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2020年02月11日

ノムさん


 元監督の野村克也氏が逝ってしまいました。

 これは悲しい。
私が野村監督を知ったのは小学生のときです。パリーグ南海ホークス。

あの頃、プロ野球といえばテレビやラジオで読売巨人軍の中継のみ。
ジャイアンツと対戦するセリーグのチームを見られるくらい。
野球中継は放送時間の延長もなく、続きはラジオで。

プロ野球ニュースなんてありません。
9時まで野球中継を見たら次は映画劇場を見る流れです。
だからパリーグの試合や選手というのはほとんど見る機会がありませんでした。

そんなとき「きみは名捕手」という本を買ってきました。
当時現役捕手だった野村克也氏、田淵幸一氏、大矢明彦氏を取り上げています。

あの頃は阪神タイガースの田淵幸一氏が全盛期でした。
タイガースの四番打者で、王貞治氏を抜いてホームラン王を獲ったことも。
しかし私には田淵幸一氏よりも大矢明彦氏よりも、野村克也氏が一番光って見えましたね。

何しろ現役の捕手で四番打者で監督。
捕手は投手の配球を考え、野手の配置も作る現場監督です。
また試合中、ずっとしゃがんではいません。ゴロになれば一塁方向に走ります。

これはゴロを捕球した野手が一塁へ悪送球したとき、カバーするためです。
さらに野村監督は打席に立った打者にささやきかけ、心理的にプレッシャーをかけます。
守備が終わり攻撃になると今度はベンチに入って監督として指揮を執ります。休む間もありません。

プロ野球ニュースはありませんでしたが深夜帯のニュースでパリーグの試合結果は放送していたと思います。しかし子供だった私はその時間には部屋で何かをしていたか寝ていたか。
試合結果は翌日の新聞で知るくらい。

パリーグでは南海ホークスのファンだった私は、南海ホークスのサンバイザーをしていました。
あの薄い緑色が大好きでした。

当時、野村克也氏は40歳を過ぎた頃でした。
35歳で監督。戦後初の三冠王。3,017試合出場は日本プロ野球2位。
監督として6度のリーグ優勝、3度の日本一。平成の最多勝利記録(1,053勝)。
657本の本塁打は王貞治氏に次ぐ2位。通算打席数(11970打席)と通算打数(10472打数)も歴代1位。

こんなすごい記録の持ち主です。
ですが私には苦労人というイメージが先立ちます。
幼い頃に父を亡くし、看護師の母は2度、癌を患い家は極貧でした。

小学生だった野村克也氏は新聞配達やアイスキャンディー売りをして家計を助けたといいます。
「きみは名捕手」には野村克也氏の半生がマンガで描かれていました。
その中で克也氏が乳飲み子をおぶり、楽しそうに遊んでいる同世代の子供を羨ましそうに見ている姿が浮かんできます。
私は野村克也氏の輝かしい業績と同時にそんな幼少期もあったのだと考えてしまいます。

名将、ご冥福を。












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