2020年07月13日
私について
(2020/07/14,15 一部校正しました)
皆様のおかげで1,000記事を達成することができました。ありがとうございます。
何を書こうかと考えて、大昔のギャグネタにしようかと思ったのですが、それでは節目も何もないので今日は私の生まれから現在にかけてお話ししようと思います。
まず私の現在です。
コールセンターの業務がもともと短期だったので、期間満了しました。
私には昨年に知り合った、とても仲良しの元同僚がいます。その元同僚は、ある発信業務をしていましたが、新型コロナウイルスの影響で風評被害を避けるため4月中旬から業務が休止され自宅待機になり、そのまま4月末で業務が終了してしまいました。
派遣の仕事をしていたので普通ならば次の業務を探すところですが、コロナの影響で割に合わない仕事しかありません。彼は頭もよく機転も利くので、無理に仕事を探すより失業保険をもらう方が良いと判断しました。
確かにそれも一理あります。
コールセンター業務は多くて原則、週5日勤務。
ですので月にすると、20日か21日くらい働くのが通常だと思います。
給与は時給ですから、労働時間に比例します。
失業手当は年齢や賃金にもよりますが、就業時より低くなります。
でも失業手当の計算は休日を加味しません。だから4週間、28日分を毎月もらえます。
さらに受給期間中、再就職したとき残りの受給期間が一定以上であれば、未支給である失業手当の60〜70%が再就職手当として受け取れるんです。もっともその間、何もしなくて良いわけではありませんけど。
元同僚はそのことを私に教えてくれました。
私も調べた上で、それも良いと同じ道を選択しました。
ですが元同僚は最近になって言います。
「別に誘ったわけではない。」
と。
え゛?!
誘ってたんじゃないの??
とはいいながら、生れて初めて、、、
というか、社会人になって初めて長期休暇をいただいております。
その上で、生活様式も変わりましたし、考え方も変わってきたと思います。
生活様式は一時期、昼夜逆転しました。でも最近は信じられないほど早寝早起きです。
夜は9〜12時に寝ます。仕事していたときは2〜3時だったのに。そして起きるのは2〜5時です。
2時に目が覚めてもすることがありません。一人暮らしならまた別でしょうけど。
というのは何かしら動き出すと妻の就寝を妨げることになりかねません。
だから新聞が入っているだろう4:30をめがけて起き上がります。
仕事がないと何もすることがないか?
そんなわけありませんね。掃除もあるし、また今までできなかった用事をようやく済ませているのです。
かえって、この長期休暇で済ませている多くのことは、ずっと仕事していたらどうなっていただろうと、今は心配してしまいます。
今朝、目が覚めたのは3時でした。5時まで寝床で、起きているんだか寝ているんだか、わからない状態を続けて新聞を取りに行きました。が、そうそう、今日は新聞の配達がありませんでした。
昨日の新聞は今日も含めて二日分、今日は休刊でした。
また今日は、マイナンバーカードを受け取りに区役所へ。それも区役所が開く前から。
他にも今月、予定している亡母の海洋散骨にかかわる書類の整理や家族に案内状を送るなど、終ってみれば6時間くらい絶え間なく動いていました。
で、14時から打ち上げを兼ねて呑んでいます。もう9時間は呑んでますね。
ということで、呑んでる上での記事なんです。
さて、私のことです。
よく、「出身地は?」という会話が、特に初対面の人との間にはあると思います。
だけど、そんなとき私は「面倒だから聞かない方が良いです」と、いつも回答を避けます。
私が生まれたとき、住所は岩手県、出生地は北海道。
物心がついたのは青森県、いや、前に書いた体温計事件はまだ岩手に住んでいたときでした。
で、東京に引っ越し幼稚園に入園。
出生地が北海道というのは、母が勤務していた病院で出産を希望したからだそうです。
岩手の記憶というのはおぼろで、はっきり覚えているのは東京へ行ってからの出来事です。
自分の価値観とか、いろいろ現在にも影響しているのは東京で育ったことが大きいと思います。
でも田舎も知っています。田舎といってもとんでもない田舎です。
だって携帯電話、NTTドコモの通話エリアが「人口比97%カバー」となった1990年代前半に、私が住んでいた町にはまだ電波が来ていませんでしたから。(笑)
