2019年07月08日
会釈
見知らぬ人と席が隣になるとき、会釈の一つもできない人が多いですね。
私は通勤にバスを利用しています。
バスの座席で多いのは二人掛けの席です。
先に乗った人は窓側に座っていて、後からの人は通路側に座りますね。
私が後から座るときには必ず、窓側の人に軽く会釈をします。
また、私が先に座っていて後から来た人に会釈されたら私も会釈を返します。
ですが、会釈もできない人が多いですね。
空いている席だから自分も座るのが当然のように。
バスでなくとも会社で昼休憩のとき、休憩室のテーブルに座って昼食を摂っていると、混んでいるときなど、いきなり隣に座ってくる人がいます。
先に座っている人の隣に座るときは、ひと声掛けなさい!と。
「ご一緒してよろしいですか?」
たった、ひと声です。
バスに乗っていても会釈なしに隣に座られると当然ですが私は不快に思います。
また私が先に乗っていて、後から座った人よりも先に降りるとき、後から座った通路側の人に一度、席を立ってもらう必要があります。
前まではわざわざ立ってもらうので、手です「みません」の合図を送っていました。
しかし、その必要があるのかな?って疑問に感じました。
会釈がないのはお互い様です。
先日、ちょうどそんな状況になりました。
私は手で合図もせず、「私は降りるんだ」アピールに立ち上がり、隣の人を前に仁王立ちになりました。
すると隣の人は、慌てて立ち上がりリュックを下に落としてしまいました。
にもかかわらず、隣の人は通路を空けるのが当然のように譲ってくれました。
それを見て私は少し申し訳ない気になりました。
同時に、そんな謙虚な気持ちがあるのなら、なぜ、座るときの会釈一つできないのかと残念に思いました。
フタを一枚めくってみると何の争いも起こらない道徳観のある人なのに、なぜ座るときに会釈ひとつできないのか。
誰にも教わらなかったからなのか。
いえ、私だって誰かに教わったことなどありません。
ではその人はいつか自分で気が付くのか。
それにしてはもう遅いかも知れない。
そのような“礼儀”を学ぶ土壌が失われているのでしょうし、世間全般忙しい。
でもそんなコミュニケーションを学ぶ教室を作りましょう。という動きも各所で起こってきたようです。
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