2018年06月03日
ギターを弾かなくなったわけ
遅い方かも知れませんが、私がギターを弾き始めたのは高校に入るのと同時です。
周りでは中学生からフォークギターで「22歳の別れ」を弾くというのが定番だったような、、
でも私は中学の頃には“Fコード”を押さえるのに挫折して、コードはあまり関係なさそうなエレキギターから入ったのです。
もうひとつありました。
その昔、刑事ドラマといえば「太陽にほえろ」でした。
当時の人たちは、あまりすることがなかった(?)ので、「太陽にほえろ」のサウンドトラック、いわゆるアナログレコードを買ってきては聞きました。
その中の曲には「太陽にほえろのテーマ」とか、「情熱のテーマ」、「ジーパンのテーマ」とか、いちいち名前が付いていました。何のテーマだったか忘れてしまいましたが、ピアノで始まる大人しめの曲で、途中にギターソロが入ります。
小学生の時に買ったレコードでしたが、ずっとそのソロを自分で弾きたい、弾けるようになりたいと思っていました。
しかしゼロから始めるギターです。そのソロが弾けるようになるまで、数年かかりました。
だって楽譜なんて売っていませんし、ギターは弦が6本もあるし、フレットも22あるので、同じ旋律を弾くには何十通りも考えられるのです。
それでも高校時代にはギターをよく練習しました。テスト期間中には特に。
就職してからも仕事が終ってから弾いていました。
いま通勤時、私はスマホでランダムに曲を聞いています。ほとんどが古い歌ばかり。
その中にもギターソロはよく出てきます。
レッドツェッペリン、ジャーニー、オジーオズボーンバンド、ナイトレンジャー、ゲイリームーア、マイケルシェンカー、ToTo、ビートルズ、高中正義、矢沢永吉、RCサクセション、チューブ、サザンオールスターズ、オフコースなどなど、通勤時にかかる歌のほとんどは「昔、弾いたよな」って、今の自分には信じられないくらいレパートリーがあったことに驚きます。
おお、恥ずかし・・
ではなぜ、弾くのをやめてしまったのか。
まず第一には結婚です。
田舎の披露宴というのは、発起人たちの手作りです。
少なくとも昔はそうでした。
大抵は職場関係の人たちが発起人になります。
でも私は当時、会社という大きな組織には属していませんでした。
そのため、私と同じような立場にある人たちが組織を作ることを法律で定めています。
その組織に発起人を依頼するというのが、通例でした。
また、田舎の結婚式、披露宴というのは出席者の数が半端ではありません。
普通の結婚式で300人。親が社会的に立場のある人であれば、500人というのが相場でした。
そして発起人というのは出席者の10パーセントです。
ということは、300人なら30人。500人なら50人の発起人です。
“結婚披露宴”は、
「結婚すると報告したところ、有志の人たちがぜひ、祝賀会を開催させてほしいと発起人になる」
というのが建前なわけですから金銭的なお礼はしません。発起人会や当日の打ち上げで酒を振舞う程度です。
そのため、借りを作るといえば作ったことになります。
それが当時、私が発起人を頼んだ組織というのはイベントを手掛けていて、借りを返すのにはイベントを手伝わなくてはならない。当然のように思っていました。
そのイベントの準備に、結婚式が終ってからほぼ同時に毎晩、時間を費やすようになったのです。
ギターから離れたわけ。
それはまず、結婚式にからむことが第一にありました。
さらに、いくらギターソロが弾けたといっても、一人で弾いていては面白くありません。
当時、バンドは持っていました。
でも一人でギターソロを弾くのと違い、バンドで何十曲もレパートリーを持つのは無理です。
もしできたらそれは、プロとしてやっていけるバンドでしょう。
その前にイベントのため、集まることができなくなったバンドは空中消滅しました。
そして実生活に追われるようにギターを弾かなくなってしまいました。
ギターはまだ押入れにあります。二つ。
でも弦は4〜5年前に奇跡的に張り替えたまま。
奇跡的にというのは、張り替えた弦は結婚式の平成元年以前から持っていたものです。
「続けていればよかった。」
そう思うことが私には多くあり過ぎるような気がします。
