2019年08月26日
失敗
生きていると、なかった方が良い一日ってあると思います。
今のセンターは定休日が2日間と決まっており、週に5日働こうと思えば5日連続勤務になります。
今まで勤めてきたセンターは発信であれば自由に休みを取れました。例えば毎週、月、金とか。
月曜・金曜休みなら火・水・木と働いて金曜休み。土・日と働いて月曜休み。
このように、続けて3日間働くのが最大でした。
その昔は休みは日曜日だけ。毎週6日間の勤務でした。
それでもやりたいことはできたし、疲れることなんてなかったんですけどね。
先週は5連勤で最後の晩は懇親会。
それでも翌日から2日間休みだと思って、予定を入れてしまったんです。
それは単なる昼食会だったんですけれども。
人間、疲れたり余裕がなくなると自分のことしか考えられなくなりませんか。
普段は自分がこう発言したら相手はどう思うだろう?
そこまで考えてから会話を始めるのに、思いついたことだけ言ってしまう。
まして疲れて余裕がなくなっていることすら気付いていない。
昔、免許を取り立てだった若い頃、仕事が終るとすることはだいたい決まっていました。
友人と飲みに出ることも多かったのですが、それ以外は流していました。
「流す」
今の若い人にはない言葉だと思います。
あてもなく車で友人、または恋人と走ることです。
今と違い、我々の若い頃というのは“車”が生活に大きなウエイトを占めていました。
流すという言葉はもともとタクシー業界の言葉なのでしょうか。
タクシーがお客を求めて街中を走っている状態を、“流す”というのでしょう。
また、これはローカルかも知れません。
北海道旭川市では、
「糸を縫う」
という言葉がありました。
北海道は歴史が浅いため、街路事情はよく整備されています。
「碁盤の目」とか言われています。
札幌市も旭川市も中心部は駅を基点に碁盤の目状に整備されています。
その点、旭川市の方がコンパクトでシンプルなのかも知れません。
旭川市で“流す”とき、例えば1条通を1丁目から9丁目まで走り、交差する道路へ左折し2条通へ。
2条通は一方通行、1丁目まで戻り今度は3条通へ。3条通も一方通行なのでまた9丁目へ。
その様子がまるで糸を縫っているようなので、そう呼ばれていたようです。
そのように余暇の時間を過ごす方法に車が使われていました。
ある夜でした。
後輩を助手席に乗せて流していたとき、道端に犬が横になっているのを見つけました。
交通量が少ない田舎に住んでいたときです。
車を路肩に寄せて降り、犬を見ると、どうやら車にはねられたようです。
ケガをして苦しんでいるのでしょう。
犬は私たちを攻撃しようと噛みついてきます。
手負いの犬は心配している私たちに対しても自己防衛しようと。
なぜだか私は余裕がなくなってくると、この光景を思い出します。
私たちは犬を助けたくて電話しました。まだ携帯電話なんてありません。公衆電話からです。
どこへ電話したのか憶えていません。
が、しばらくすると車に乗って男性がやってきました。
男性は注射器を取り出し犬へ何かを注射。
聞けば、
「これで楽になる。」
と、半ば冗談のように言います。
犬を安楽死させたのだとわかりました。
同時に、その男性に怖い人という印象が残りました。
その男性は後々、仕事でお世話になることに。
本来は保健所の仕事でしょう。しかし小さな町だったので、役場の保険係の人でした。
“怖い人”というイメージを持った人は、杉澤さんという人です。
あとからその人と接触を持つようになり当初のイメージはなくなりましたが、別な怖さも知りました。(笑)
さて、今日の昼食会のため、せっかくの時間を作って下さったのに、私の無礼が連発してしまいました。
〜 なかった方が良い一日 〜
というのは私の言い訳で、本当は相手にとって、ない方が良かったのでしょう。
覆すようですがよく、
「なかったことにしてくれ!」
なんて言葉を聞きますが、そんな都合の良い話はないと思います。
〜 雨降って地固まる 〜
そのようになればと願います。
失敗した自分が将来の自分を創ります。
若い頃、好きで読んだ漫画、“ヒューマンスクランブル(人間交差点)”。
その中に好きな言葉がありました。
「やり直すために時間がある。」
ごめんなさい、mさん。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9121779
この記事へのトラックバック