2023年06月27日
都会っ子
私、都会っ子だったんです。
ただし、そのギャップがひどい。
相変わらずコールセンターの仕事は暇との戦いです。
そしたらまたも、ただ黙ってじっとしているうち、いろいろなことを思い出します。
私が小学校5・6年生の頃、どこへでも行けたんですね。あの頃は東京の江戸川区に住んでいました。
思い出したのは、小学校6年生のとき、夏にスーパーカーフェアが東京晴海で開催されました。以前に住んでいた宇都宮市の友人もスーパーカーフェアを見たいといって、東京に呼んだんです。
そして二人で見に行きました。
江戸川区から晴海まで、どのようにして行ったのか、もう憶えていません。
きっと国電(現JR)とバスを使ったんだと思います。でも何ら苦労もなく行けたのを憶えています。
もう一つ、私は東京で江東区から江戸川区へ転居しました。
江東区にいたとき、同じクラスの女子にひたすら恋していました。
いま思うと何を考えたんだか。
バラの花を持って、告りに行ったんです。(笑)
あのときも江戸川区から江東区へバスに乗っていったんです。
都営バスは定額制です。あのとき大人70円、子供40円でした。
インターネットもスマホもない時代、どこの停留所から乗って、どこで降りれば良いのか。どのように調べたのか憶えていないんです。
だけど、簡単に行けたのは憶えています。
たぶん路線図があって、時刻表の時間は関係なしに、ただ行けただけなんだと思います。
でも今、ネットもスマホもなかったら、行けるのかな?って思います。
小学校6年生の夏休み、北海道で親戚一同が会しました。
あのとき、叔母たちの会話で、
「私がひとりで東京から札幌まで来ることができるのか?」
って話になったんです。
叔母たちは
「無理無理!」
と言いました。
しかし私の母はそれをジェスチャー付きで否定して
「いや、来れるの!」
って言ったんです。
実際、来れました。
来れたと思う、、じゃなくて来れました。
私は小学生のときは「鉄ちゃん」で、時刻表を読むことは当たり前。
しかし時刻表には駅の到・発着時間しか書いてありません。
撮り鉄として走っている電車を撮影するには、止まっている時刻表では役に立たないことを知っていたから、ダイヤ表を持って撮影に行っていました。
だから小学生でも東京から北海道の親せき宅まで来ることは大したことではないと思っていました。
しかし、、
中学校へ入学すると同時に北海道の田舎町。それも人口が1万人ちょっとくらいの町に引っ越したんです。
その町には明らかなローカル線しかありませんでした。だから撮り鉄も終わり。
鉄道にせよ、なんにせよ、あるとないとでは大違いです。そういったインフラがなければ、極端な話、使う脳も限られてしまうと思います。
いま、札幌市の高層ビルで仕事しています。
今月で業務が終了するから、出勤するのはあと二日。
22階の窓から札幌テレビ塔が見えます。
それも視線とほぼ同じ高さで見えるんです。
東京から北海道の田舎へ引っ越してきた中学時代。
3年生の修学旅行で自由時間のとき、テレビ塔に昇りました。
あのとき、恥ずかしいかな、札幌市が都会に感じてなりませんでした。
でもね、その前に私、都会っ子だったんですよ。
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