2023年06月05日
屋台への思い
昨夜書いた広い道というのは一昨年、訪れてみると、それほど広い道ではありませんでした。
まだ小学生だった私にとって体が小さかったことから、もっと広い道に感じたのでしょう。
あの江東区にいた頃、まだ昔の、それこそ昭和の時代を感じることがいろいろありました。
まず高い建物が少ない。だから住んでいた団地の8階から隣の錦糸町駅が見えたんです。同じく8階から道路を工事しているのが夜間でも見えました。
当時は何の工事だかわかりませんでしたが、地下鉄都営新宿線を掘っていたんです。
そこは後の、西大島駅になっています。
また当時、昭和50年頃でした。1975年です。
新しくできたのがカルビーのポテトチップスでした。話題になったのがテレビCMで、藤谷美和子さんが出ていました。
当時は話し方にとても特徴のある人だったので、
「あの人は誰?」
なんて話題になりました。
CMのセリフも異質で、
「100円でポテトチップスは買えますがぁ、ポテトチップスで100円は買えません。」
というもの。
そのポテトチップスを食べながら、友人と駅まで歩いて行ったものです。
当時のお小遣いはいくらだったのか。
1975年で100円のおやつでした。そしてJRになる前、国鉄の国電で隣の錦糸町駅まで遊びに行きました。
あの当時、隣の駅まで電車で30円だったんです。子供は半額の10円。1円台は切り捨てです。
だから150円の小遣いでも遊ぶことができたんですね。
もっと遡ると、森永チョコフレークは私が小学校へ入学する頃に登場したと思います。1972年です。
その発売当時、60円でした。私はずいぶん高価なお菓子だと思いました。
何しろ、東京都でありながら、高い建物が少なかった以上に、周囲が田んぼだらけでした。特に葛飾区は。
さて、昨夜書いた都電跡の広い道路。小学校の放課後から遊びに行き、帰ってくるまで両脇に屋台がびっしりと並んでしました。夜間に営業を始めるまで、そこに置いていたのでしょう。
あの頃、人が引いて歩く屋台はいくつかありました。
私がまだ鶏肉を食べられなかった頃、鶏皮の串は好物だったんです。
放課後に団地の前まで帰ると、そこには屋台で焼き鳥を売っていました。
ひと串10円。よく買って食べました。
広い道路の両側に置いてあった屋台は、さまざまな食品があったのでしょう。
ですが止めてある屋台はしっかりカバーがしてあったので、中を見ることはできませんでした。
あの屋台が並んでいた風景は、小さいながらにノスタルジーを感じていました。
いえ、ノスタルジーというのは間違っていますね。リアルタイムだったのですから。
言い換えると、哀愁を感じていたんです。
その後、江戸川区へ引っ越して屋台のプラモデルを買いました。
しかしプラモデルはせっかく作っても、いつか捨てるものです。
そして中学生になってから、たまたま売っているのを見つけて、懐かしいと買いました。
やがて社会人になり、再び懐かしいと買いました。
さらに札幌へ来てから、小樽へ遊びに行ったとき、これまた売っているのを見つけ、買いました。
そして今、いつ買ったのか憶えていませんが、ネットで見つけ、買ったものが未開封で置いてあります。
5回も買っちゃったんですね。
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