータの中から年齢が20〜29歳までの人を抽出するとします。
SQLではこれを、
SELECT “氏名” FROM “名簿” WHERE “年齢” BETWEEN 20 AND 29;
と書きます。
だいぶ話が飛んでいるようですが、、、、
八神純子さんの歌に、「ハロー・アンド・グッドバイ」があります。
その中に、
Between Hello And Goodbye.
という歌詞があります。
出遭いと別れの間に、あなたはとても私を愛してくれたという歌詞です。
私は受験対策講座で、“BETWEEN 〇〇 AND 〇〇” 構文を説明するとき、
「八神純子さんの歌に、“Between Hello And Goodbye.”ってあるでしょう?」
と言いました。
すると、、
受講生は皆、
「はあ?」
という顔で私を見ます。
皆さん、「ハロー・アンド・グッドバイ」はおろか、八神純子さん自体知らなかったのです。
私にとっては八神純子さんについて、2度目の驚きでした。
当時の若い世代に、もう私の常識が通じないことを知った初めての経験でした。
さて、いつものことですが、話題があちこち飛び回ります。m(_ _)m
この記事はどのカテゴリになるのでしょう。
“音楽”でもあり、“随想”でもあり、“コンピュータの話”でもある。
随想ですね。
八神純子さんの数ある歌の中で私が一番好きなのは、これです。
(YouTube:Testuro Ma)
思い出は美しすぎて
この歌が「水色の雨」より先に発表されていたのは後に知りました。
それにしても、この「思い出は美しすぎて」の発売が八神純子さん、二十歳の誕生日ですから、成人前にこんな美しい歌を作り上げた八神純子さんは、やはりすごいと思います。
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