いまヤツはどこで どうしてるんだろう?
M.Y(以下、Y)ヤツは私より学年が六つ上で、同じ棟に入居していました。
入居していたのは雇用促進住宅。
かつての雇用促進住宅といえば、簡単に言っちゃうと雇用保険の被保険者が、ひょんな転勤により、定住する住居が見つかるまでの間、とりあえず住むところと聞いていました。
鉄筋コンクリート5階建て、エレベーターなし。
最低限、雇用保険の被保険者でなければ入居できないと。
しかし当時住んでいた田舎町では、それやっちゃうと入居者がとても少なくなるのでしょう。
そこは寛容に、申し込めばだいたい入居できるようになっていました。私は1989年から2001年まで入居していました。ちなみに私は雇用保険の被保険者ではありませんでした。
さて、私がYと初めて逢ったのは雇用促進住宅に入居してからです。雇用促進住宅に町内会はなく、代わりに自治会で行事や福利厚生を実施していました。
また雇用促進住宅を運営していた雇用促進事業団の性質上、敷地内の道路は公道とみなされず、したがって自動車保険が免責になるから(という噂でしかないと思います)、車の乗り入れは禁止され、車止めが設置されていると聞いていました。
でも私の住んでいた雇用促進住宅は車で進入することができたんです。これも噂でしたが、車が入れないと冬季間の除雪もされません。そこでかつての自治会長が
「ここは全国でも有数の暴風雪地帯。同じ税金を払っているのに除雪がないとはもってのほか。」
と町の建設課に直談判し、車の通行が許可されるようになったとか。全国の雇用促進住宅でもここだけと聞いていました。
そのため降雪地方の雇用促進住宅では雪が積もると朝6時から入居者たちが除雪道具を持って集合すると聞いていました。これだって噂です。
どういう経緯だったか憶えていません。でも私はしばらくすると自治会の副会長になっていました。
そしてYは自治会長。
今では町内会だって、あってないようなものですね。住民たちの自覚がないというか。まして出入りの激しい雇用促進住宅ならなおさらです。ところが当時の役員たちは良いメンバーがそろっていたのか、役員会には毎回10名くらい参加していたんです。
さらにもう一つあります。
お葬式は北海道では町内会で出します。そして町内会長が葬儀委員長というのが暗黙の決まりです。すると雇用促進住宅では自治会長が葬儀委員長です。
雇用促進住宅のほとんどは若い住人で、すぐに葬儀が出る心配もありませんでした。ですが自治会長のYとしてはまだ30そこそこの自分が葬儀委員長なんてできないと恐れていたようですが、鉄壁(?)の役員たちがそろった今では、もう大丈夫と覚悟を決めていたそうです。
そんなY、いろいろとこだわりのあった人間です。
車のこと、日本刀はどう作るか、話しだしたら止まらないタイプでした。
役員会が終了すると役員たちは帰ります。でも数人、残って話し込むのがいたんです。いろいろなところから上がった酒があるので、アルコールには事欠きませんでした。
そしてさらに、Yと私は皆が帰ったあとも語り合いました。
夏でした。
飲んでいるうちに空が白み始めて、それでも話は止まなくて、いっそ朝まで飲み明かそうと。
夏休みだから、住んでいる子供たちはラジオ体操をします。
たまたまYと私はラジオ体操の当番でした。飲み明かしたあと、ラジオ体操を引率して解散しました。
Yは話し方に特徴がありました。私と議論になれば、
「だけんどもよお、だけんどもよお〇〇ちゃん(私)よお、」
とか、
「よしんば」
とよく言っていました。これもこだわりだったのか。
けどそれらを忘れないでいること。きっと私にとって楽しかったんだと思います。
Yに会いたい。どこでなにやってるんだろう。
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