2017年04月08日
583系 ラストラン
(ここにある写真はすべて、40年以上前の古いものです。)
明けて今日、4月8日は583系ラストランです。
秋田、弘前間を2往復するようですね。
もし私がずーっと583系を追いかけ続けるような鉄道マニアなら、明日は東北まで足を運び最後の583系を見て感無量だったでしょう。
でも、そこまでではありません。
明日、本当の久しぶりに583系を見たとして、それは人々がごった返し、思い出の583系とは様子が違うだろう姿に、たぶん、がっかりしたろうと思います。
でもなぁ、何年見ていないんだろう、もう30年以上になるかなあ。
お互い歳をとってるんですね。
春は別れの季節です。
そして、きれいな思い出はそっとしまっておくべきで、仮に探しに行ったとしても、そこには現実しかありません。経験上。
昭和48年、宇都宮市に住んでいました。
宇都宮市は南北に田川が流れており、家はその田川沿いにありました。
田川に沿って歩いていくと、約1キロメートル先に宇都宮駅があります。
私が初めて583系に乗ったときは、その道を歩いて駅まで行きました。
ある晩、どうしてかは憶えていません。母、姉、私の3人は家の前でしばらく時間を過ごしていました。
駅の方角を見ると、川にかかる橋が何本か見え、川沿いの道は橋と交差しています。
駅は見えませんでしたが、だいたいあの辺というのがわかりました。
橋の交差点にはそれぞれ歩行者用の信号機があり、一定の間隔で
青 → 青点滅 → 赤になるのを繰り返しています。
近いものから遠くまで3箇所くらい。
夜だから暗い街の中に信号機くらいしか見えるものがありません。
でも私は子供心に、
「母が死んだら、きっとこの風景を思い出すに違いない。」
そう思いました。
その後、32年ぶりに宇都宮へ行く機会があり、私は楽しみに昔住んでいた家を探しました。
家はあったのですが、、、、
そこにあの風景はもう、ありませんでした。
川の対岸に大きな立体駐車場ができていて景色を遮り、あの川沿いの道など、一つ先の信号機も見えなくなっていました。
思い出はそればかりでなく、他にも訪ねてはがっかりして帰る。そればかり繰り返しているように思います。
明けて今日、4月8日は583系ラストランです。
秋田、弘前間を2往復するようですね。
もし私がずーっと583系を追いかけ続けるような鉄道マニアなら、明日は東北まで足を運び最後の583系を見て感無量だったでしょう。
でも、そこまでではありません。
明日、本当の久しぶりに583系を見たとして、それは人々がごった返し、思い出の583系とは様子が違うだろう姿に、たぶん、がっかりしたろうと思います。
でもなぁ、何年見ていないんだろう、もう30年以上になるかなあ。
お互い歳をとってるんですね。
春は別れの季節です。
そして、きれいな思い出はそっとしまっておくべきで、仮に探しに行ったとしても、そこには現実しかありません。経験上。
昭和48年、宇都宮市に住んでいました。
宇都宮市は南北に田川が流れており、家はその田川沿いにありました。
田川に沿って歩いていくと、約1キロメートル先に宇都宮駅があります。
私が初めて583系に乗ったときは、その道を歩いて駅まで行きました。
ある晩、どうしてかは憶えていません。母、姉、私の3人は家の前でしばらく時間を過ごしていました。
駅の方角を見ると、川にかかる橋が何本か見え、川沿いの道は橋と交差しています。
駅は見えませんでしたが、だいたいあの辺というのがわかりました。
橋の交差点にはそれぞれ歩行者用の信号機があり、一定の間隔で
青 → 青点滅 → 赤になるのを繰り返しています。
近いものから遠くまで3箇所くらい。
夜だから暗い街の中に信号機くらいしか見えるものがありません。
でも私は子供心に、
「母が死んだら、きっとこの風景を思い出すに違いない。」
そう思いました。
その後、32年ぶりに宇都宮へ行く機会があり、私は楽しみに昔住んでいた家を探しました。
家はあったのですが、、、、
そこにあの風景はもう、ありませんでした。
川の対岸に大きな立体駐車場ができていて景色を遮り、あの川沿いの道など、一つ先の信号機も見えなくなっていました。
思い出はそればかりでなく、他にも訪ねてはがっかりして帰る。そればかり繰り返しているように思います。
タグ:583系
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