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2024年06月16日

大切な友人との思い出を懐かしむ


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ご訪問頂き有難うございます。感謝致します。

連日の暑さにまだ6月である事を忘れそうですね。7月8月はどうなるやら?
皆様いかがお過ごしでしょうか?

ブログを読んで下さっている方はここ最近の私の落ち込みや体調不良をご存じだと思いますが…もう、どうしようかな。なんでこんな立て続けに打ちのめされるような事が起きるかなとまたしても参ってしまう出来事がありました。

15日の夕方に自宅に電話がありまして。その電話に出ると短大時代の友人の娘さんからでした。友人は20代で結婚し私達のグループの中で一番結婚が早かったんです。
彼女(友人の娘さん)はとても可愛い声をしていました。記憶が定かなら20歳、もしくは21〜22歳くらいだと思います。
彼女が生まれた時に出産祝いを渡しにJRで乗り継いで、往復3時間はかけて出かけました。
そして彼女が歩けて少し話せるくらいになって友人が彼女を連れて私の家に遊びに来てくれた事があります。
当然、彼女(娘さん)は覚えていないでしょうが。

彼女の話はこうです。「連絡が遅くなってすいません。母が昨年病気で亡くなりました。〇〇さん(私の名前)に当てたメモのような手紙のような物が見つかりそれを送っても良いでしょうか?」という内容でした。
寝耳に水です。私はもう恥ずかしいのですが娘さんの電話で頭が真っ白になってもう何が何だか。言葉が出ず無言になってしまって。
辛いのは娘さんですが、彼女に上手く言葉をかけられず狼狽えて泣くばかりでした。
私宛のメモ、メッセージを送って貰うのに住所を伝えて電話を切りました。友人はどんな思いで私にメッセージをしたためてくれたのでしょうか。

短大時代の友人と私はいつも一緒に2人で行動していました。出席番号が私の前で彼女と親しくなり、私の後ろの番号の人とその友人と…という感じでグループ的には5人で行動していたんですが、選択授業も含めて合うものが多く常に彼女と一緒に過ごしていました。

柔らかくて茶色い背中まである長い髪。毛先をクリンと巻いていて。太めの眉で下がり眉なのでいつも困っているように見える表情。長いまつ毛。時折ダジャレを言ったりする面白さもあれど案外、生真面目で。可愛い声も可愛い顔も彼女の特徴でした。流されないきちんとした意思を持つ子でした。そして彼女と一番仲が良かったのは私です。彼女の自宅にも泊まりに行った事もあります。彼女のお姉さん達やお母さんにも可愛がって頂きました。それももう随分昔の事になりました。

20代の頃はファックスで連絡を取り合っていました。私が若い頃は今のようにスマホが当たり前じゃなかった時代です。お互いにファックスメールをしたりして当時はファックス用の紙が売っていてムーミンとドラえもんを買ったんです。高かったんですよね(笑)だから使い捨てだと勿体無いのでそれをコンビニでコピーして、コピーした紙に近況を書いてファックスを送っていました。それからは手紙ですね。30代前半までは手紙を度々書き合っていました。私と違い筆まめな子で。彼女が結婚し、子供が成長するにつれて忙しいでしょうしお互いに年賀状での挨拶が近年は普通でした。

一昨年の年賀状で「いつか会いたいね」と一言書かれていました。そして昨年に亡くなっていたなんて。
なんでもっと会おうとしなかったのでしょうか。私の悪い所です。「便りが無いのは忙しくても元気にしているだろう」とばかり思っていたんです。娘さんも2人いますし、忙しく幸せだろうと思っていました。子育てが2〜3年くらいで一段落するでしょうから、きっと会おうと言ってくれるだろうと思っていたんです。

