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2013年12月20日
汚れた空気
先日娘と話をしていて、
「子供は風の子だよ。できるだけ薄着をして、
学校でも休み時間には元気に校庭で遊んだ方がいいよ。」
と僕が言ったところ、
「でも学校では、ときどき空気が悪いからお外に出ないようにって言われるの。」
と返事をしたのを聞いてびっくりしました。
ときどき学校の担任の先生とも話をしますが、
そのような指導をしているとは聞いたことがありませんでした。
北京や上海の学校では、最近PM2.5の問題もあり、
校外での活動を自粛するという話は聞いていましたが、
ここ深センでもそのような指導を行っているとは初耳だったのです。
確かに、北京や上海ほどではありませんが、ここ深センの空気も、
お世辞にもきれいと言えたものではありません。
雨上がりであれば別ですが、深センでも透き通るような青空がみられる日というのは、
一年の間でもそう何日もありません。
常に靄がかかったようにどんよりとしていて、遠くの方が霞んで見えます。
朝、出勤時にみる太陽は、輪郭まではっきり見ることができますが、
これは空気がきれいだからではなく、むしろその逆で、
本来であれば眩しくて直視することのできないような朝日の光を、
ちょうどサングラスをかけてみているような感じなのです。
朝の空気でさえそれだけ汚れていることの証左でしょう。
黒い夜空もほとんどみることができません。大抵は黄色っぽく濁った夜空で、
その為、夜の街全体が黄色っぽくみえます。
ここ深センでさえこのあり様です。
北京に至っては言わずもがなです。
家内の両親の住む北京で旧正月を迎えることが多いのですが、
外出した後は、必ず顔,手,鼻,耳,口をよく洗うようにしています。
この地域では、今でも石炭で暖をとる家が多く、その為石炭から出る粉じんが多いです。
また北京は交通量も多く、周辺地域の工場などもあり、
排気ガス,工場の煙など、大気汚染の原因には事欠きません。
2008年のオリンピック会場となった通称「鳥の巣」は、奇抜な建築が人の目を引きますが、
そばに寄ってみると埃だらけ。
道端に残る残雪も、中身は真っ白でも表面は真っ黒です。
北京から帰ってくると、深センでさえ空気が澄んでみえるから、
その汚染の度合いが分かります。
‥ここまでいってしまうと、なぜまだ多くの人が中国の街などに住んでいるのか、と思うでしょうが、
空気が悪いからといって、誰もがそう簡単に引っ越しなどできるわけでもありません。
マスクをつけるなり、空気清浄機を購入するなりして、自分の身を守るしかないのが現実でしょう。
僕は、大体年に一度日本にも帰省しますが、
日本に帰ったことを最も実感できるのは、お寿司を食べた時でもなく、整然とした街を歩く時でもなく、
日本の空気のきれいさに触れた時です。
神奈川県葉山の実家に帰ると、遠くの山々の緑があまりにも色鮮やかに、
くっきりと見え、視界にある全てのものが目の前に迫ってくるような圧迫感さえ感じます。
中国から日本に旅行に来る人たちも、その多くが空気のきれいさを挙げています。
日本がこれからも澄んだ空気の中にあってもらえたらと思いますし、
中国の街でも、早くきれいな空気を吸える日が来てくれればいいな、と思っています。
「子供は風の子だよ。できるだけ薄着をして、
学校でも休み時間には元気に校庭で遊んだ方がいいよ。」
と僕が言ったところ、
「でも学校では、ときどき空気が悪いからお外に出ないようにって言われるの。」
と返事をしたのを聞いてびっくりしました。
ときどき学校の担任の先生とも話をしますが、
そのような指導をしているとは聞いたことがありませんでした。
北京や上海の学校では、最近PM2.5の問題もあり、
校外での活動を自粛するという話は聞いていましたが、
ここ深センでもそのような指導を行っているとは初耳だったのです。
確かに、北京や上海ほどではありませんが、ここ深センの空気も、
お世辞にもきれいと言えたものではありません。
雨上がりであれば別ですが、深センでも透き通るような青空がみられる日というのは、
一年の間でもそう何日もありません。
常に靄がかかったようにどんよりとしていて、遠くの方が霞んで見えます。
朝、出勤時にみる太陽は、輪郭まではっきり見ることができますが、
これは空気がきれいだからではなく、むしろその逆で、
本来であれば眩しくて直視することのできないような朝日の光を、
ちょうどサングラスをかけてみているような感じなのです。
朝の空気でさえそれだけ汚れていることの証左でしょう。
黒い夜空もほとんどみることができません。大抵は黄色っぽく濁った夜空で、
その為、夜の街全体が黄色っぽくみえます。
ここ深センでさえこのあり様です。
北京に至っては言わずもがなです。
家内の両親の住む北京で旧正月を迎えることが多いのですが、
外出した後は、必ず顔,手,鼻,耳,口をよく洗うようにしています。
この地域では、今でも石炭で暖をとる家が多く、その為石炭から出る粉じんが多いです。
また北京は交通量も多く、周辺地域の工場などもあり、
排気ガス,工場の煙など、大気汚染の原因には事欠きません。
2008年のオリンピック会場となった通称「鳥の巣」は、奇抜な建築が人の目を引きますが、
そばに寄ってみると埃だらけ。
道端に残る残雪も、中身は真っ白でも表面は真っ黒です。
北京から帰ってくると、深センでさえ空気が澄んでみえるから、
その汚染の度合いが分かります。
‥ここまでいってしまうと、なぜまだ多くの人が中国の街などに住んでいるのか、と思うでしょうが、
空気が悪いからといって、誰もがそう簡単に引っ越しなどできるわけでもありません。
