2020年01月22日
幸せって
1999年、近くに住んでいた両親が岩手に行くことになりました。
以来、しばらく音信がなかったのですが、2001年の春に札幌で会おうとなり、私たち家族と札幌で会うことになりました。その後はずっと夏になれば岩手に呼ばれ、それが毎年、夏の家族旅行だったんです。
初めは飛行機で青森の三沢空港経由でした。が、千歳・三沢便が廃止され、船旅に。
船旅は苫小牧港から青森、八戸港までです。
八戸には両親が車で迎えに来ているから、私たちは車を苫小牧港へ置いてフェリーに乗ります。
八戸に着くと、大抵は岩手県に行きました。
中には青森のねぶた祭りを見に行ったり、八戸の三社大祭を見に行ったり。
八戸の三社大祭は見るまで知りませんでした。しかし大きな山車の行列が連なる、荘厳なお祭りです。
道路沿いには大勢の人たちがシートを敷いて座り、行列を最後まで見るには3時間近くもかかります。
決して贅沢な旅ではありませんでしたけど毎年、行く場所を変えては楽しみました。
帰りは八戸港から苫小牧港までフェリーに乗って帰ります。
夏だけでなく、春にも旅したことがあります。
夏は波が穏やかです。しかし春にはまだ海が時化ることだってあります。
一度、大しけの中、揺れるフェリーでまだ小さかった子供たちが吐いて大変な思いをしました。
夏は夏で、帰りは苫小牧港へ午後3時45分着です。
天気が良いと苫小牧港の駐車場に放置した車は、オーブントースターのようです。
困ったことに、車のエアコンが壊れていました。
妻が免許を取得したのは40歳のとき。免許を取って間もなく雪が降り、道路へ飛び出してきた犬を避けようとコースアウト。土手を落ちるように前部が中破。
もちろん車は修理に出しました。
でも、なぜだかエアコンのコンデンサだけ取り換えてくれませんでした。
通常ならクレームです。しかし修理工場の社長には大変世話になったので、クレームを言えませんでした。
北海道の夏は短いし、車もたまにしか使わなかったため、最後までエアコンは直しませんでした。
苫小牧港から帰るときはそんな車でまず、窓を全開にして暑い思いをして走りました。
でも“思い出”というのは、そんな中にあります。
幸せってお金じゃないなって思います。
かえって、お金のない滑稽さが創り出す家族の姿こそ美しいのかも知れません。
それがかけがえのない幸せを、あとから心に残します。
その後、私たち家族は札幌に来ます。
でも娘は高校生。高校を転校したくなかったのです。
幸い、妻の母がいたため卒業までの2年間、娘を預かってくれると。
娘は月に一度の割合で私たちの住む札幌の家まで遊びに来るのを楽しみにしていました。
もちろん、私も喜んで娘を迎えに行きました。
バスターミナルで待つ時間はなんとも言えません。
帰りに見送るときは寂しいですが、また来月会えます。
高校を卒業して大学へ。
家族4人の生活が札幌で始まります。
それはみんな一緒になって良いのですけど、トイレやフロ、シャワーを待つことになります。
その頃から大人の体をした子供と家族4人で暮らすのは3LDKの一軒家でも狭いと感じるようになりました。
娘が就職して何年か後、一人住まいをすると家を出たのは今から5年前です。
それでもときどき家に来ていたし、例えば家具を買って、組み立てが難儀なときには私が組み立てしに行き、その後ふたりで何か食べに行くとか。
ときどきでも良いんです。
ときどきだから良いのかも知れません。
さだまさしさんの歌に、“親父の一番長い日”があります。
娘を嫁に出す熱血おやじを息子であり兄である立場から歌った曲です。
この中に、
今は 我が家のいちばん
幸せなひととき も少し
このまま いさせてと
祈っていたのでしょう
という歌詞がります。
いま娘は結婚して所帯に収まりました。
そうなると今までとは少し事態が変わってきます。
娘の結婚宣言なんて突然で、あっという間に別の家族になります。
いま思えば、あの頃が“いちばん幸せなひととき”だったなんて、今になって気付きます。
幸せってお金じゃない。
旅行しているときも楽しいけど、幸せは地味に違うところにもあったんですね。
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