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2020年12月02日
2020と2017の12月
今朝も寒い
さすがに師走12月だ!
足の痛みは ずいぶん収まってきているが
やはり 歩行時には慎重に動いている
まっすぐに立つときに いまだにしっかり力が伝わらない感覚
直進は問題なくそろそろ歩けるものの
振り向いたり 車から降りるときに
少しでも捻ると 太ももの付け根に痛みが走る
背筋を伸ばすことはできるようになってきているが
この状態では カー◯スはもうしばらく休んだほうがいいな
2017年の12月も なかなか冷え込んで始まった
父は 顎にコブができた " コブとり爺さん " のような顔をして
市立病院の外科と歯科に通院
母は 冷え込みに文句を言いながらも
大事なく 父の介護中心の生活を続けていた
仕事も イベント等を無事に終わらせ
あとは 年末休暇を待つだけ・・・という時
25日に 娘からLINEが!
なんと高熱が出て 早退してきたとの連絡
ここに来て まさかのインフル???
恐れおののいていたら
案の定 翌日に インフルエンザB型発症の診断
やれやれ 31日まで外出禁止とな!
夫は 絶対うつる訳にはいかないと
娘を家庭内隔離して ドア越しに " 献身的に " 介護したらしい
自分も 27日には 自宅へ吹っ飛んで帰った
幸い その時には 処方されたリレンザでことなきを得た
熱は早々と下がり 本人の体感もずいぶん楽になったようだった
そして年末29日には長男が
31日には隣県の嫁子さん実家に帰省していた次男一家が
それぞれ 帰省してきた
熱の下がった娘も交え
今では当たり前の「家族全員マスク姿」で 年越しをした(笑)
今年の年末は 一体どんな風景になるのだろう?
GO TO トラベル の高齢者自粛や 地域によっての運用の差
若い人たち 私の方な高齢者(65歳以下ではあるが)
各々の対応をしっかり考えなければいけないな
次男夫婦は 隣県の嫁子ちゃん母が
年末は 帰省していい!と言っているとのことで
今の所は 例年通り 妻実家から順に帰省する予定とのこと
考え方は 人それぞれではあるが
自分のところでも 帰省してくるならウエルカムだ
実は 11月13日から1泊で ゲリラ上京した
夫の運転で 玄関to玄関の道程だったが
嫁子ちゃんにはもちろん
忘れられてたかな?と心配だった
二人の孫にも 驚くほどの大歓迎を受けた
マスク・殺菌はもちろん 不特定多数の人が会食しているような
知らず知らずに 飛沫感染の恐れがあるところは徹底的に避けていった
高速のSAでも 時間帯をずらしてトイレ休憩
飲食はフードコートを避け 車内に持ち込んで食べる
上京してからは 次男宅と近所のコンビニの往復のみ
本当は 文房具店巡りをしたかったのだが
孫に顔を見せるのが 主たる目的だったので
思いっきり 遊び倒してきた
あぁーーー 昨年の今頃のように
何も考えず 都内をぐるぐる 廻りたい!!!
けれど 今年は慎重に 慎重に
あらゆる状況判断をしっかりしていこう!!!
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2020年12月01日
今年もあと1ヶ月
昨日 腰の治療を受けてから
月末だということもあり
母の用事のお付き合いで
銀行回りやら 買い物やらに出かけた
最初の銀行に行ったおり
駐車場に降りようとしたら・・・
庇っていた右足の付け根を腰から捻ってしまった
それまで痛みがなかったところに痛みが!!
何をやっているんだろう?
慎重に降りたつもりが 余計なことを・・・
年末を迎えるこの忙しい時期に 自分でも呆れてしまう
何事慌てるな!という 戒めだと思い注意しなくては
今日もこれから整形外科での 腰伸ばしだ
昨日捻ってしまったとはいえ治療中だし まあ良しとするか
しっかり腰を伸ばしてもらおう!
ここでは 病気のこと 夫とのことなど振り返りながら書いてきた
2017年 秋のたま姐さんが亡くなったところまで振り返った
悲しかったが
16年という月日を一緒に過ごしてくれたことに感謝しかなかった
そして
その年はそのまま穏やかに暮れていくものだと思っていた
けれど たまの葬儀をおえ
2時間ドライブの後実家に戻ってみると
夕方だというのに 父が着替えている
その日 かかりつけ医に行った帰り道
強風に煽れられて 転んでしまったそうだ
もろに顔から転んでしまい 血だらけになっている父を
すぐに助けに来てくれた女性がいて
タクシーを手配してくれて 市立病院へ電話までしてくれたと!
その女性のおかげで 救急受付にすんなり入れて
すぐに治療をしてもらえたそうだ
帰宅して 血だらけの服を着替えているところに遭遇した訳
まあ どれだけ派手に転んだのやら
とにかく服は血まみれだった
鼻から下は 打ち身のせいで色が変色している
そして こんなに顎が長かったっけ?というほど
腫れが広範囲に広がっていた
歯槽骨骨折の上 損傷が激しい歯を4本抜いたと!