お互いの家は全く逆方向でとても遠いんです。それがなかなか会えない理由でもありました。走馬灯のように思い出が浮かび上がります。短大の行き帰りにコンビニで彼女と私は「ヤマザキ ちぎりパン」にハマって、いつも買って食べていた事。彼女はのど飴をいつも舐めていて無い時はコンビニによって買っていてお互いに飴を常備していて講義中に飴を舐めつつ勉強していた事。私が眠い時は彼女がノートをしっかり取って、彼女が眠い時は私がノートを取ったり。授業に遅れそうになった時には代返して貰って途中から参加したり。講義が終わったらみんなでパスタを食べに行ったり。

クリスマスは小さくて安いホテルに女友達5人で泊まり、色んな話をしてケンタッキーフライドチキンとケーキを食べた事。些細な事が面白くて、楽しくて。今考えれば18歳〜20歳までの若くて一番楽しかった時期で青春と呼べる時を一緒に過ごした友人でした。なのに最近はお互いに年賀状だけで、連絡もマメではなかったんです。
いつか会おう!落ち着いたら会おう!と。そう思いながら気が付けば長い年月が経っていたのです。

私は彼女の悪口を一度も言った事がありません。そして彼女も私の事を悪く言った事はありません。
なぜなら、お互いに多少の悪いとこも許せる程にお互いがとても好きだったからです。友人ですから当然です。
彼女が私を呼ぶ高くて明るい声が好きでした。幼い娘さんを家に連れて来てくれた時もそうですが、彼女は長い髪をバッサリ切ってショートカットにしていました。でも私の中では年を重ねてきてもいつまでも18歳前後の若い髪の長い彼女の記憶しかないんです。

誰もが子供の頃や若かった頃に戻りたいと思いますよね。それが出来ないからこそ一層焦がれるんだと思います。私も、戻りたくなりました。18歳の頃に。そして卒業まで彼女含めみんなで楽しく過ごして。卒業後はもっと連絡を取り合って頻繁に会って。……もう会えないなんて。同窓会も出来ないなんて。こんな事あるのかと。
今ブログを書いていても涙が止まらないんです。昨年亡くなったと聞いたからこの状態で済んでいますが、最近亡くなっていたら気持ちの整理のしようがありません。

痩せて小柄で可愛い彼女は見かけによらず肉好きで(笑)私の家に泊まりに来た時はステーキを出しました。
一緒に食事をして、当時保護して育てていたチェルシーというワンコと散歩に行ったりして。
思い出が一杯あった事を1つずつ思い出している状態です。

私に出来る事は何もないと思うと涙が止まらないんです。でも彼女はもういないし。
私は辛くて泣いていますが、何より辛いのは彼女の親御さんやお姉さん2人、そしてご主人と娘さん2人はまだまだ辛いはずです。だって亡くなるには若過ぎます。

彼女が一生懸命育てた娘さん達はきっと今まで幸せだったし、これからも一層幸せになれると思います。そう願っています。だから私は彼女と出会えた縁に感謝し、一緒に過ごした日々を、彼女の存在を忘れず、青春の記憶をこれからも大切に日々生きて行こうと思います。

連絡をしていなかった短大時代のもう1人の友人に、帯状疱疹が治って伯母が退院し老健なりどこかの施設に入所出来て落ち着いたら今年は絶対に会おうと連絡を入れました。

伯母は96歳で酷い認知症で辛い思いをしつつ生きていて、友人は昨年40代で若くして亡くなって。命の振り幅をとても感じました。どんな病気も無くなれば良いのに。悔しい。

親しい友人を亡くしたのは今回が初めてです。年功序列で身内を亡くしても、友人は初めてです。
そして昨年亡くなったからと連絡を受けたのでお葬式も参列していませんから、気持ちの区切りが難しくてグルグル考えては涙が溢れるのかもしれません。

短大の卒業式で泣いていた彼女を見て、私は「卒業してもこれから先が長いんだよ。いつでも会えるんだし。滅多に会わなくても友達なんだから泣かないで良いんだよ」と言ったのに。いつでも会えたのにお互いの生活に追われて会えなかった。だから、皆様お願いです。親しい友人、大切な人とはマメに連絡を取って下さいね。じゃないときっと後悔します。私は後悔してもしきれず、とてもやり切れない思いでいます。