マスクをつけるなり、空気清浄機を購入するなりして、自分の身を守るしかないのが現実でしょう。
僕は、大体年に一度日本にも帰省しますが、
日本に帰ったことを最も実感できるのは、お寿司を食べた時でもなく、整然とした街を歩く時でもなく、
日本の空気のきれいさに触れた時です。
神奈川県葉山の実家に帰ると、遠くの山々の緑があまりにも色鮮やかに、
くっきりと見え、視界にある全てのものが目の前に迫ってくるような圧迫感さえ感じます。
中国から日本に旅行に来る人たちも、その多くが空気のきれいさを挙げています。
日本がこれからも澄んだ空気の中にあってもらえたらと思いますし、
中国の街でも、早くきれいな空気を吸える日が来てくれればいいな、と思っています。
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2013年12月19日
僕の作品 機関車
レゴで機関車を作ってみました。
機関車といえば、やはり黒光りする筒状の内燃室,煙を勢いよく吐き出す煙突,
車輪と車輪をつなぐ連結棒などが頭に浮かびますのでこれらをうまく表現したいものです。
内燃室は本来筒型ですが、これは2×2の黒スロープと逆スロープを使って表現します。
丸くはできませんでしたが、機関車の先頭部分は表現できていると思います。
内燃室の上には、前方を照らすライトを。
2×1の黒プレートパーツで、上面ポッチが一つのモノを使います。
う〜ん、これだとライトなのかよくわかりませんね。
このポッチの部分に黄色か透明のラウンドパーツをつけたいのですが、
そうすると内燃室の上にうまくはまらなくなくなってしまうのです。
ここいらへんはまだ検討の余地がありそうです。
黒一色でもつまらないので、赤いプレートパーツを使って、
胴体に赤い線が入っているようにみせます。
この赤い線があるのとないのとでは、だいぶ雰囲気も違います。
赤い線があった方が子供にとっても親しみやすくなります。
続いて、機関車のシンボルでもある煙突ですが、
1×1のラウンドパーツのみで円柱形の煙突にしてもよいのですが、インパクトを出すために、
あえて1×1の黒のブロックパーツもつけてみました。
ここでも赤いラウンドパーツをつけて、煙突に赤い線が入っている様子を表現します。
車輪には、機関車の特徴の一つである連結棒をつけました。
燃料となる石炭には、黒,灰色,銀色の小さなパーツを積込みます。
僕の機関車が完成すると、娘が早速駅を作ってくれました。
それに息子が、他のおもちゃのレールをもってきて、機関車の下に敷いてくれました。
次回は客車も組み立ててみたいですね。
機関車といえば、やはり黒光りする筒状の内燃室,煙を勢いよく吐き出す煙突,
車輪と車輪をつなぐ連結棒などが頭に浮かびますのでこれらをうまく表現したいものです。
内燃室は本来筒型ですが、これは2×2の黒スロープと逆スロープを使って表現します。
丸くはできませんでしたが、機関車の先頭部分は表現できていると思います。
内燃室の上には、前方を照らすライトを。
2×1の黒プレートパーツで、上面ポッチが一つのモノを使います。
う〜ん、これだとライトなのかよくわかりませんね。
このポッチの部分に黄色か透明のラウンドパーツをつけたいのですが、
そうすると内燃室の上にうまくはまらなくなくなってしまうのです。
ここいらへんはまだ検討の余地がありそうです。
黒一色でもつまらないので、赤いプレートパーツを使って、
胴体に赤い線が入っているようにみせます。
この赤い線があるのとないのとでは、だいぶ雰囲気も違います。
赤い線があった方が子供にとっても親しみやすくなります。
続いて、機関車のシンボルでもある煙突ですが、
1×1のラウンドパーツのみで円柱形の煙突にしてもよいのですが、インパクトを出すために、
あえて1×1の黒のブロックパーツもつけてみました。
ここでも赤いラウンドパーツをつけて、煙突に赤い線が入っている様子を表現します。
車輪には、機関車の特徴の一つである連結棒をつけました。
燃料となる石炭には、黒,灰色,銀色の小さなパーツを積込みます。
僕の機関車が完成すると、娘が早速駅を作ってくれました。
それに息子が、他のおもちゃのレールをもってきて、機関車の下に敷いてくれました。
次回は客車も組み立ててみたいですね。
2013年12月18日
息子の面接
先日、息子を連れて深セン日本人学校を訪問し、
校長先生の入学面接を受けました。
息子は現在6歳、来年4月より娘と同じ深セン日本人学校への入学を希望しています。
入学希望者は、校長先生直々に面接をして頂き、基本的な日本語能力などを審査されます。
息子の場合、現在はまだローカル幼稚園に通っている為、
幼稚園では中国語,家では日本語という毎日です。
自然、会話していても、中国語と日本語がまぜこぜになっていることが多いです。
しかし、今はしっかり日本語を話す上の娘も、日本人学校に上がる前までは同じ状況でした。
学校に通い始めれば正しい日本語を覚え始めるようになりますので、
必ずしも今の段階で完璧な日本語を操れないといけない、ということはないようです。
とはいえ、やはり準備は必要なもの。
息子は、ここ一,二週間ほど、お姉さんから毎日50音表の読み方の特訓を受けていました。
その甲斐もあってか、今回の面接では、校長先生の質問に対しても、
まずまずの受け答えができ、最終的に校長先生より入学のお許しを頂きました。
これで息子も来年4月より、ピカピカの一年生です。
面接の後、お姉さんが勉強している教室の前を通ると、
すぐに娘のクラスの担任の先生や、娘やその友達たちが出てきて、
息子の合格を祝ってくれました。
