2018年03月22日
約6q
今日は友人と仕事をサボり、早退。少し遊んで帰ってきました。
しかし時給で働いている私は、早退したことがバレるとカミさんに給与面で心配をかけてしまうので、通常通りの時間に帰宅したいところでした。
友人と別れたのが19:30。Googleマップで調べると家まで6km弱。バスなら20分。頑張って歩けば約1時間30分はかかるでしょう。だとすればちょうどいい。
普段バスで通っている道を歩いて帰れば、もし途中でギブアップしても、バスに乗れば良い。
まだ肋骨の骨折も痛みが残っているのに、歩いて帰ることにしました。
いつもはバスで見ている景色も、歩いて見るとまた違う発見もあると思いました。
歩いてわかったのは、あまり歩行者優先で道ができていないということでした。
交差点というのは横断歩道があると思い込んでいましたが、歩いてみるとそうでもないですね。
例えば大きな交差点なのに横断歩道はなく、あるのは大がかりな歩道橋のみ。回り道をしようにも横断歩道は見渡す限り近くにありません。お年寄りとかどうするのか心配になりました。
他にも信号機が赤で先へ進めないとき、歩いている国道を横断できれば早いのに、手前には横断歩道がなく、結局信号が青になるまで待たなくてはならないとか。
当たり前のようにバスや車で走っている道も、歩いてみると意外な発見があることを知りました。
それから一気に6km歩くと靴の底べりと靴下の疲労が心配になりました。
先日、肋骨を骨折したとき、まだ買って間もないソックスに一発で穴があきました。今日履いていたソックスもまだ2回目です。セコイことを書いているとお思いでしょうが、ソックスは336円、バス賃は210円です。(笑)
また、ご存知の方もおいででしょうか。
先日、3/5未明、北海道で死亡ひき逃げ事故がありました。
その現場は毎日バスで行き帰りしている道だというのは知っていました。
でも歩くのは初めてです。
あまり見たいものではありません。
でも見てしまいました。交差点に花束がひとつ、置いてありました。
話によれば被害者は、はねられたはずみで10m飛んだという記事と20m飛んだという記事があります。
いずれにしても尋常ではありません。本当に気の毒な事故です。
日没後とはいえ、普段は見ることのない景色も見ながら、約6kmの道のりを1時間20分かけて歩きました。
気温は1度から0.1度へ。耳や鼻がすっかり冷えてしまいました。
----------------
片道約6kmといえば、思い出すのが高校時代です。
親元を離れ、つい気持ちに羽根が生えてしまった頃です。
いま私はギャンブルを一切しません。
しかし高校時代には、やってみたい好奇心があり、毎晩のようにパチンコ屋へ通った時期があります。
パチンコといっても現在のように高いギャンブル性はなく、勝っても負けても1万数千円という時代でした。
とはいえ当時はスロットやパチンコのデジタル台が出始めた頃。どちらも当時からギャンブル性が高かったので、特にスロットはしませんでした。
(これほど古い台ではありません)
今パチンコは無定量ですが、当時はある程度玉が貯まると店内に放送がかかりました。
「〇〇〇番台、定量です。」
と。
定量になるとその台を放棄しなくてはなりません。
放棄するとその台は「定量台」と札が貼られて誰も打てなくなります。
でもしばらくすると、定量台の開放が始まります。
先着順だったか、くじ引きだったか憶えていませんが、2000円分の玉を借りると定量台を打つことができます。一度定量になるだけ玉が出た台だから、また勝てる確率も高いのです。
ギャンブル性の低かった当時は、負けが続きそうになったら定量台を買えば何とか挽回できるチャンスにも恵まれていた時代でした。
パチンコで勝った日は、知り合いの寿司屋さんに寄って寿司を食べビールを飲んでタクシーで帰る生活。
しかし負けると、、、
負けそうになると何とか閉店まで粘ります。
それでも勝てなかった場合、パチンコ屋が閉店する頃にもう、バスはありません。
負けたのだからタクシーで帰る金もありません。歩いて帰るのみです。
もちろん、高校当時パチンコに夢中になったのは私だけではありません。
恐らく10人くらいは毎晩のように通っていたと思います。
パチンコ屋が閉店すると、勝てなかった仲間が自然と集うようになっていました。
集った5~6名は、一緒に帰ります。
集った者、私も含め、ほぼ寮生でした。その寮までの道のりが6kmだったのです。
まだ高校生だからカワイイものです。それでもヤローばかりが何人も。(笑)
負けた者同士だから前向きな話題になるわけもなく、当時流行っていた中森明菜の歌、
「スローモーション」や「少女A」、「セカンドラブ」などを合唱して帰りました。(合掌!)
