2017年11月06日
モラル
歳を取れば人間、丸くなるとか言いますね。
確かにそれはあります。
でも、別なところで角が立つこともあると思います。
いわゆる「頑固じじい」?
きっと大人になったばかりの頃、成人を過ぎたあたりに先輩から教わっているのではないですか?
「大人のケンカはするべきではない」
と。
ケンカをしないことで我慢して、ストレスは溜まるけれど学習して、
静観することで理性で抑えることを学ぶ。
歳を取れば次第にだんだんと体力も威勢も落ちてくるし、ケンカした後の結果も予想がついてくるので、
「それならケンカはまずいよね!」
と達観できるのは良いことです。
また、今までの経験を活かして自分の行動を客観的に見られるようになります。
若い頃は右も左もわからず、ただやってみようで済んだことが、いくつもの失敗を繰り返してやがて、自分のするべきことが「人のため」「人に迷惑をかけない」というのに気が付いて、人に思いやりを持つようになると思います。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
まさにこれで、自分が今まで生きてこられたのは皆様のおかげ。
おかげなんですよね。
そうやって長い年月をかけ、モラルに磨きをかけてゆく。
あらゆる場面で「これはいい」「これはダメ」と的確に答えを出すことができる。
これを世間では分別(ふんべつ)といい、「これはいいけど、あれはダメ。それはこうこうこうだから」と自身で判断できるようになる。
これが「分別がつく」ということだと思います。
またそれは50歳を過ぎた頃に身に付けるものかとも思います。
ところが、、
おせっかいなのか、老婆心なのか、単なる我がままなのか、はたまた老化現象なのか・・・
人にもそれを要求するようになっていました。
バス停に並ぶ割り込みなら声に出して注意することはときどきあります。
まして相手は、当然分別のあるはずな高齢者たちです。
しかしバスの中では注意しづらいです。
2017/08/02の「はしたない」に書いた、バス内でメロンパンを食べ散らかす人や、
2017/01/08の「バス乗車時のエチケット」に書いた、バスの降車ボタンを押すとき、人の目前に手を伸ばす人は許せません。
そんなことを平気でする人たちだから、きっと人から厳しく指導されたことはないのでは?
それを会ったこともない私が、しかもバス中で注意するには時間が足りません。
場合によっては狭いバス空間で相手は騒ぎ出すかもしれません。逆ギレ。
先日一度ありました。私の額、その上に手を伸ばし降車ボタンを押した若いサラリーマン。
私はその手首をピシャっと叩きました。
でも額の上だったから、角度が悪く中途半端な叩きになりました。
まして、その男はすぐに降りてしまったので注意するには至りませんでした。
男は不思議な顔をしていました。きっと私が手首を叩いた意味はわからなかったでしょう。
それら、
叱られ慣れていないだろう若者たちは、いったい誰が作ったのか。
学校か?親か?
どっちもどっちであろうし、バスの中で注意しづらい環境も私を含め今の社会が招いた現象だと思います。
バス待ちにせよ、バスの中、もちろんそれ以外でも、社会に不快な思いをさせる人たちは私たち社会の責任であると思います。
確かにそれはあります。
でも、別なところで角が立つこともあると思います。
いわゆる「頑固じじい」?
きっと大人になったばかりの頃、成人を過ぎたあたりに先輩から教わっているのではないですか?
「大人のケンカはするべきではない」
と。
ケンカをしないことで我慢して、ストレスは溜まるけれど学習して、
静観することで理性で抑えることを学ぶ。
歳を取れば次第にだんだんと体力も威勢も落ちてくるし、ケンカした後の結果も予想がついてくるので、
「それならケンカはまずいよね!」
と達観できるのは良いことです。
また、今までの経験を活かして自分の行動を客観的に見られるようになります。
若い頃は右も左もわからず、ただやってみようで済んだことが、いくつもの失敗を繰り返してやがて、自分のするべきことが「人のため」「人に迷惑をかけない」というのに気が付いて、人に思いやりを持つようになると思います。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
まさにこれで、自分が今まで生きてこられたのは皆様のおかげ。
おかげなんですよね。
そうやって長い年月をかけ、モラルに磨きをかけてゆく。
あらゆる場面で「これはいい」「これはダメ」と的確に答えを出すことができる。
これを世間では分別(ふんべつ)といい、「これはいいけど、あれはダメ。それはこうこうこうだから」と自身で判断できるようになる。
これが「分別がつく」ということだと思います。
またそれは50歳を過ぎた頃に身に付けるものかとも思います。
ところが、、
おせっかいなのか、老婆心なのか、単なる我がままなのか、はたまた老化現象なのか・・・
人にもそれを要求するようになっていました。
バス停に並ぶ割り込みなら声に出して注意することはときどきあります。
まして相手は、当然分別のあるはずな高齢者たちです。
しかしバスの中では注意しづらいです。
2017/08/02の「はしたない」に書いた、バス内でメロンパンを食べ散らかす人や、
2017/01/08の「バス乗車時のエチケット」に書いた、バスの降車ボタンを押すとき、人の目前に手を伸ばす人は許せません。
そんなことを平気でする人たちだから、きっと人から厳しく指導されたことはないのでは?
それを会ったこともない私が、しかもバス中で注意するには時間が足りません。
場合によっては狭いバス空間で相手は騒ぎ出すかもしれません。逆ギレ。
先日一度ありました。私の額、その上に手を伸ばし降車ボタンを押した若いサラリーマン。
私はその手首をピシャっと叩きました。
でも額の上だったから、角度が悪く中途半端な叩きになりました。
まして、その男はすぐに降りてしまったので注意するには至りませんでした。
男は不思議な顔をしていました。きっと私が手首を叩いた意味はわからなかったでしょう。
それら、
叱られ慣れていないだろう若者たちは、いったい誰が作ったのか。
学校か?親か?
どっちもどっちであろうし、バスの中で注意しづらい環境も私を含め今の社会が招いた現象だと思います。
バス待ちにせよ、バスの中、もちろんそれ以外でも、社会に不快な思いをさせる人たちは私たち社会の責任であると思います。
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