2020年04月22日
世代
発信していると、いろんな世代に電話を架けることになります。
世代世代で特徴があると思います。
たとえばこれから30代に差し掛かっていく世代というのは、名前でわかりますね。
私たちの先輩が親になって、子供の名前をつけるときに一生懸命に考えていました。
「開斗(かいと)」とか「拓斗(たくと)」とか。
なんか、英語を持ってきた感じです。
私たちの世代にはなかった名前。
今の業務は最近では珍しく、画面に年齢が出てきます。
しかし他の業務では年齢を見ることがほぼ、なくなってきています。
でも、名前を見ることで、だいたいの世代がわかるというのも面白いと思います。
あと生意気なのは50代前半でしょう。
“頑固”の始まりでもある年齢です。
私も大差ないのでわかります。
架電するとき、私は柔らかく話しているつもりなんですが、声が低いのとゆっくり目に話します。
相手が20代とか30代だったらきっと、私の年齢というのもだいたい想像していると思います。
が、しかし50代前半になると、もしかしたら電話を架けてくるのは若いヤツと決めつけているのかも知れませんね。それが私のように低い声でゆっくり話してくると威圧的に思うのかも知れません。
なんか、いつの間にか挑戦的に応対してくる人間がたまにいます。
おいおい、私の方が年上なんだけど、なに威張ってるの?
また今の案内にはアンケートもあります。
アンケートを始めると、
「なんで教えなければならない?」
いやいや、こっちは下手に出て聞いているでしょう。なにムキになっているの?
このように、電話してくるのは若い者と決め付けるくらい頭が固くなりながら、ムキになるという幼なさ。
これが現在、50代前半の特徴なのかも知れません。
20代は大人と子供にハッキリ分かれます。
大丈夫かあ?って思う程、幼さを感じる人と、
おお、と思う程しっかりしている人に分かれます。
意外に曲者なのが、30代後半ですね。
なんかすることがアブナイというか、常識ない。
もちろん、皆ではないですけど。
例を挙げると、案内が始まると突然、電話を切る。
「あれ?」
それは30代後半というのが多い気がします。
黙って切る前に、いらないならそう言えば良いのに。
こっちから勝手に架けた電話だから、切るのも勝手。
しかし、それでは人と人との会話になっていないんです。
言っては悪いが、都合の悪いことからは逃げるやり方なのか?
この冬、私たち世代からは想像できないくらい倫理観の違う人と会いました。30代後半。
することに道筋がないし、あくまで自己中心的。それは不幸な生い立ちがあるからか知れませんが、傍若無人ではいけないでしょう。余計に私の中で30代後半のイメージが悪くなりました。
振り返ると30代は、まだ子供。
私の場合、30代半ばで疲れが抜けないようになり、また老眼が始まりました。
それでも周りはまだ先輩たちが多かったので、いうなればまだ発展途上。人生の上り坂です。
それが40代になると、体力や知力の限界が見え始め、上り坂から平坦地に。
これで初めて大人。
50代になると、体にもボロが出始めます。
ああ、これから死ぬまでこの体と付き合わなければならない。
新聞のおくやみ欄を見ていても残りの人生を数える方が、た易くなります。
もうそろそろ終活だって始めて良い頃。人生、完全に下り坂です。
しかし、ここまで来て初めて見えてくる“視座”というのがあると思うんです。
それがようやく見ることができるようになった“人生観”なのかも知れないです。
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