2023年07月24日
ファースト??
これは私がまだ小学生だった頃、父が私に持った過度な評価と、過ぎた期待です。
私がまだ30代だった頃だと思います。いつの間にか子供たちの憧れはサッカーのJリーグになりました。だけど私がまだ小学生の頃、男の子の憧れはプロ野球選手でした。
当時の花形は読売巨人軍の王、長嶋。私は某球団のファンでしたから、某キャッチャーのファンでしたが。
あの当時、某、名キャッチャーといえば2名、ないしは3名出てくると思います。一人は監督でキャッチャー、ホームラン王にもなりました。一人はホームラン王、もう一人は野球界のエリートっていうイメージがあります。
私は前者2名のファンでした。
今はどうなのでしょう?私が小学生のとき、男の子はみなグローブを持っていた気がします。私も二つ持っていたんです。でも一つはクセの付け方が上手くいかず、実際はいつも同じものを使っていました。
ただ、
地元の少年野球チームとか入ってはいませんでした。
なぜか?それを書くと一話分になりそうなので、割愛します。
では何をしていたのかというと、放課後に友人とキャッチボール。
または3人になると一人がバットを持ち、3人野球でした。当時私の家は細い通りから曲がった袋小路にあって、その袋小路で3人野球をしていたんです。
それが大人になって再び訪れてみると、狭い。
よくこんなところで3人野球をしていたものだと思うのですが、3人野球のときはプラバットと軟式テニスのボールを使っていたと思います。とにかく、キャッチボール程度がほとんどでした。
また当時は、野球全盛時代でした。毎晩、プロ野球がテレビ中継され、どこの家でも観ることができました。ただ、野球中継は午後9時で終わり。
そのあとはラジオで中継の続きを聞いていたんです。それくらい、夜の娯楽はプロ野球でした。
サッカーはJリーグなんて、まだありません。サッカーをしたのは、東京で雪が積もったときだけでした。
雪が降って積もると、東京の小学校は1・2時間目が自由時間になりました。
すると校庭で遊ぶんです。いつも校庭に置いてあるサッカーゴールが、そのときだけ生徒が使うものになったんですね。
私の小学校時代、少年野球チームを聞いたことはありましたが、少年サッカーチームというのは聞いたことがありませんでした。
とにかく憧れのプロ選手は野球という時代でした。
するとプロの使う硬球、、、硬式ボールが欲しくなります。羊の皮を巻いて、赤い糸で縫い上げたボールこそが、本物の野球ボールと思えてきたんです。
小学生でも買うことができました。1977年当時、1球1,000円くらいだったと思います。
それをいつの間にか、私の父は見ていたんです。
ある日、父に言われました。
「来週の日曜日、試合に出てくれないか?」
へ?
聞くと、父は会社の野球チームの所属しており、日曜日に試合があるけど、自分のチームに欠員が出たとのこと。そのポジションがファーストだというんです。
そして父は仲間に聞かれたそうです。
「小学生で大丈夫か?」
と。
私の父、どうも私を買いかぶるところがありました。父が仲間に返したのは、
「何言ってんだ、息子は硬球やっているんだ!」
私は、
「待て〜い!」
と思いましたが、もうそこまで話が決まっているなら、逃げようのないことだと思ってしまいました。
ファーストですよ。
ゴロを打ったら、ショートバウンドが飛んできますよ。それも大人の球速で。
いえ、手加減して緩いボールを投げてくれるかも知れません。でもわかりません。
終わってみれば、私が試合に出ることはありませんでした。
だけど、私が持ってみたいと買った硬式ボールを見ただけで、
「何言ってんだ、息子は硬球やっているんだ!」
と、盛る父なんだと意識したのはそのときでした。
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