2020年09月10日
短い間ですが
一秒というのは意外に長い時間だと思ってきました。
よく「1秒しかかからない」といっても、1秒というのは意外にも長いと思うんです。
ことばでいうと
「いぃち」
というくらい。
でもいまYouTubeで聞いた歌には
「(人生)最後の1秒まであとどのくらい」
という字幕がありました。
人生最後の1秒というのは、恐らくあっという間なのでしょう。
この、人生最後の時間、今際(いまわ)の際(きわ)の1秒に焦点を当てたのが「やられた!」と思います。
コールセンターにいると短期業務がよくあるので、自己紹介で
「短い間ですが、よろしくお願いします。」
という挨拶を聞きます。
でもこの「短い間ですが」って必要か?って思います。
「短い間ですが」って付けると、ちょっとカッコイイですかね?
私はそう思いません。どっか他から引っ張ってきて、でも意味違くない?って思うんです。
私なりに語源を考えてみました。
この「短い間」が一番きれいに活かされるのは、死ぬときです。
生きたくても生きられない。どんなに生きたくても、ここで死ぬしかないというときです。
例えばドラマなどで、特攻隊員が出撃を迎えたとき、
「短い間だったけど、ありがとう。どうか元気でな。」
とか、病の床において
「短い間だったけど、どうか忘れないで。今までありがとう。」
こんな場合です。
他にも思い出すのはまだ学校へ行っていた頃、教育実習生が来たときの挨拶です。
もう昔過ぎて、はたして「短い間ですが」と言ったかどうか、定かではありません。でも言ったと思います。
語源というのは、どうもこの二つくらいかなと思います。
ではなぜ、不適切だと思うのか。
まず、本当に短い間なの?ってことです。
短期の業務で知り合って、業務は短期間で終わっても、その途中LINEとかSNSを互いに交換してその後も付き合いがあるなら、短い間ではないです。業務は終わってもつながりは残ります。
また短いからどうなの?ってことです。
人との付き合いは長いと10年、20年、30年、さらに、、
仮に転勤族で2〜3年や、本当の仮住まいで数ヵ月しか近所付き合いができない場合、短い間です。
長い間であれば、いろんな出来事や思い出だって積み重なっていくでしょう。
でもそれが短い間であれば、さほど出来事もないだろう。
ならテキトーに、、ということではないでしょう。
短い間だけど、一生懸命に頑張ります。
という人はきっと、長くても頑張るんです。
人付き合いは長いから良い、短いから悪いということではないと思います。
長い付き合いをしている人は誰にでもいると思います。
では長い付き合いをしている人たちはすべて、初めから長い付き合いになるとわかっていたでしょうか。
付き合ってみなければわからないんです。
これが昔のように、転勤族で離れてしまうと電話は市外通話料金でバカ高いとか、他に通信手段は手紙しかないとか、それなら別です。
長いか短いかは、付き合いが終って初めてわかることです。
自己紹介だったら、多人数を前に行うことが多いでしょう。
しかしその多人数を十把一絡げに「短い間」と言ってしまうのは、なんか「深い付き合いはしたくありません」と、そう宣言しているように感じてしまいます。
これが不適切だと思う一番の理由です。
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