小さな学校ですし、息子も学習発表会や運動会などで毎月のように学校に来ているので、
すでに沢山の知り合いがいるのです。
こんな環境ですので、息子が一日も早く深セン日本人学校に通いたい、
という気持ちもよくわかります。
お姉さんと一緒に、元気に学校へ通ってくれるようになればと思います。
校長先生の入学面接を受けました。
息子は現在6歳、来年4月より娘と同じ深セン日本人学校への入学を希望しています。
入学希望者は、校長先生直々に面接をして頂き、基本的な日本語能力などを審査されます。
息子の場合、現在はまだローカル幼稚園に通っている為、
幼稚園では中国語,家では日本語という毎日です。
自然、会話していても、中国語と日本語がまぜこぜになっていることが多いです。
しかし、今はしっかり日本語を話す上の娘も、日本人学校に上がる前までは同じ状況でした。
学校に通い始めれば正しい日本語を覚え始めるようになりますので、
必ずしも今の段階で完璧な日本語を操れないといけない、ということはないようです。
とはいえ、やはり準備は必要なもの。
息子は、ここ一,二週間ほど、お姉さんから毎日50音表の読み方の特訓を受けていました。
その甲斐もあってか、今回の面接では、校長先生の質問に対しても、
まずまずの受け答えができ、最終的に校長先生より入学のお許しを頂きました。
これで息子も来年4月より、ピカピカの一年生です。
面接の後、お姉さんが勉強している教室の前を通ると、
すぐに娘のクラスの担任の先生や、娘やその友達たちが出てきて、
息子の合格を祝ってくれました。
小さな学校ですし、息子も学習発表会や運動会などで毎月のように学校に来ているので、
すでに沢山の知り合いがいるのです。
こんな環境ですので、息子が一日も早く深セン日本人学校に通いたい、
という気持ちもよくわかります。
お姉さんと一緒に、元気に学校へ通ってくれるようになればと思います。
2013年12月17日
旧空港ターミナルをみて感じたこと
会社からの帰り道、車の中から、今は使われなくなった深セン空港旧ターミナルを眺めていると、
以前はあんなに活気のあったガラス張りの大きな建物とその付近が、
今では電灯も消え、訪れる旅行客もなく、ひっそりと静まり返っているのをみつけました。
僕が初めて深セン空港を利用したのは確か96年か97年の冬のこと。
一人で雲南省昆明まで旅する際に、ここから飛行機に乗ったのでした。
当時はターミナルもまだ一棟しかなく、周辺にも大した建築物もなく、
荒れ地の中に忽然と飛行場が現れた感がありました。
あれからもう17年近い年月が経っています。
空港近辺にも高層ビルができ、大きな物流センターや保税倉庫が建ち、
地下鉄が開通し、毎日大渋滞が起きるまでになりました。
そんな中、ついこの間まで稼働していたターミナルが閉鎖になったのです。
常に新しいものを追い続け、発展してきた深センでさえ、
今では役目を終えて、
古い過去として徐々に忘れ去られていく建築物が出始めたことに一抹の寂しさを感じました。
と同時に、最近僕の中で、
深センに対する見方が徐々に変化してきていることにも気づいています。
留学生時代、広東省省都の広州に住んでいた僕には、
移住当初、この街があまり好きにはなれませんでした。
自分で住むことを決めていながら、こんな言い方をするのも何ですが、
深センとは、歴史のない、文化的に砂漠の街。
新しいものしかなく、
その新しいものでさえ他人のまねごとばかりで、中身の伴わない薄っぺらの街。
概ねこんな感想を抱いていたものです。
でも、そんな深センにも、「過去」ができつつある。
もちろん、広州や北京などに比べれば、老人と赤子ほどの違いはあるにせよ、
深センも少しずつ街としての齢を重ねはじめています。
「過去」とは、そこに住んでいる人々の思い出に他なりません。
この僕自身が、この街でいろいろな思い出をつくってきました。
深セン空港旧ターミナルも、単に開発当初の建造物が古くて手狭になったから、
場所を変えて新しいものを建てただけかもしれない。
でも、そんな古くなった旧ターミナルでさえ、
僕が一人旅をした時の思い出、
家内のご両親に、結婚の許しを請いに行った時の思い出、
生後間もない娘を連れて、北京で春節を迎えに行った時の思い出などなど、
たくさんの思い出が刻まれています。
僕らの思い出に刻んだものが、「過去」として忘れ去られていく。
寂しさを感じる一方で、
徐々にですが、この街に対する愛着が生まれ始めています。
「住めば都。」
本当に、
昔の人はうまいことを言ったものです。
真っ暗になった旧ターミナルをみながら感じました。
以前はあんなに活気のあったガラス張りの大きな建物とその付近が、
今では電灯も消え、訪れる旅行客もなく、ひっそりと静まり返っているのをみつけました。
僕が初めて深セン空港を利用したのは確か96年か97年の冬のこと。
一人で雲南省昆明まで旅する際に、ここから飛行機に乗ったのでした。
当時はターミナルもまだ一棟しかなく、周辺にも大した建築物もなく、
荒れ地の中に忽然と飛行場が現れた感がありました。
あれからもう17年近い年月が経っています。
空港近辺にも高層ビルができ、大きな物流センターや保税倉庫が建ち、
地下鉄が開通し、毎日大渋滞が起きるまでになりました。
そんな中、ついこの間まで稼働していたターミナルが閉鎖になったのです。
常に新しいものを追い続け、発展してきた深センでさえ、
今では役目を終えて、
古い過去として徐々に忘れ去られていく建築物が出始めたことに一抹の寂しさを感じました。
と同時に、最近僕の中で、
深センに対する見方が徐々に変化してきていることにも気づいています。
留学生時代、広東省省都の広州に住んでいた僕には、
