2020年09月25日
世代
決して50を過ぎた頃からではないと思いますが、緩やかに口うるさくなってきたのだと思ってきました。
日常に起こることを、以前なら素直に受け入れてきたのだと思います。でも歳を取るにつれ、いわゆる頑固になったのだと思ってきたんです。
しかしここ最近に起こったことを考えると、どうもそれだけではない気がしてきました。
良く言えば、自分も若い頃にしてきた無礼を、相手は若者だと思うから大目に見てあげられる面と、悪く言えばいくら若いとはいえ、その年齢だったら自分を振り返っても、許されることじゃないという、比較をしてしまう部分があります。
まとめると、私が歩んできた年代ごとの常識と、今の常識とが違う。
それは同じ20代の人間がすることであっても、今と昔とでは世代が違うんだと思います。
登録してあるYouTubeチャンネルは数々あります。
先日、あるチャンネルで国の制度に対して苦言を呈していました。
でも苦言の前に、制度を作っている立法(政治家)を“偉い人”と皮肉っています。
しかし思うに、チャンネルの運営者はその制度に恩恵を受けている人でもあるのです。
だから私はやんわりと、そのことを指摘しました。
そしたら第三者から返信が来たんです。
その内容を書けないのは申し訳ありませんが、とにかく、私の一言一言が運営者を蝕んでいるんだそうです。でも私はあれ以上、柔らかく指摘することはできません。「すみませんが、」で始まり、「〜ではないでしょうか。」調です。
返信に対して私は、運営者と政治家、中立の立場で、もし私が運営者に意見できないなら、運営者が政治家を批判するのは良いのですか?と返しました。それに返信はありません。
すると今度は私の返しにまた別な人から返信がつきました。
私が別に傷つけたくて書いたようには感じられないと、フォローしてくれる返信です。
ただ最後は「運営者が傷つかないとはっきり言えるわけではないですが」と、どっちつかずの曖昧です。
要は、木村花さん事件からヘイトスピーチ的なことに過敏になる空気があって、どちらかというと力不足な“正義の味方”が増えたんじゃないかと思います。それも両者の言い分を分析できず、意見をいう者が一方的に悪いとしかみなすことのできない人です。子供かも知れません。
私はそのチャンネルがきっと、そういう人たちが集う内輪の場なのだろうと、登録を解除しました。
一切の意見を受けたくないのだったらコメントをオフにすれば良いだけですし、悪いコメントだけ受けたくないのであれば、それはまったく虫の好い話です。
これがもしネット上でなく、面と向かって話せるのだとすれば、私はもうたしなめる年代です。
ただ恐ろしいのは、私が相手の親より年上の年代であっても、今の若い人は私の意見を容れるのかわからないことです。
私も含めて昔は、年上だというだけで意見というのは容れたものだと思います。
経験者の意見を容れることで、自分も勉強していくものだと思いました。
それがなくなった。
年上の、経験者の意見というのは、自らが成長できる近道です。
近道を失った若者たちは、自分で経験できる機会もなければ、考える力もありません。
心配なのは、今の世代の人たちに、相手の気持ちに入り込める人が少なくなったと感じることです。
相手の気持ちも読めれば、公平にジャッジできる考えだって浮かぶのでしょうが、自分のことしか考えなければ、話し合いもずっと平行線だということです。何か、日本の良さが失われてきたのかも知れません。
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