2023年07月16日
代用員
Youtubeを見ていたら、関連動画に
・【海外の反応】「由緒あるパレードに日本からは高校生だなんて…w」別格の演奏と共に突如現れたオレンジ色の日本人たち︎5秒後、退屈そうなアメリカ人の態度が激変!
というのが出てきました。
何となく見ることにしたんです。
マーチングバンドです。
見ているうち、昔のことを思い出しました。
私は中学校の3年間、吹奏楽部に入っていました。
小学校の卒業と同時に北海道へ引っ越してきて、周りには知人が誰もいない中、担任の先生から
「お前は吹奏楽部だから。」
と告げられました。
冗談じゃない。
私は小学校時代、音楽の成績は5段階の評価中“2”でしたから。
しかし担任は吹奏楽部の顧問。そして私が高校へ進学して間もなく他界しました。
さらに、大人になってわかったことは、顧問の先生は自ら死期が近づいていることに気付いていたのか、過去にコンクールで全国大会へ行った曲目を選曲していたんです。
「もう一度、、」
に賭けていたのでしょう。
それにしても厳しい吹奏楽部でした。体育会系の吹奏楽部でした。(笑)
1年生のときは毎日、先輩からビンタを喰らっていました。よく続いたと思います。
あと、何か失敗すると、
「ハイ30度!」
って、仰向けに寝て腹筋の足上げをさせられました。吹奏楽だから、腹筋を鍛える必要があります。
たぶん、私はいまでも30度の足上げは5分以上、できると思います。
それに休みがありませんでした。
あの頃はまだ週休二日制ではありません。土曜日は半ドンでした。土曜日は親に弁当を作ってもらい、午後から夕方6時まで練習。日曜日も朝9時に集まって夕方まで練習。夏・冬・春休みもそうでした。
そんな部活でしたから、練習だって基礎からみっちりやります。初めは楽器なんて触らせてももらえません。呼吸法の練習から始まりました。ティッシュペーパーを2cm幅くらいにちぎって、それを指でぶら下げ、だらんと下がらないように、息を吹き続ける練習。頭がクラクラしてきます。脳が酸素過多状態ですね。
次はバジングといって、楽器を使わず、上唇と下唇とを震わせて、「ブー」っと音を出す練習。その後にやっと、楽器に触ることができました。
当時住んでいたのは田舎町です。その町では何かイベントがあると我々、吹奏楽部が駆り出されていました。マーチングバンドです。
たとえばお祭りとか、中体連の壮行会とかあると、町中を関係者や生徒たちがパレードするんです。その先頭を我々吹奏楽部が先導したんです。
だいたい6月くらいから8月まで、ときどき行われていたと思います。
ある日、命令が下りました。
吹奏楽部の行進に参加しなさいと。
(ちょ、ちょっと待て〜い!)
まだ6月だったと思います。
呼吸法という基礎の基礎から始めるんです。6月といえばまだ楽器で音出しだって満足にできない頃です。それに楽譜だって渡されてません。
「演奏している振りをすればいい。」
と。
吹奏楽部の行進は4列で組みます。しかし私のパートであるトランペットは、先輩が3人しかいなかったのです。
仕方なく参加するしかありませんでした。
でも、吹いていないのがバレるんじゃないかって、気が気ではなかったです。
当時の写真がありますが、とっても暗い顔をして写っています。
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