移住当初、この街があまり好きにはなれませんでした。
自分で住むことを決めていながら、こんな言い方をするのも何ですが、
深センとは、歴史のない、文化的に砂漠の街。
新しいものしかなく、
その新しいものでさえ他人のまねごとばかりで、中身の伴わない薄っぺらの街。
概ねこんな感想を抱いていたものです。
でも、そんな深センにも、「過去」ができつつある。
もちろん、広州や北京などに比べれば、老人と赤子ほどの違いはあるにせよ、
深センも少しずつ街としての齢を重ねはじめています。
「過去」とは、そこに住んでいる人々の思い出に他なりません。
この僕自身が、この街でいろいろな思い出をつくってきました。
深セン空港旧ターミナルも、単に開発当初の建造物が古くて手狭になったから、
場所を変えて新しいものを建てただけかもしれない。
でも、そんな古くなった旧ターミナルでさえ、
僕が一人旅をした時の思い出、
家内のご両親に、結婚の許しを請いに行った時の思い出、
生後間もない娘を連れて、北京で春節を迎えに行った時の思い出などなど、
たくさんの思い出が刻まれています。
僕らの思い出に刻んだものが、「過去」として忘れ去られていく。
寂しさを感じる一方で、
徐々にですが、この街に対する愛着が生まれ始めています。
「住めば都。」
本当に、
昔の人はうまいことを言ったものです。
真っ暗になった旧ターミナルをみながら感じました。
2013年12月16日
新しい高速道路
僕は深センの南山区に住んでいます。
勤務先は福永街道の、深セン空港から車で15分ほどのところにある日系工場です。
南山区には僕の他にも駐在員や現地採用日本人が多数住んでおりますので、
毎朝これらの方たちと一緒に会社の車で出勤します。
通勤ルートは、宝安区手前の同楽料金所から、広州方面に走る広深高速に乗り、
福永料金所で高速を下り、空港前を通過して工場に至る道筋です。
これまでは帰りも同じルートでした。
しかしこのルート、朝は別段問題ないのですが、
帰りはしばしば大渋滞に巻き込まれます。
渋滞の原因もさまざまです。
事故によるもの(追突事故などを起こした場合、中国では事故を起こした地点に停車させておく為、
他の交通の妨げになることが多いです),
車の流れを考慮しない道路設計によるもの,
信号の故障によるもの(これも多いです),
お互いに譲り合わないドライバーのマナーの悪さによるもの,
そもそも車の絶対数が多過ぎることなど、いろいろです。
このため、朝なら15分程度で通れる工場から空港前までの道のりも、
一時間近くかかってしまうこともあります。
更に広深高速を下りたところでも、南海大道の渋滞に巻き込まれることが多く、
結局家にたどり着くまでに1時間から1時間40分近く費やすこともあり、
毎日のごとくうんざりしていました。
しかしつい数週間前から、広深高速を並走する沿江高速が開通し、
帰宅車はこちらを走るようになった為、状況はかなり改善されました。
この沿江高速、何年も前から建造が行われていて、
我々もいつできるかと首を長くして待っていたものです。
当初の計画では、13年初に開通すると聞いておりましたが、
こういったインフラ整備が計画通りに完了するのは稀で、
13年初が旧正月明けになり、旧正月明けが国慶節明けになりと、ずいぶんと待たされました。
それがさる11月21日に開通となったのです。
早速、帰宅時に開通したばかりの沿江高速を通ってみました。
勤務先の工場から福永料金所まではほんの数分間の道のり。
高速に乗ると、空港、鶴州,西郷,宝安の街を左手にみながら、
高架の上を時速100Kmでほぼ一直線に南山区に向かいます。
これは速い。
出口は月亮湾大道と深セン湾イミグレーションとがあります。
深セン湾イミグレーションから僕のマンションまでは自転車でも行ける距離です。
結局この日は、会社を出てから、なんと30分で僕の住むマンションに到着しました。
この沿江高速、現状ではまだ福永より先の部分は完成しておらず、
我々の会社の車以外は、ほとんど走る車もありません。
延々と続く一直線の道路を、無人の荒野を行くがごとくに疾駆するのは、
これまで渋滞に悩まされ続けてきただけに、なんとも爽快な気分です。
暫くはこの快適な退勤時間を楽しむことができそうです。
勤務先は福永街道の、深セン空港から車で15分ほどのところにある日系工場です。
南山区には僕の他にも駐在員や現地採用日本人が多数住んでおりますので、
毎朝これらの方たちと一緒に会社の車で出勤します。
通勤ルートは、宝安区手前の同楽料金所から、広州方面に走る広深高速に乗り、
福永料金所で高速を下り、空港前を通過して工場に至る道筋です。
これまでは帰りも同じルートでした。
しかしこのルート、朝は別段問題ないのですが、
帰りはしばしば大渋滞に巻き込まれます。
渋滞の原因もさまざまです。
事故によるもの(追突事故などを起こした場合、中国では事故を起こした地点に停車させておく為、
他の交通の妨げになることが多いです),
車の流れを考慮しない道路設計によるもの,
信号の故障によるもの(これも多いです),
お互いに譲り合わないドライバーのマナーの悪さによるもの,
そもそも車の絶対数が多過ぎることなど、いろいろです。
このため、朝なら15分程度で通れる工場から空港前までの道のりも、
一時間近くかかってしまうこともあります。
更に広深高速を下りたところでも、南海大道の渋滞に巻き込まれることが多く、
結局家にたどり着くまでに1時間から1時間40分近く費やすこともあり、
毎日のごとくうんざりしていました。
しかしつい数週間前から、広深高速を並走する沿江高速が開通し、
帰宅車はこちらを走るようになった為、状況はかなり改善されました。
