今日はセンチメンタルになってます。
また再び、私の親の話で申し訳ないのですが、後日予定している母の海洋散骨で、どうしても必要なことを行ってきました。それは海洋散骨業者に遺骨を預けることです。
海洋散骨は火葬した遺骨をそのまま海に捨てるわけではありません。
「粉骨」といって、骨を2mm以下の大きさ、パウダー状にするのです。
海洋散骨はまだ先ですが、前もって粉骨するため遺骨を預けてきました。
一昨年の10月に父を亡くし、岩手で火葬して骨箱をここ、札幌まで持って帰りリビングに。普段は使用していなかった小さなテーブルを置き、その上に骨箱と遺影を置いて祭壇(神道なので)としました。
昨年の7月、今度は母が亡くなったので、また岩手に行き火葬して遺骨を持って帰り、今度はテーブルに父と母、二人の骨箱と遺影を飾ることになったのです。
父の遺骨は昨年の夏、お盆に北海道にある父の故郷へ行ったとき、遺言通り先祖代々の墓へ入れてきました。
母の骨も一緒に父の故郷へ持っていきましたが、帰宅後はそのまま、祭壇に置いたままでした。
母の遺言では、骨は海に撒いて欲しいと聞いていたのですが、7月に骨になって帰宅してからはこちらもいろいろと慌ただしく、海洋散骨といってもいったいどうしていいのやら・・・・
やがて秋になり、そのまま年を越しました。
年を越したら少なくとも北海道の冬、特に波の高い日本海では海洋散骨なんてできません。寒いしー!
そうこうしているうち命日が近づいたので、いっそ命日に海洋散骨をしようとなりました。
前もって粉骨しておく必要があったので、今日、骨箱を持っていきました。
私が三歳のときだったと思います。青森県八戸市に住んでいました。
小さかったので母が買い物に行くときには連れていかれます。
あるとき、八戸駅方面へ買い物へ行ったとき、私が歩き疲れたのか、母におぶってもらいました。
そのとき母はたぶん39歳。まだ母の年齢を意識していませんでしたが、おぶさりながら、重いだろうなって、済まない気がしました。
海洋散骨してもらう会社は、なんと家から近いところにあったのです。
車で行っても良いのですけど、歩いて行っても近い距離です。
父のとき、骨箱を収める手提げ袋をもらい、岩手からはそれに入れて遺骨を持ち帰りました。
今日は母へもらった手提げ袋に骨箱を入れ、歩いて海洋散骨の会社まで持っていきました。まず、手提げ袋に入れるとき感じたのは、こんなに軽いのか?ってこと。まるで骨箱そのものの重さにしか感じられません。
小学3年くらいに、ようやく母の立ち膝と同じ高さの身長になったと思ったのに。
歩いて行くとき、三歳のときには私がおぶさっていた母は今、私の片手にぶら下がっています。
散骨の会社で骨箱を出すと、言われたのは
「火葬したのは北海道ですか?」
どうも北海道の火葬場で用意する骨箱とは様子が違うようでした。
会社では当日のことを再確認され、10分程度で用事は終わり帰ってきました。
家に帰ってから祭壇を片付けます。遺影は私が寝ている部屋に。テーブルは撤去しました。
祭壇は窓のカーテン前に置いていました。
夕方になりカーテンを閉めるとき、今まであったものがないのです。
父が亡くなってから作った祭壇、思うと一昨年の10月から2年ちかく、あったものがないのです。
祭壇はテレビの横にありました。テレビを見ているようでも、ふと祭壇の遺影が気になりました。が、もうそれもない。同時に遺影から見られているように感じていたのももう、ないんですね。
粉骨に出したら、遺骨は海洋散骨の会社に預けます。海洋散骨の当日まで。
今朝、今日で遺骨とお別れだと思ったら、ほぼ50年振りでしょう。幼い頃に母と離れるときの悲しい気持ちが蘇りました。
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