会いたい人とは会える内に会って下さいね。私ももう1人の友人と夏が過ぎて涼しくなったら私の家に近いゆめタウンまで足を運んでくれるそうなので積もる話、そして亡くなった彼女との思い出を一緒に話そうと思っています。

猫部屋で泣きながら掃除をしたりフードの準備をする私を坊ちゃんは目を丸くしてジッと見ていました。
そう言えば、猫を保護して里親を見つけたりしている事も彼女に話した事が無かったですね。会っていなかったから会った時にまとめて話そうと思っていたんです。

連絡をくれればお見舞いに言ったのに連絡をくれなかったのは、弱い所を見せたくなかったのかどうか今では聞けないので分かりません。でも私にだけ私宛にメッセージを書き残してくれたのは会いたかったと思ってくれていたのだと思います。彼女の字は丸っこくて奇麗な字なんです。あの字が本当に大好きで彼女が書いたとすぐに分かる字。娘さんが送ってくれると言われたので、彼女の字の見納めになりますね。本当に最後の。

伯母の事に子猫達の事に帯状疱疹に友人の死。とめどなく色々起こります。弱り目に祟り目です。
この半年ほど彼女はどうしているかな?とちょこちょこ思い出していたんです。虫の知らせだったんですね。娘さんから連絡を貰った瞬間に「信じられない」と「信じたくない」という思いで頭が真っ白になり電話越しに言葉も出ませんでした。

娘さんから母である友人の私宛に書いた手紙のようなメモを今は届くまで待っていようと思います。
そして私が話すといつも面白いとよく笑ってくれていました。口角を上げて笑うと八重歯が見えて。
お互いにおばちゃんですが、笑顔の18歳の頃の彼女の印象が強いのできっと若い頃のままの姿を覚えていた方が彼女も喜ぶでしょうしずっと若いままの可愛い姿を覚えていようと思います。
志半ばであったかもしれませんが、きっと彼女は「もう、しょうがないけぇ〜」と言っている気がします。今はお疲れ様と有難うと色々な思いを空(宇宙)に飛ばしました。

私も若かったし彼女も、その他のクラスの子達もみんな若くて……とても輝いていた。まさに「STAY GOLD」の言葉と歌がその通りだと思う頃でした。その時の些細な事でいつも笑い合っていた彼女との青春は私だけの物です。大切な宝物です。彼女はもう年を取らず、私はこれからも鏡を見る度にシミが増え皴が増えとため息を付く事でしょう。それをお互いに笑い合いたかったです。「うちらも肌がツルツルで若かったんだよね。今はこうなっちゃったけど!」と。

マメに連絡しない不精な私を謝りつつ、もう少しの間は寂しさと悲しさを感じながら彼女を偲びたいと思います。短大の卒業後の謝恩会で、彼女は濃いオレンジ色の振り袖姿。私は薄いグリーンの袴姿。彼女や他の友人と笑って撮った写真を見ながら、しばらくは涙が流れると思います。泣く事で私も区切りが付けられるのだと思います。
最近は泣いてばかりです。長い付き合いでも私が泣く所を彼女は見た事がありません。私はいつも変な事を言って笑っていましたから。だから泣く姿を見られたら「〇〇(私の名前)、似合わな〜い!あんたが泣いたら鬼が笑うけぇ」と言われるはずです。

皆様、どうぞお願いです、繰り返しになりますが大切な方に、友人知人、恋人にご家族に、どうぞどうぞマメに連絡をされて下さいね。後悔は鉛のように重くてなかなかその荷を下ろせない気がしますから。
私が大切に思っている短大時代の大切な友人はイギリスに1人、そしてもう1人だけ少し離れた場所に残っています。若かった頃をお互いに知っている友人は年を重ねてくると貴重ですね。
皆様もどうぞご友人を大切になさって下さいね。お願い致します。


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本日もお読み頂き有難うございます。感謝致します。


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