この沿江高速、何年も前から建造が行われていて、
我々もいつできるかと首を長くして待っていたものです。
当初の計画では、13年初に開通すると聞いておりましたが、
こういったインフラ整備が計画通りに完了するのは稀で、
13年初が旧正月明けになり、旧正月明けが国慶節明けになりと、ずいぶんと待たされました。
それがさる11月21日に開通となったのです。
早速、帰宅時に開通したばかりの沿江高速を通ってみました。
勤務先の工場から福永料金所まではほんの数分間の道のり。
高速に乗ると、空港、鶴州,西郷,宝安の街を左手にみながら、
高架の上を時速100Kmでほぼ一直線に南山区に向かいます。
これは速い。
出口は月亮湾大道と深セン湾イミグレーションとがあります。
深セン湾イミグレーションから僕のマンションまでは自転車でも行ける距離です。
結局この日は、会社を出てから、なんと30分で僕の住むマンションに到着しました。
この沿江高速、現状ではまだ福永より先の部分は完成しておらず、
我々の会社の車以外は、ほとんど走る車もありません。
延々と続く一直線の道路を、無人の荒野を行くがごとくに疾駆するのは、
これまで渋滞に悩まされ続けてきただけに、なんとも爽快な気分です。
暫くはこの快適な退勤時間を楽しむことができそうです。
2013年12月13日
家族の作品 クリスマスツリー(2013年版)
今年のクリスマスは、近所の子供たちを招いて、
我が家でクリスマスパーティーをすることになりました。
その為の準備として、子供たちと一緒にクリスマスツリーを制作しました。
ツリーは基本的に去年と同じ形。
まず画用紙を丸めて、木の幹にします。
根元がぐらつかないように、厚めの紙を十字にして、幹に切り込みを入れて差し込みます。
これで幹がしっかり立つようになりました。
続いて幹を茶色の画用紙で覆います。
木の表面の雰囲気を出すように、一旦茶色の画用紙を手で揉み、皺がよるようにしてから、
幹の周りに貼り付けます。
全部は覆いません。
上の方は、どうせ木の葉で隠れてしまいますから。
木の葉は緑の画用紙を円錐形にして作ります。
表面にセロハンテープをべたべた貼りましたが、
パーティー当日には、子供たちが大挙して、
木の葉の上から、折り紙で切り抜いたデコレーションを貼り付けるので、
気にしなくてよいでしょう。
ただ、幹の上に円錐形の木の葉を被せただけだと、ぐらぐらしてしまいますので、
幹の上部にわっかを取り付けて、ぐらぐら防止にします。
出来上がりはこんな感じ。
‥ちょっと幹が長すぎたかな?高さは娘の身長以上です。
このほか、色とりどりの折り紙をたくさん買っておきました。
クリスマスパーティー当日は、子供たちにこの折り紙を、
サンタクロースや雪だるまやトナカイの形に切り抜いてもらい、
ツリーの上にペタペタ貼り付けてもらいます。
みんなで作るクリスマスツリー。
子供たちが、まだこういう遊びを楽しんでくれる年齢だからこそ、
こういうクリスマスを楽しみたいものです。
来週の週末が楽しみです。
我が家でクリスマスパーティーをすることになりました。
その為の準備として、子供たちと一緒にクリスマスツリーを制作しました。
ツリーは基本的に去年と同じ形。
まず画用紙を丸めて、木の幹にします。
根元がぐらつかないように、厚めの紙を十字にして、幹に切り込みを入れて差し込みます。
これで幹がしっかり立つようになりました。
続いて幹を茶色の画用紙で覆います。
木の表面の雰囲気を出すように、一旦茶色の画用紙を手で揉み、皺がよるようにしてから、
幹の周りに貼り付けます。
全部は覆いません。
上の方は、どうせ木の葉で隠れてしまいますから。
木の葉は緑の画用紙を円錐形にして作ります。
表面にセロハンテープをべたべた貼りましたが、
パーティー当日には、子供たちが大挙して、
木の葉の上から、折り紙で切り抜いたデコレーションを貼り付けるので、
気にしなくてよいでしょう。
ただ、幹の上に円錐形の木の葉を被せただけだと、ぐらぐらしてしまいますので、
幹の上部にわっかを取り付けて、ぐらぐら防止にします。
出来上がりはこんな感じ。
‥ちょっと幹が長すぎたかな?高さは娘の身長以上です。
このほか、色とりどりの折り紙をたくさん買っておきました。
クリスマスパーティー当日は、子供たちにこの折り紙を、
サンタクロースや雪だるまやトナカイの形に切り抜いてもらい、
ツリーの上にペタペタ貼り付けてもらいます。
みんなで作るクリスマスツリー。
子供たちが、まだこういう遊びを楽しんでくれる年齢だからこそ、
こういうクリスマスを楽しみたいものです。
来週の週末が楽しみです。
2013年12月12日
福田区での生活を思う
蓮花山に出かけてみて改めて思いました。
やはり深セン市内でも、福田区の環境は最高ですね。
福田区といっても広いので、もう少し具体的にいうと、特に蓮花山,市民中心近辺の環境、
つまり僕ら家族が2年前まで住んでいたこの地域の環境のことです。
バスの便もよし、地下鉄もある。
香港へのアクセスもいい(以前住んでいた福田区のマンションからは、
大雨が降ったって、ほとんど濡れることなく尖沙嘴まで行けたものです)、
大きなショッピングモールもバスで10分程度だし、
運動したければ、市民中心も蓮花山も目と鼻の先だし。
子供病院だって、タクシーに乗れば3分で着きます。
音楽ホール,大型書店,喫茶店,ベーカリーにレストラン、何でもありました。
そんな便利なところなのに、意外と人が少ない(以前に比べればだいぶ多くはなりましたが)。
街並みは美しいし、緑も溢れている。
今住んでいる南山もいいところですが、僕ら家族はみな、ここでの生活が気に入っていました。
それに、娘・息子が生まれたとき、僕ら一家が住んでいたのもここ。