やれやれ お父様!!!
おかしなところを打たなくて何よりでしたよ
自分でも情けなかったようで 表情は憮然としていたが
母は 骨折が足ではなくて本当に良かったと何度も言っていた
確かに!
脳梗塞を患っても 自力で歩けることが
父本人も自慢だったから
結果的には それから2年以上何事なく生活できたのだから
やはり 根が丈夫な人だったんだと思う
さて そろそろ診療時間だ!
自分も 残り僅かになってきたこの令和2年
大事なく 無事に年越しできるように頑張ろう!!!
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2020年11月30日
今朝も
昨日 仕事には行ったものの
一日中 右足を引きずって歩いていた
右足に痛みは続いているし
一歩踏み出すときに
足先までに きちんと力が伝わらない感覚が・・・
痛みが怖くて 思い切り踏み出せないこともあるのだろうが
とにかく まっすぐに歩くだけでも辛い
営業さん達の協力も仰ぎ どうにか仕事をすることができた
退社時間が 本当に待ち遠しい1日だった(笑)
今も 整形外科に来て車内で待っている
月曜日だからなのか? 前回よりも混んでいる!
前回よりも早く来たのに8番目という・・・
まぁ 気長に待つしかないな
実は前回 右手が震えることを 先生に聞いてみた
以前 Mクリニック脳外科のK先生には
脳内に 異常の原因となるものは見当たらない、と言われ
神経内科に行ってみたほうがいいとアドバイスを受けていた
最近 その震えが だんだんと酷くなってきた
頻度はそれほど変わらないものの
震えの幅というか 動きが大きくなってきているのだ
そんな状況下で 整形外科の先生に尋ねてみた
初診にもかかわらず 先生はじっくり話を聞いてくれた
そして 一言
「パーキンソン病も疑ったほうがいいかもしれませんね
体を動かしていない状態で 手や足だけが震えてくるのは
パーキンソン病の特有の症状の一つですし
ニャンままさんは 肺腺がんのあと大きな病気もしていない
外科的に 原因となるような事象も起こしていない
所見として言えるのは やはりその病気が一番近いかと」
パーキンソン病???
正直 肺がんの疑い、と言われた時よりもショックだった
以前 甥の彼女さんから その疑いがあるかも?と
言われたことはあった
作業療法士をしている彼女は そういう症状の人を多くみていると
そのときには まったく自分事とは思えなかったが
整形外科の先生にも そう言われてしまうと・・・
椎間板ヘルニアの状態が良くなってきたら
本気で 脳神経内科を受診しなくては!
あ〜〜あ!
せっかく 通う病院がO先生のところだけになったと
ホッとしていたのに(泣)
ここにきて また新たな病院探しをしなくては・・・
少しでも 体調がいいまま長生きしたいので
頑張るか!!!
今朝は 車内で待つには 少し寒いので
そろそろ院内待合室に行きます!!
では 皆さんにとっても 今日がいい日でありますように♪
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2020年11月29日
結果報告
*今日の出勤前に投稿したはずが…
今 確認したら投稿されてなかった(泣)
遅ればせながら………
右足の痛み・・・
結論は「椎間板ヘルニア」になりつつある状態
腰の痛みはほとんどなかったが
レントゲンで確認してもらったところ
少々 椎間板が腫れてきているとのこと
確かに ほんの少し椎間板がはみ出てきてるような・・・
以前の椎間板ヘルニアと違うところは
神経に触れている部分が まだまだ小さかったこと
なので 大腿部の神経のみで 腰に直接の影響はなかったようだ
心配していた股関節等は 非常にいい状態だと言われ
その点ではホッとした
とりあえず 腰を伸ばす治療をして帰宅
今は ベッドに仰向けになって伸ばすのではなく
治療器具の椅子に座ったまま
椅子が自動的に仰向けに近い姿勢の角度まで動くのに驚いた!
ちょうど 宇宙飛行士が飛び立つときに取る姿勢のようだ
あとは そのまま機械が腰を伸ばしたり縮めたりしてくれる
腰の部分が温かく 10分の治療時間が天国だった(笑)
けれど
たった一度の治療でスムーズに歩行できるはずもなく
この治療をするのに 数回通うようにとの指示
湿布薬と痛みを改善する薬を処方してもらった
私の歩く姿を見かねた母が
使っていなかった自分の杖を貸してくれるという(爆)
やれ 情けない事態になったもので・・・
けれど 当日はそのまま
そんな状態でも娘の安産祈願に出かけた(笑)
最初から決まっていた日程で
戌の日だったし(笑)
夫が休みを取って来てくれたので
運転してもらって娘宅へ 1時間ちょっとのドライブ
娘夫婦と夫と4人で きちんと詣でて参りましたよ!
そちらの地元では有名な立派な神社で
厳かな気持ちでお願いをしてきた
実は 妊娠初期からの酷いつわりばかりではなく
切迫流産の恐れがあり休職となった娘
初産で流産してしまった自分の時のことも思い出し
とにかく気が気ではない
来年5月の予定日まで とにかく安定して
何事なく母子ともども元気でいてほしい!!!