その6kmの道のりは1時間と30分かかりました。
人間の歩く速さは時速4kmなんだと、そのとき思いました。
パチンコも中毒になりますね。
パチンコ屋の音、タバコの臭い、それらが嫌だという人は多いと思います。
でも当時私は、その臭い、騒音が好きでした。なんかその環境に安心できました。
また、かかるBGMが当時の世相を表しているようで好きで聞いていました。
しかし時給で働いている私は、早退したことがバレるとカミさんに給与面で心配をかけてしまうので、通常通りの時間に帰宅したいところでした。
友人と別れたのが19:30。Googleマップで調べると家まで6km弱。バスなら20分。頑張って歩けば約1時間30分はかかるでしょう。だとすればちょうどいい。
普段バスで通っている道を歩いて帰れば、もし途中でギブアップしても、バスに乗れば良い。
まだ肋骨の骨折も痛みが残っているのに、歩いて帰ることにしました。
いつもはバスで見ている景色も、歩いて見るとまた違う発見もあると思いました。
歩いてわかったのは、あまり歩行者優先で道ができていないということでした。
交差点というのは横断歩道があると思い込んでいましたが、歩いてみるとそうでもないですね。
例えば大きな交差点なのに横断歩道はなく、あるのは大がかりな歩道橋のみ。回り道をしようにも横断歩道は見渡す限り近くにありません。お年寄りとかどうするのか心配になりました。
他にも信号機が赤で先へ進めないとき、歩いている国道を横断できれば早いのに、手前には横断歩道がなく、結局信号が青になるまで待たなくてはならないとか。
当たり前のようにバスや車で走っている道も、歩いてみると意外な発見があることを知りました。
それから一気に6km歩くと靴の底べりと靴下の疲労が心配になりました。
先日、肋骨を骨折したとき、まだ買って間もないソックスに一発で穴があきました。今日履いていたソックスもまだ2回目です。セコイことを書いているとお思いでしょうが、ソックスは336円、バス賃は210円です。(笑)
また、ご存知の方もおいででしょうか。
先日、3/5未明、北海道で死亡ひき逃げ事故がありました。
その現場は毎日バスで行き帰りしている道だというのは知っていました。
でも歩くのは初めてです。
あまり見たいものではありません。
でも見てしまいました。交差点に花束がひとつ、置いてありました。
話によれば被害者は、はねられたはずみで10m飛んだという記事と20m飛んだという記事があります。
いずれにしても尋常ではありません。本当に気の毒な事故です。
日没後とはいえ、普段は見ることのない景色も見ながら、約6kmの道のりを1時間20分かけて歩きました。
気温は1度から0.1度へ。耳や鼻がすっかり冷えてしまいました。
----------------
片道約6kmといえば、思い出すのが高校時代です。
親元を離れ、つい気持ちに羽根が生えてしまった頃です。
いま私はギャンブルを一切しません。
しかし高校時代には、やってみたい好奇心があり、毎晩のようにパチンコ屋へ通った時期があります。
パチンコといっても現在のように高いギャンブル性はなく、勝っても負けても1万数千円という時代でした。
とはいえ当時はスロットやパチンコのデジタル台が出始めた頃。どちらも当時からギャンブル性が高かったので、特にスロットはしませんでした。
(これほど古い台ではありません)
今パチンコは無定量ですが、当時はある程度玉が貯まると店内に放送がかかりました。
「〇〇〇番台、定量です。」
と。
定量になるとその台を放棄しなくてはなりません。
放棄するとその台は「定量台」と札が貼られて誰も打てなくなります。
でもしばらくすると、定量台の開放が始まります。
先着順だったか、くじ引きだったか憶えていませんが、2000円分の玉を借りると定量台を打つことができます。一度定量になるだけ玉が出た台だから、また勝てる確率も高いのです。
ギャンブル性の低かった当時は、負けが続きそうになったら定量台を買えば何とか挽回できるチャンスにも恵まれていた時代でした。
パチンコで勝った日は、知り合いの寿司屋さんに寄って寿司を食べビールを飲んでタクシーで帰る生活。
しかし負けると、、、
負けそうになると何とか閉店まで粘ります。
それでも勝てなかった場合、パチンコ屋が閉店する頃にもう、バスはありません。
負けたのだからタクシーで帰る金もありません。歩いて帰るのみです。
もちろん、高校当時パチンコに夢中になったのは私だけではありません。
恐らく10人くらいは毎晩のように通っていたと思います。
パチンコ屋が閉店すると、勝てなかった仲間が自然と集うようになっていました。
集った5~6名は、一緒に帰ります。
集った者、私も含め、ほぼ寮生でした。その寮までの道のりが6kmだったのです。
まだ高校生だからカワイイものです。それでもヤローばかりが何人も。(笑)
負けた者同士だから前向きな話題になるわけもなく、当時流行っていた中森明菜の歌、
「スローモーション」や「少女A」、「セカンドラブ」などを合唱して帰りました。(合掌!)
その6kmの道のりは1時間と30分かかりました。
人間の歩く速さは時速4kmなんだと、そのとき思いました。
パチンコも中毒になりますね。
パチンコ屋の音、タバコの臭い、それらが嫌だという人は多いと思います。
でも当時私は、その臭い、騒音が好きでした。なんかその環境に安心できました。
また、かかるBGMが当時の世相を表しているようで好きで聞いていました。
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