この近辺は、どこを歩いても、思い出がいっぱいです。
夕食後家族で音楽ホール前の広場まで散歩に行くと、
よくギター弾きの若者が、道端で歌いながらギターを弾いていたりして、
子供たちと座り込んで聞いていたものです。
しかしながら、子供たちを毎朝南山区の日本人学校に通わせることを考えると、
どうしてもここからでは遠い為、2年前に南山区に引っ越してきたのです。
機会があれば、是非またここで生活したいな、と思っています。
やはり深セン市内でも、福田区の環境は最高ですね。
福田区といっても広いので、もう少し具体的にいうと、特に蓮花山,市民中心近辺の環境、
つまり僕ら家族が2年前まで住んでいたこの地域の環境のことです。
バスの便もよし、地下鉄もある。
香港へのアクセスもいい(以前住んでいた福田区のマンションからは、
大雨が降ったって、ほとんど濡れることなく尖沙嘴まで行けたものです)、
大きなショッピングモールもバスで10分程度だし、
運動したければ、市民中心も蓮花山も目と鼻の先だし。
子供病院だって、タクシーに乗れば3分で着きます。
音楽ホール,大型書店,喫茶店,ベーカリーにレストラン、何でもありました。
そんな便利なところなのに、意外と人が少ない(以前に比べればだいぶ多くはなりましたが)。
街並みは美しいし、緑も溢れている。
今住んでいる南山もいいところですが、僕ら家族はみな、ここでの生活が気に入っていました。
それに、娘・息子が生まれたとき、僕ら一家が住んでいたのもここ。
この近辺は、どこを歩いても、思い出がいっぱいです。
夕食後家族で音楽ホール前の広場まで散歩に行くと、
よくギター弾きの若者が、道端で歌いながらギターを弾いていたりして、
子供たちと座り込んで聞いていたものです。
しかしながら、子供たちを毎朝南山区の日本人学校に通わせることを考えると、
どうしてもここからでは遠い為、2年前に南山区に引っ越してきたのです。
機会があれば、是非またここで生活したいな、と思っています。
2013年12月11日
山登り その2 蓮花山
息子の希望で、南山に登った翌日は、福田区にある蓮花山にも登りました。
こちらは山というよりむしろ小高い丘ですね。
僕ら家族も、2年前に南山に引っ越してくる前は、
この蓮花山のすぐ近くのマンションに住んでいましたから、
この界隈はよく知っています。
最近では地下鉄も便利になり、我が家の最寄りの登良站から蛇口線一本で、
乗り換えもせずに市民中心站までいけます。
市民中心の屋外通路を通れば、道路を渡ることもなく、直接蓮花山公園に行けます。
便利になったものです。
日曜日の午前10時ごろとあって、もう沢山の人々が集まってきていて、
余暇を楽しんでいました。
昨日の南山に比べれば、急な斜面もなく、10分間程度で山頂にたどり着きます。
山頂にはトウ小平の銅像が立っていて、
南の方角、香港を指して歩いていく姿をみることができます。
1984年に時のイギリス宰相サッチャーと会談し、1997年の香港返還を約束させたのは、
他でもないこのトウ小平です。
その後、香港返還を目前にしてトウ小平は亡くなりました。
トウ小平に関しては、天安門事件など、いろいろ負の面もあるでしょうが、
現代中国を発展に導いた「総設計師」として、今でも中国国内の人々の尊敬を集めています。
また、トウ小平は二度までも深センに足を運び、経済発展を促したとあって、
深センの今日に至る発展は、トウ小平に負うところが大きいといわれています。
その為、深センの至るところで、トウ小平の銅像や肖像を目にすることができるのです。
山頂には、そんなトウ小平の銅像をみる為にやってきた観光客や、
運動目的で登ってきた近所の人々がたくさんいて非常に賑わっています。
面白いのは、お手製の大きな筆を使って、地面に字を書いているおじいさんがいること。
これ、日本ではみることはありませんよね。
深センでは、蓮花山に限らず、ときどきこんな趣味を実践している人に出くわします。
筆は、箒の柄に、ペットボトルとスポンジを括りつけた簡単なモノ。
スポンジに水を含ませ、地面に貼り付けられたタイルに文字を書いていきます。
有名な詩を書く人もあれば、篆書で書く人もあったりして、
いろいろあって面白いものです。
うちの子供たちが興味を示し、そんなおじいさんの一人に話しかけて、
名前を書いてもらっていました。
息子がさっそく、「お父さん、おうちに帰ったらあの筆を作りたいから手伝って。」
と言ってきました。
「手伝って」といっても、作るのは結局僕なのですが‥。
暫く山頂で休んでから、別ルートで山を下りました。
ふもとでは、ダンスを踊る人、太極拳を練習する人、合唱をする人などで大賑わい。
ちょうどお昼ごろになったので、近所のKFCで昼食をとって、地下鉄に乗って帰ってきました。
こちらは山というよりむしろ小高い丘ですね。
僕ら家族も、2年前に南山に引っ越してくる前は、
この蓮花山のすぐ近くのマンションに住んでいましたから、
この界隈はよく知っています。
最近では地下鉄も便利になり、我が家の最寄りの登良站から蛇口線一本で、
乗り換えもせずに市民中心站までいけます。
市民中心の屋外通路を通れば、道路を渡ることもなく、直接蓮花山公園に行けます。
便利になったものです。
日曜日の午前10時ごろとあって、もう沢山の人々が集まってきていて、
余暇を楽しんでいました。
昨日の南山に比べれば、急な斜面もなく、10分間程度で山頂にたどり着きます。
山頂にはトウ小平の銅像が立っていて、
南の方角、香港を指して歩いていく姿をみることができます。
1984年に時のイギリス宰相サッチャーと会談し、1997年の香港返還を約束させたのは、
他でもないこのトウ小平です。
