2019年08月19日
中村雅俊
俳優、歌手、タレント、司会者。
毎週日曜、朝9:55からNTV系列で放映されている“誰だって波瀾爆笑”という番組があります。
私はこれが大好きで、見たいのですが仕事柄日曜は仕事。録画して見ています。
しかし昨年からなかなか見る時間もありません。
いったん見る機会を外してしまうと、見ていない録画が借金のようにどんどん溜まっていきます。
先日から妻の実家へ帰省していました。何もすることのない時間があります。テレビを見るしかありません。
日曜で、たまたまチャンネルがNTV系列だったため、“誰だって波瀾爆笑”をオンエアで見ることができました。
ゲストは柳沢慎吾さん。とても面白そう。
ところが義母が妻に話しかけるたび、テレビの音が聞こえなくなります。
義母は声が大きい。
帰宅してから録画で見ました。
この機会に見ていなかった録画を探します。
すると、2019/06/23に放映された、中村雅俊さんがゲストの回がありました。
中村雅俊さんはとても思い入れのある俳優です。
初主演のドラマは“われら青春”です。私は見ていません。
夜、ドラマが放送されているとき、親がチャンネルを占拠しており私は部屋でラジオを聞いていました。
その後、“俺たちの旅”が再放送されました。
それは夕方の時間帯で、初め、たまたま見たんだと思います。
とても好きなドラマです。
“カースケ”、“グズ六”、“オメダ”、三人の青春ドラマ。
中村雅俊さんは身長182cm。
私が高校生のとき、近くでドラマのロケがあると聞いていました。
見たかったのですが、なぜか気後れして、友人数名が見に行きました。
帰ってきた友人たちの感想。
「背が高くて、彫りの深い顔。」
「ジープに乗って街を走っていた。」
私だってそれなりに大きいのですが。
ほぼすべて負けているので仕方ないか。(笑)
中村雅俊さんには二人の姉がおり子供時代、包丁を持った上の姉に海岸まで追いかけられたとか。
私も姉に包丁を向けられたことがあります。家の中で。
慶応大学時代にはジーンズでゲタを履いていたそうです。
確かにドラマ“俺たちの旅”でそうでした。
思うと小学生だった私も、夏はジーンズにゲタを履いていました。影響を受けたのか。
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町出身。
震災後は復旧に尽力され、私は女川町をひとりで有名にしたと思っています。
また、歌が上手いです。
私が中村雅俊さんを知ったのは、“ふれあい”を歌っていたときだと思います。昭和49年の歌。
“ふれあい”も“いつか街で会ったなら”も、特に難しい歌ではないと思います。
しかしあの通りに歌おうとしても、なかなか難しいのではないでしょうか。
何気ない、あのビブラートコントロールはかなりの腕前です。
“俺たちの旅”と“ただお前がいい”は、それぞれドラマ“俺たちの旅”のオープニングとエンディングの歌です。
もちろん、シングルレコードは買いました。(笑)
作詞が小椋佳さんというのも、さすが。またご時世を感じます。
現在、68歳。まだまだ長生きしていただきたいお人です。
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