2020年03月18日
自転車と水泳
水泳は「泳げるようになった」。自転車は「乗れるようになった」と言いますが、違う気がします。
何が違うのかというと、できるようになったのでなく、できないから脱しただけだと。
私が泳げるようになったとき、練習したわけではないんです。
水を恐れずに浮いてみたらできた。
手を動かしたらクロールになった。
それだけでした。
自転車は練習しました。
私たちの時代は自分で練習したと思います。
ですが今では親や祖父母が教えるものになった感がします。
自転車はペダルで立つものです。
初めはよろよろと進んで、コケて。
いくどもそればーっかり繰り返して。
ところがあるとき、
よろけて倒れそうになった側のペダルを踏みこむと、自転車が立ち上がる感覚を得ます。
おぼろげに憶えているのは、確か左に倒れそうになったとき、左のペダルをこいだのです。
すると自転車は立ち上がりました。
それが私が自転車に乗れた瞬間でした。
バイクだってそうです。
傾いたバイクのスロットルを開ければバイクも立ち上がります。
あとは自転車に慣れていくだけでした。
もし、倒れる自転車をペダルで起こせば良いことにすぐ気づいたら、すぐ自転車に乗れたんだと思います。
冒頭の「違う気がします」というのは、
自転車に最後に乗ったのはいつか憶えていません。
水泳なんて最後に泳いだのはいつだったか。
どちらももう、何十年前でしょう。
しかしいま自転車に乗れと言われれば乗れると思います。乗れるはずです。
泳げと言われれば泳げるはずです。
これは体が憶えているからで、一度体が憶えたことは忘れません。
昔はギターを弾いていました。
8年くらい練習し続けました。
でもいま弾けと言われたって弾けないと思います。
自転車や水泳という単純な動作に比べるとギター演奏は複雑だと思います。
しかし昔弾いていたときの1/10くらいも弾けないんじゃないかと思います。
自転車に乗るバランス感覚は人間に、もともとそなわっているものでしょうし、水泳だって人間はもともと泳げる動物だと思います。だって動物は大昔、海で生きていたのでしょう。
でも自転車なら倒れてしまうという恐怖感が。水泳なら息ができなくなるから恐ろしいという恐怖感が邪魔をしてできないようにしているだけ。
その恐怖感を取り除いてしまえばもう、乗れるし、泳げるんです。
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