その後、香港返還を目前にしてトウ小平は亡くなりました。
トウ小平に関しては、天安門事件など、いろいろ負の面もあるでしょうが、
現代中国を発展に導いた「総設計師」として、今でも中国国内の人々の尊敬を集めています。
また、トウ小平は二度までも深センに足を運び、経済発展を促したとあって、
深センの今日に至る発展は、トウ小平に負うところが大きいといわれています。
その為、深センの至るところで、トウ小平の銅像や肖像を目にすることができるのです。
山頂には、そんなトウ小平の銅像をみる為にやってきた観光客や、
運動目的で登ってきた近所の人々がたくさんいて非常に賑わっています。
面白いのは、お手製の大きな筆を使って、地面に字を書いているおじいさんがいること。
これ、日本ではみることはありませんよね。
深センでは、蓮花山に限らず、ときどきこんな趣味を実践している人に出くわします。
筆は、箒の柄に、ペットボトルとスポンジを括りつけた簡単なモノ。
スポンジに水を含ませ、地面に貼り付けられたタイルに文字を書いていきます。
有名な詩を書く人もあれば、篆書で書く人もあったりして、
いろいろあって面白いものです。
うちの子供たちが興味を示し、そんなおじいさんの一人に話しかけて、
名前を書いてもらっていました。
息子がさっそく、「お父さん、おうちに帰ったらあの筆を作りたいから手伝って。」
と言ってきました。
「手伝って」といっても、作るのは結局僕なのですが‥。
暫く山頂で休んでから、別ルートで山を下りました。
ふもとでは、ダンスを踊る人、太極拳を練習する人、合唱をする人などで大賑わい。
ちょうどお昼ごろになったので、近所のKFCで昼食をとって、地下鉄に乗って帰ってきました。
2013年12月10日
山登り その1 南山
先日の土曜日には、家族で山登りに出かけました。
山登りといっても、大して高い山ではなく、我々の住む南山区の南山です。
標高は約330m、それでも南山区で一番の山です。
我が家からは、最寄りの停留所でバスに乗り、15分位のところでおりて登り口に至ります。
そこからは家族四人てくてく急な階段道を登っていきます。
僕は前日の晩からずっとテレビを見始め、当日の朝4時ごろやっと寝たので、
3時間程度しか睡眠をとっておりません。
そのせいか、もともとの運動不足がたたってか、
大したこともないこの山を登るのに、ヒイヒイいってしました。
一方子供たちはひょいひょい登っていきます。
登りながら二人して大声で口げんかしてみたり、ゲラゲラ笑ったり、
突然走り出してみたり、僕とは余裕度が全く違います。
本当に同じ山を登っているのか、と疑いたくなります。
週末とあって、南山には我々の他にも、多くの家族連れや若者が登っています。
ジャージや、ランニングシャツに短パン姿で登る人もいれば、全くの普段着で、
街中を歩く感じで登っている人もいます。
そんな登山客を見当てに、道端には、食べ物,飲み物,お菓子,小物を売る
露天商も多い。
道脇に、ミツバチを飼育している木製の箱がたくさんあって、そこでとれた
ハチミツを即売している人もあります。
南山とハチミツとどんな関係があるのかわかりませんが。
子連れで登る人も多いので、シャボン玉や、ちょっとした玩具等も売っています。
息子が、ウルトラマンの怪獣の人形を見つけ、
「僕、あのウルトラマンの怪獣がほしくて仕方ないんだけど、今日は山登りだから我慢するの。」
と何度も何度も、僕に言ってきました。
本当にほしかったのでしょう。
もちろん買いませんでしたが、何度も「エライよね。」と言って褒めてやりました。
頂上の広場では、よりたくさんの人が集まっていました。
景色をみると、僕らの住んでいる地区や、その向こうの福田区の高層ビル群も見えます。
南に目をやれば、深セン湾をわたる橋や、その先の香港等も視野に入ります。
北の方角には、つい最近開通したばかりの、沿江高速が延々と延びているのも分かります。
みな頂上についたところで、ストレッチをしたり、記念写真を撮ったりしています。
中には、携帯式の功夫茶セットと魔法瓶にいれた熱いお湯をもって登ってきて、
ベンチに座り込んで簡単なお茶会を楽しんでいるご老人もいて、
見ていても微笑ましい光景でした。
下り路はかなり傾斜のきつい坂道を、ゆっくり下りてきました。
路を下りながら、子供たちは大声で歌を歌います。
そんな恥ずかしいことを、と思われるかもしれませんが、周りにも大声で話したり、
歌ったりしながら下って行く人もいますので、それほど浮きません。
そんなふうにして、午後1時半ごろには下りてきました。
登山口から登り始めて下山してくるまで、大体2時間くらいでした。
いい運動になりました。
山登りといっても、大して高い山ではなく、我々の住む南山区の南山です。
標高は約330m、それでも南山区で一番の山です。
我が家からは、最寄りの停留所でバスに乗り、15分位のところでおりて登り口に至ります。
そこからは家族四人てくてく急な階段道を登っていきます。
僕は前日の晩からずっとテレビを見始め、当日の朝4時ごろやっと寝たので、
3時間程度しか睡眠をとっておりません。
そのせいか、もともとの運動不足がたたってか、
大したこともないこの山を登るのに、ヒイヒイいってしました。
一方子供たちはひょいひょい登っていきます。
登りながら二人して大声で口げんかしてみたり、ゲラゲラ笑ったり、
突然走り出してみたり、僕とは余裕度が全く違います。
本当に同じ山を登っているのか、と疑いたくなります。
週末とあって、南山には我々の他にも、多くの家族連れや若者が登っています。
ジャージや、ランニングシャツに短パン姿で登る人もいれば、全くの普段着で、
街中を歩く感じで登っている人もいます。
