2019年08月07日
伝えたいこと
年配者と若者の接点はなくなるんでしょうか。
スマホで見た記事です。
よく憶えていないのですが、要は我々世代が若者に何かを伝えるのを若者は迷惑だという話。
その記事の中で若者の言い分として、
「過去の例(昔はこうだった)を出して説教するのは余計なお世話で、現代で自分たちも苦労をしている。」
わかります。
私も若い頃、同じ不満を持っていたと思います。
でも私は今の若者に、昔話をすることはありません。
ただ、私の話を説教と思われるのなら、それは残念です。
といっても私が若い者とつっこんだ話をすることは、まずありません。
仕事上では当たり障りのない、世間話をする程度です。
それでももし、聞いてくれるのなら惜しげもなく私は話すと思います。
非常に少ないケースですが、若者と一対一で飲みに行くとき、若者は嫌がるそぶりもなく聞いてくれると思っているのは私の勘違いでしょうか。
もちろん、私がすべての若者を説得できるとは思っていません。
私が伝えたいことは決まっています。
自分が二十歳くらいのときにはまだわからなかったこと。
それが、今になって「こういうことだったんだ」と理解できたことを伝えたいのです。
紆余曲折しながら時間をかけてようやく理解したこと。
その答えを伝えることができれば、若者は同じ苦労をしなくて済むだろうという考えです。
言い方として、
「こうすれば良いんじゃないか?」
「こういう方法もあるよ。」
「それはこうこう、こういう理由だから。」
そうなると思います。
決して、
「こうするべきだ。」
とか
「こうでなくてはならない。」
そんな押し付けはしないと思います。
上に書いた若者の言い分、そのような考えに至ったのは、先輩に問題があったのではないでしょうか。
確かに私の身の回りにも年下に対して説教っぽく話す人間もいる気がします。
でも私が年上からの説教を嫌がったのに、今度は私が嫌がられる説教をする番だとは思いません。
私は説教されるのは嫌いなのに、先輩の話は聞きたいと思った。
この違いなのでしょう。
これは単純に聞きたいか聞きたくないかの違いで、昔も今も変わらないと思います。
違うとすれば、昔ほど年功序列がなくなってきている。
年上が絶対的に偉い時代は終わったのでしょう。
昔、1995年の春に私はある組織の長になりました。
皮肉にも総会で挨拶をしているとき、私は
「ああ、組織の時代は終わった。」
そう空気で感じました。
そもそも年上だから偉い、というのは中国から伝わった儒教からだと思います。
昔はおサムライさんが偉かったし、天皇陛下万歳でした。
そうすることで秩序を守ろうとしました。
いま、会社にもコールセンターにも上司はいますが、儒教の教えに従う人はいないでしょう。
人事について
「なんでアイツが取り立てられる?」
そんな不満も出てきます。
コールセンターといえば特に人事について謎の多い職場です。
10年近く前、2ちゃんねるのスレッド、“喫煙室人事”
あれは私がいた札幌市内のセンターです。
SVたちが喫煙室でタバコを吸いながらリーダーを決めていくというもの。
SVは大抵30代で、可愛い後輩をリーダーとして自分の部下に付けます。
間違っても扱いづらい年上を、自分の部下に持とうとは思いません。
確かに若者はもの覚えも早いし、頭の回転も速い。
その中に我々世代が一緒にいたのでは、若者たちだって年上が偉いようには映らないでしょう。
大人も子供も昔と変わりありません。
でも、今の若者は年上を自分と同じ土俵で比べてきます。
それは組織が機能しない今であり、儒教の教えも消えてきた現代です。
サッカー少年は父親の小言は聞きたくないけど、中田英寿(古いか)の講演は聞きたいのです。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9049095
この記事へのトラックバック