また、学力も上と下を経験しました。
東京の小学校で家庭訪問のとき、「頭が良い」と褒められたそうです。
だけどクラスのトップではなかった。私よりも頭のいい子たちがいたことは理解できていましたから。
しかし事実、学力には地域差があります。
恐らく、クラスで10位以内くらいだったろう私。
それが田舎町の中学校に行くと学年2番になりました。
田舎の学校とはいえ人口減からの合併で一学年は約180名。
私が生まれた年の干支は丙午(ひのえうま)より前。
丙午というのはだいたい60年ごとにあり、私が生まれた近くでは昭和41年です。
その昔、聞いていたのは、伝説だと丙午に生まれた女は夫を食い殺す。そんな迷信があったようなんです。
まだ「迷信」が信じられていたんですね。
そのため、私が生まれたのは丙午を避けるように先に産んでおこうと、ちょっとしたベビーブームでもあったのです。
やがて高校へ進学します。高校では予習や復習しなければついていけません。
しかし高校へ進学したことで親元を離れ、それはもう遊びに遊んで成績は下がる一方でした。
気付いたらクラスのビリ。恥ずかしいことです。でも上下、両方の気持ちがわかって良かったと思います。
だいぶ前に書いたのですが、読んだ方はおいででしょうか?
私は中学校のとき、部活に明け暮れた。その部活は体育会系であったと。
何部だったと思います?
「吹奏楽部」
でも嘘はついてません。
体育会系だったのは本当です。
毎朝、皆よりも早く登校して朝練習。
先輩は恐ろしく、上下の規律は絶対。
毎日、毎日、必ず先輩から顔にビンタを喰らいました。
先輩は何かしら理由を付けてビンタします。でもほとんどストレス解消?
そんなこともあって、仲間内でも話していたのは
「もう辞める!」
いつも合言葉のように。
夏休みも冬休みもない。
でも終わってみると「達成感」がありました。
さて、吹奏楽部を暴露したことで話題が広がりそうです。
皆様のおかげで1,000記事を達成することができました。ありがとうございます。
何を書こうかと考えて、大昔のギャグネタにしようかと思ったのですが、それでは節目も何もないので今日は私の生まれから現在にかけてお話ししようと思います。
まず私の現在です。
コールセンターの業務がもともと短期だったので、期間満了しました。
私には昨年に知り合った、とても仲良しの元同僚がいます。その元同僚は、ある発信業務をしていましたが、新型コロナウイルスの影響で風評被害を避けるため4月中旬から業務が休止され自宅待機になり、そのまま4月末で業務が終了してしまいました。
派遣の仕事をしていたので普通ならば次の業務を探すところですが、コロナの影響で割に合わない仕事しかありません。彼は頭もよく機転も利くので、無理に仕事を探すより失業保険をもらう方が良いと判断しました。
確かにそれも一理あります。
コールセンター業務は多くて原則、週5日勤務。
ですので月にすると、20日か21日くらい働くのが通常だと思います。
給与は時給ですから、労働時間に比例します。
失業手当は年齢や賃金にもよりますが、就業時より低くなります。
でも失業手当の計算は休日を加味しません。だから4週間、28日分を毎月もらえます。
さらに受給期間中、再就職したとき残りの受給期間が一定以上であれば、未支給である失業手当の60〜70%が再就職手当として受け取れるんです。もっともその間、何もしなくて良いわけではありませんけど。
元同僚はそのことを私に教えてくれました。
私も調べた上で、それも良いと同じ道を選択しました。
ですが元同僚は最近になって言います。
「別に誘ったわけではない。」
と。
え゛?!
誘ってたんじゃないの??
とはいいながら、生れて初めて、、、
というか、社会人になって初めて長期休暇をいただいております。
その上で、生活様式も変わりましたし、考え方も変わってきたと思います。
生活様式は一時期、昼夜逆転しました。でも最近は信じられないほど早寝早起きです。
夜は9〜12時に寝ます。仕事していたときは2〜3時だったのに。そして起きるのは2〜5時です。
2時に目が覚めてもすることがありません。一人暮らしならまた別でしょうけど。
というのは何かしら動き出すと妻の就寝を妨げることになりかねません。
だから新聞が入っているだろう4:30をめがけて起き上がります。
仕事がないと何もすることがないか?