そんな登山客を見当てに、道端には、食べ物,飲み物,お菓子,小物を売る
露天商も多い。
道脇に、ミツバチを飼育している木製の箱がたくさんあって、そこでとれた
ハチミツを即売している人もあります。
南山とハチミツとどんな関係があるのかわかりませんが。
子連れで登る人も多いので、シャボン玉や、ちょっとした玩具等も売っています。
息子が、ウルトラマンの怪獣の人形を見つけ、
「僕、あのウルトラマンの怪獣がほしくて仕方ないんだけど、今日は山登りだから我慢するの。」
と何度も何度も、僕に言ってきました。
本当にほしかったのでしょう。
もちろん買いませんでしたが、何度も「エライよね。」と言って褒めてやりました。
頂上の広場では、よりたくさんの人が集まっていました。
景色をみると、僕らの住んでいる地区や、その向こうの福田区の高層ビル群も見えます。
南に目をやれば、深セン湾をわたる橋や、その先の香港等も視野に入ります。
北の方角には、つい最近開通したばかりの、沿江高速が延々と延びているのも分かります。
みな頂上についたところで、ストレッチをしたり、記念写真を撮ったりしています。
中には、携帯式の功夫茶セットと魔法瓶にいれた熱いお湯をもって登ってきて、
ベンチに座り込んで簡単なお茶会を楽しんでいるご老人もいて、
見ていても微笑ましい光景でした。
下り路はかなり傾斜のきつい坂道を、ゆっくり下りてきました。
路を下りながら、子供たちは大声で歌を歌います。
そんな恥ずかしいことを、と思われるかもしれませんが、周りにも大声で話したり、
歌ったりしながら下って行く人もいますので、それほど浮きません。
そんなふうにして、午後1時半ごろには下りてきました。
登山口から登り始めて下山してくるまで、大体2時間くらいでした。
いい運動になりました。
2013年12月09日
僕の作品 ウェディング その2
僕の作品のレゴ・ウェディング。
今日は花婿です。
ウェディングの時の花婿といえば、
やはりタキシードを着て、キリッとしたところを見せたいですよね。
‥もう12年も前のことですが、僕が東京で結婚式を挙げた時は、
緊張して体がコチンコチンになっていました。
あれからもう12年かぁ‥。
長かったようで、短かったようで‥。
家内もすっかりお母さんになったし、僕も太ってきたし‥。
でも、当時の写真と比べれば、
僕も家内もかなり成熟してきたようなきがしますね。
おっと、まだ脱線です。
とにかく、花婿のコチンコチン感を表現してみましょう。
直立不動、ですから両腕はぴったり体にくっつけて。
タキシードはやっぱり黒っ!
赤い腹巻は、ちょっとやり過ぎだったかな?
蝶ネクタイには1×2タイルの真ん中にポッチがあるパーツを使いました。
もう少し別のモノでもうまく表現できるかもしれませんね。
問題はやはり顔。
引きしまった表情を、と思うのですが、やはり難しい。
使うパーツを、全く花嫁と同じにしても芸がないので、
西洋人のようなふかぼりの顔にしましたが、
‥なんだかイースター島のモアイのようです。
髪の毛はカッチリ固めます。ここでは黒のミニスロープを使用しました。
‥一人でいると、花婿というよりはむしろ高級レストランのウェイターといった感じかな‥?
でも、花嫁と一緒に置くと‥、
これでウェディングだと分かりますね。
12年前、僕と家内もこんなふうに写真をとったなぁ‥。
もう12年だもんなぁ‥。
ここで更にチャペルなんか作ってあげれば、もっと雰囲気がでるのでしょうが、
それはまた別の機会に。
子供に見せると、息子の方はあまり関心を示しませんでした‥。
やはり男の子は、そうなんでしょうね。
娘は大喜び。
若い二人の門出を祝すべく、
たくさんのお友達を連れてきてお祝いしてくれました。
こんな感じ。
‥心なしか、花嫁,花婿もうれしそう(?)。
今日は花婿です。
ウェディングの時の花婿といえば、
やはりタキシードを着て、キリッとしたところを見せたいですよね。
‥もう12年も前のことですが、僕が東京で結婚式を挙げた時は、
緊張して体がコチンコチンになっていました。
あれからもう12年かぁ‥。
長かったようで、短かったようで‥。
家内もすっかりお母さんになったし、僕も太ってきたし‥。
でも、当時の写真と比べれば、
僕も家内もかなり成熟してきたようなきがしますね。
おっと、まだ脱線です。
とにかく、花婿のコチンコチン感を表現してみましょう。
直立不動、ですから両腕はぴったり体にくっつけて。
タキシードはやっぱり黒っ!
赤い腹巻は、ちょっとやり過ぎだったかな?
蝶ネクタイには1×2タイルの真ん中にポッチがあるパーツを使いました。
もう少し別のモノでもうまく表現できるかもしれませんね。
問題はやはり顔。
引きしまった表情を、と思うのですが、やはり難しい。
使うパーツを、全く花嫁と同じにしても芸がないので、
西洋人のようなふかぼりの顔にしましたが、
‥なんだかイースター島のモアイのようです。
髪の毛はカッチリ固めます。ここでは黒のミニスロープを使用しました。
‥一人でいると、花婿というよりはむしろ高級レストランのウェイターといった感じかな‥?
でも、花嫁と一緒に置くと‥、
これでウェディングだと分かりますね。
12年前、僕と家内もこんなふうに写真をとったなぁ‥。
もう12年だもんなぁ‥。
ここで更にチャペルなんか作ってあげれば、もっと雰囲気がでるのでしょうが、
それはまた別の機会に。
子供に見せると、息子の方はあまり関心を示しませんでした‥。
やはり男の子は、そうなんでしょうね。
娘は大喜び。
若い二人の門出を祝すべく、
たくさんのお友達を連れてきてお祝いしてくれました。
こんな感じ。
‥心なしか、花嫁,花婿もうれしそう(?)。