2019年08月28日
戦車
今日はちょっと変わった話題です。
戦車。英語でいうと“タンク”です。
私は幼少時に母から教わっていたので、何の疑いも持ちませんでした。
でも、考えてみると“タンク”と“戦車”は結びつきません。
なぜかというと、イギリスで戦車の開発が始まったとき、機密保持のため“戦車”と言わず、開発コードを用いました。当時、第一次世界大戦時です。
開発中である戦車の形状から、“水槽” = “タンク”。
私の中で戦車の記憶として古いものが三つあります。
ひとつは、たぶんベトナム戦争で、ソ連の戦車が週刊誌に写真で掲載されたのを母から見せられました。
その戦車、スターリン戦車といい、砲塔がずいぶん前についています。
私はそれがおかしなデザインに思い、母に聞きました。
「どうしてこの戦車は(砲塔を指差し、)こんなに前に付いているの?」
まだ幼い私が「砲塔」という言葉を知るわけありません。
また、そんな無意味な質問に答えられる人だってほとんどいないでしょう。
当然のように母から返ってきた答えも、ごまかされたようなものでした。
ひとつはプラモデルです。
ある晩、父が戦車のプラモデルを持って帰ってきました。
父は私に興味を持つように、目の前で作り始めました。
しかし、
ご存知かと思います。プラモデルは部品が“ランナー”という、四角い枠に一つひとつ細い接点でつながっており、組み立てるときは部品をランナーから切り離して組み上げていきます。
私は父を手伝いたかっただけなんです。
父が組み立てている横で、ランナーから部品を一つずつもぎり取ってしまいました。
四角いランナーには「A」や「B」、「C」とアルファベットで名前が付いており、ランナーには部品を示す「1」〜「10」〜「20」・・・と番号が書いてあります。
例えば「A」ランナーに付いている「7」の部品は「A-7」です。
プラモデルには組立説明書が図解入りで付属していて、図には「A-7」のように部品が番号で書いてあります。
しかし、「7」とかいう番号はランナーに書いてあるため、私がもぎり取ってしまうと、部品には何も書いてありません。説明書に「A-7」と書いていても、どれが「A-7」なのか、わからなくなってしまいました。
説明書を凝視して作っていた父、私は手伝うつもりで邪魔をしてしまったのです。
もともと“機械”は苦手な父親でした。そのまま、父はリタイア。
でも私にはプラモデルがとても面白く感じ、説明書なしにそのまま作り上げました。
青森に住んでいた頃です。
その後、家族は東京に転居し、私は幼稚園に入園。
もう一つは東京に行って間もなく、自衛隊のパレードを見ました。
戦車が目の前を走って行きました。
そのとき見たのは“61式戦車”です。
自衛隊の戦車はデビューした年を形式にしています。
61式戦車は、1961年に登場。
主力戦車は、アメリカのお下がりから始まり、61式→74式→90式→10式と歩んできましたが、先進的なのか、それとも時の流れが速いのか、いま最新式の10式戦車は9年前の戦車です。
私が61式戦車のパレードをみたのはすでに1970年代だったと思います。
日本の戦車は年代が経過したとはいえ、性能は先進的なようです。
しかし戦車も核兵器も、威嚇に用意するにとどまり、実戦には使われないことを望みます。
核兵器も長崎以降いまだ実戦に使われたことはありません。
どちらもなくて良い世界が望ましいと思います。
1989年、天安門事件で戦車の前に立ちふさがり、抗議する人がいました。
あの光景はテレビで何度も見てきました。でも、あんな光景は二度と見たくないものです。
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