2020年08月09日
最近の買い物
新型コロナウイルスで新しい生活様式とかいわれています。
買い物のときだって、ソーシャルディスタンスで会計に並ぶのも立ち位置が決められ、それも違和感を感じなくなりました。また、店員と客との“密”を遮断するビニールも、今日行ったスーパーではアクリル板がしっかりと据え付けられていました。
コロナウイルスも手伝ってか、また昨年から始まったキャッシュレス推進の影響もあるのか、以前ならクレジットカードを店員に渡して店員がスキャンさせていたのに、今では殆どの店で客が自らカードを差し込むように誘導されます。
ポイントカードだって、前は店員に渡していたのに、自らスキャンさせなければなりません。
もっともこれは他にもさまざまな方法があり、いま書いたのは、私が普段利用している店舗に限ったことかもしれません。とにかく、様式が変化したため、私のような年配者には慣れるまでが大儀です。
店で買い物するとき、店員の接客態度の変化というのは昔から、多かれ少なかれあったと思いますが、最近その変貌もスピードを増してきた気がします。また、中でもコンビニ店員の接客というのがバロメーター化されていると思います。
不思議なのは、おそらくしっかりとマニュアル化されているであろうコンビニ店員の方が、個性的な気がしてしまいます。
「1,000円からお預かりします。」
1,000円から?
これは1990年代の後半、コンビニ店員が言うようになったと思います。
もし、もしも銀行でこれを、1,000円からお預かりしてしまっては面倒なことになると思います。(笑)
そしていつからか憶えていませんが、
「レシートのお返しです。」
レシートなんか貸してもいないし、お預けもしていません。
なんかこう、その場に溶け込むセリフだけ言えば、その意味とか理由とか考えなくなったんだと思います。
テレビやYouTubeでも誤用が特に増えてきたことば。もう何度も何度も書いてきました。
「可能性」
可能性というのは、望むこと、期待することに使う言葉だったはずです。だって、可能になるんですから。
それが今では
「コロナウイルス感染の可能性」
感染を望むんですか?期待するんですか?
「可能性」というのは、ある事柄が向かっていく結果を示唆することばだと思っています。
もしそれが望まない結果なのだとすれば、「危険性」とか「恐れ」という言葉がちゃんとあるんです。
手っ取り早く頭に浮かんだことばを、意味や理由も考えず使った結果の表れとして、世の中をおかしくしています。
さて、今日買い物をしたとき、そばを買いました。
ひと玉ずつ袋に入って25円。私はこれを朝食にしています。飽きてくれば、うどんに切り替えます。
ひと玉では足りないので、毎朝ふた玉を食します。
毎日買い物に行くわけではないから、消費期限まで買うと、五日分で10袋です。
私はそれらをレジかごに入れ会計しました。
そしたら店員が
「そばいくつですか?」
って。
「え?」
私はまさかそんなこと聞かれるわけがないだろうと、店員に聞き返しました。
店員はそれ以上何も言わず、会計を始まます。
自分で数えなさい。
私が二つです。っていえば、二つになったの?
二つは極端にしても、仮に八つといえば店員は数えなかったのでしょうか。
あるとすれば大きな買い物をして、
「50万あると思います。数えて下さい。」
って、買う側が店の人に数えさせることはあるにせよ、客に数えさせるっていかがなものか。
そばの数、悪気があってもなくっても、もし客の申告と店員が数えた数に違いがあったとき、その場は微妙な空気になるでしょう。そんな微妙な空気はイヤです。
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