周りでは中学生からフォークギターで「22歳の別れ」を弾くというのが定番だったような、、
でも私は中学の頃には“Fコード”を押さえるのに挫折して、コードはあまり関係なさそうなエレキギターから入ったのです。
もうひとつありました。
その昔、刑事ドラマといえば「太陽にほえろ」でした。
当時の人たちは、あまりすることがなかった(?)ので、「太陽にほえろ」のサウンドトラック、いわゆるアナログレコードを買ってきては聞きました。
その中の曲には「太陽にほえろのテーマ」とか、「情熱のテーマ」、「ジーパンのテーマ」とか、いちいち名前が付いていました。何のテーマだったか忘れてしまいましたが、ピアノで始まる大人しめの曲で、途中にギターソロが入ります。
小学生の時に買ったレコードでしたが、ずっとそのソロを自分で弾きたい、弾けるようになりたいと思っていました。
しかしゼロから始めるギターです。そのソロが弾けるようになるまで、数年かかりました。
だって楽譜なんて売っていませんし、ギターは弦が6本もあるし、フレットも22あるので、同じ旋律を弾くには何十通りも考えられるのです。
それでも高校時代にはギターをよく練習しました。テスト期間中には特に。
就職してからも仕事が終ってから弾いていました。
いま通勤時、私はスマホでランダムに曲を聞いています。ほとんどが古い歌ばかり。
その中にもギターソロはよく出てきます。
レッドツェッペリン、ジャーニー、オジーオズボーンバンド、ナイトレンジャー、ゲイリームーア、マイケルシェンカー、ToTo、ビートルズ、高中正義、矢沢永吉、RCサクセション、チューブ、サザンオールスターズ、オフコースなどなど、通勤時にかかる歌のほとんどは「昔、弾いたよな」って、今の自分には信じられないくらいレパートリーがあったことに驚きます。
おお、恥ずかし・・
ではなぜ、弾くのをやめてしまったのか。
まず第一には結婚です。
田舎の披露宴というのは、発起人たちの手作りです。
少なくとも昔はそうでした。
大抵は職場関係の人たちが発起人になります。
でも私は当時、会社という大きな組織には属していませんでした。
そのため、私と同じような立場にある人たちが組織を作ることを法律で定めています。
その組織に発起人を依頼するというのが、通例でした。
また、田舎の結婚式、披露宴というのは出席者の数が半端ではありません。
普通の結婚式で300人。親が社会的に立場のある人であれば、500人というのが相場でした。
そして発起人というのは出席者の10パーセントです。
ということは、300人なら30人。500人なら50人の発起人です。
“結婚披露宴”は、
「結婚すると報告したところ、有志の人たちがぜひ、祝賀会を開催させてほしいと発起人になる」
というのが建前なわけですから金銭的なお礼はしません。発起人会や当日の打ち上げで酒を振舞う程度です。
そのため、借りを作るといえば作ったことになります。
それが当時、私が発起人を頼んだ組織というのはイベントを手掛けていて、借りを返すのにはイベントを手伝わなくてはならない。当然のように思っていました。
そのイベントの準備に、結婚式が終ってからほぼ同時に毎晩、時間を費やすようになったのです。
ギターから離れたわけ。
それはまず、結婚式にからむことが第一にありました。
さらに、いくらギターソロが弾けたといっても、一人で弾いていては面白くありません。
当時、バンドは持っていました。
でも一人でギターソロを弾くのと違い、バンドで何十曲もレパートリーを持つのは無理です。
もしできたらそれは、プロとしてやっていけるバンドでしょう。
その前にイベントのため、集まることができなくなったバンドは空中消滅しました。
そして実生活に追われるようにギターを弾かなくなってしまいました。
ギターはまだ押入れにあります。二つ。
でも弦は4〜5年前に奇跡的に張り替えたまま。
奇跡的にというのは、張り替えた弦は結婚式の平成元年以前から持っていたものです。
「続けていればよかった。」
そう思うことが私には多くあり過ぎるような気がします。
タグ:ギター
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