そんなわけありませんね。掃除もあるし、また今までできなかった用事をようやく済ませているのです。
かえって、この長期休暇で済ませている多くのことは、ずっと仕事していたらどうなっていただろうと、今は心配してしまいます。
今朝、目が覚めたのは3時でした。5時まで寝床で、起きているんだか寝ているんだか、わからない状態を続けて新聞を取りに行きました。が、そうそう、今日は新聞の配達がありませんでした。
昨日の新聞は今日も含めて二日分、今日は休刊でした。
また今日は、マイナンバーカードを受け取りに区役所へ。それも区役所が開く前から。
他にも今月、予定している亡母の海洋散骨にかかわる書類の整理や家族に案内状を送るなど、終ってみれば6時間くらい絶え間なく動いていました。
で、14時から打ち上げを兼ねて呑んでいます。もう9時間は呑んでますね。
ということで、呑んでる上での記事なんです。
さて、私のことです。
よく、「出身地は?」という会話が、特に初対面の人との間にはあると思います。
だけど、そんなとき私は「面倒だから聞かない方が良いです」と、いつも回答を避けます。
私が生まれたとき、住所は岩手県、出生地は北海道。
物心がついたのは青森県、いや、前に書いた体温計事件はまだ岩手に住んでいたときでした。
で、東京に引っ越し幼稚園に入園。
出生地が北海道というのは、母が勤務していた病院で出産を希望したからだそうです。
岩手の記憶というのはおぼろで、はっきり覚えているのは東京へ行ってからの出来事です。
自分の価値観とか、いろいろ現在にも影響しているのは東京で育ったことが大きいと思います。
でも田舎も知っています。田舎といってもとんでもない田舎です。
だって携帯電話、NTTドコモの通話エリアが「人口比97%カバー」となった1990年代前半に、私が住んでいた町にはまだ電波が来ていませんでしたから。(笑)
また、学力も上と下を経験しました。
東京の小学校で家庭訪問のとき、「頭が良い」と褒められたそうです。
だけどクラスのトップではなかった。私よりも頭のいい子たちがいたことは理解できていましたから。
しかし事実、学力には地域差があります。
恐らく、クラスで10位以内くらいだったろう私。
それが田舎町の中学校に行くと学年2番になりました。
田舎の学校とはいえ人口減からの合併で一学年は約180名。
私が生まれた年の干支は丙午(ひのえうま)より前。
丙午というのはだいたい60年ごとにあり、私が生まれた近くでは昭和41年です。
その昔、聞いていたのは、伝説だと丙午に生まれた女は夫を食い殺す。そんな迷信があったようなんです。
まだ「迷信」が信じられていたんですね。
そのため、私が生まれたのは丙午を避けるように先に産んでおこうと、ちょっとしたベビーブームでもあったのです。
やがて高校へ進学します。高校では予習や復習しなければついていけません。
しかし高校へ進学したことで親元を離れ、それはもう遊びに遊んで成績は下がる一方でした。
気付いたらクラスのビリ。恥ずかしいことです。でも上下、両方の気持ちがわかって良かったと思います。
だいぶ前に書いたのですが、読んだ方はおいででしょうか?
私は中学校のとき、部活に明け暮れた。その部活は体育会系であったと。
何部だったと思います?
「吹奏楽部」
でも嘘はついてません。
体育会系だったのは本当です。
毎朝、皆よりも早く登校して朝練習。
先輩は恐ろしく、上下の規律は絶対。
毎日、毎日、必ず先輩から顔にビンタを喰らいました。
先輩は何かしら理由を付けてビンタします。でもほとんどストレス解消?
そんなこともあって、仲間内でも話していたのは
「もう辞める!」
いつも合言葉のように。
夏休みも冬休みもない。
でも終わってみると「達成感」がありました。
さて、吹奏楽部を暴露したことで話題が広がりそうです。
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