それまでには こちらの体調も万全にしておかなくては!!
そして昨日の土曜日は 愛車を見てもらいに
整備工場へ出向いたり
「罪の声」という映画を観たり
文房具店に行ったり、とバタバタしていた
夫が来ているときにはブログを書くのは無理だし
運転手がいるのだから 遠慮なく使わせてもらった(爆)
今朝 早くに夫は自宅へ戻ったが
自分は これから仕事に!!!
日曜日だけれど 今日行けば次のシフトは金曜日
金曜日までには
もう少し この足の状態から復活しておきたい!!
それでは 行ってきまーーす!!!
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2020年11月27日
1週間ぶりの・・・
愛用のMacちゃんが戻ってきたのは日曜日のこと
それからご無沙汰してしまった
連休中は まあまあ仕事も忙しく
「我慢の3連休」とはほど遠く 日常を淡々と過ごした
Macちゃんは元気になったけれども
今度は自分の具合が芳しくない
内科的なことは全く大丈夫・・・だと思うが
脚が痛む
カー◯スに通い始め 楽しく運動を続けていたのだが
2、3日前から右太ももが痛い
以前に 高く足を上げての足踏みが辛かったことと
関係があるとは思うのだが・・・
昨日 買い物中に 痛みが酷く歩けなくなってしまった
すり足の狂言役者のように 恐る恐る右足を引きずりながら
どうにか車に乗り込み帰宅したのだが
まぁ痛いのなんの!
25年ほど前に 椎間板ヘルニアになったことがある
あの時は ピシッ!!!とした感覚の後動けなくなった
その時の感覚とは少し違っている
腰からの痛みはほとんどなく 大腿部だけだ
今回は どうにか動けるとはいえ
腰を曲げないと 歩行ができないほどだ
一晩休んで 幾らか痛みは引いてきたものの
まともに歩けないので 整形外科に来ている
午前9時開院だというのに もう患者さんたちがたくさん!
(8時過ぎたばかりの時間に着いたのに・・・泣)
自分より高齢の方がほとんどで
半数は車内で 半数は院内で待っている状態
当地のコロナは今のところ落ち着いている方だとはいえ
やはり 患者さんがたくさんいる待合室は不安なので
こうして車内で ブログを書いている
大ごとにならなければいいなぁ・・・
明日の仕事は休めないし・・・
最悪 帰りに杖を買って帰ろう!
歩けないよりはずっといい
書きたいことはたくさんあるのだが
気持ちも落ち着かず 痛みも引けず 集中力がない
単純な自分なので 原因がわかれば
「あの騒ぎは なんだったの?」と 足を引きずりながらも
あっけらかんとしているとは思うのだが(笑)
診察開始まで 30分を切ったので そろそろ行こうかな?
それではみなさん 今日も良い1日を!!!
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2020年11月20日
体調悪化(PCが 笑)
2020年11月19日
2017年 秋
この年の秋も色々あった
乗っていた軽自動車がとうとう壊れてしまい
中古ではあるものの 普通自動車に買い替えた
実家と自宅をブンブン往復していて
走行距離も半端なく伸びていたし 仕方ないか・・・
娘は彼氏さんととてもいい感じになってきていて
母親としては 安心することしきり
とにかく 彼氏さんがスペック・人間力 共に最高の人!!!
結果的には この彼氏さんと無事に結婚できたので
今も本当に幸せそうだ!!!
MクリニックでのMRIも何事なく済み
体調は万全だった
義実家の片付けやら 実家の両親の病院通いやら
あっちでもこっちでも とにかく動いた
仕事でも 久しぶりの本社研修で上京したり
全体会議で 出張したり、と大忙しだった
10月末のO先生の定期検診の日
朝から 長女猫のたまの様子が変だった
生後8日ほどで保護して育ててきたそれまで
一度の粗相もなかったのに
その日は朝から トイレ以外のところで用を足していた
用をたす・・・というよりは " 垂れ流し" に近かった
ヨロヨロしだして 水を飲むのもやっととなり
夫と娘が出勤した後は みるみる弱ってしまった
病院へ行く前に
ファンヒーターの前にクッションベッドをおいてあげた
急に冷え込んだ朝だったので 高齢のたまには辛かったのかと
その日の血液検査の結果は
何らかの理由ですぐには出せないとのことで
午後2時に再来院することになった
O先生も困っていたが 近くだしすぐにこれるので、と
急ぎ病院から帰宅した
たまは 玄関の三和土に下りて
下駄箱の下の奥に顔を突っ込んでいた状態だった
寒いのに 震えながら なぜそんなところにいるの?
驚いて すぐにリビングに連れて行き
またクッションベッドに入れてあげた
長男猫の風太と 次男猫のジジはそわそわしていて
たまを遠目に尻込みしている様子
なので 一時 息子たちの部屋に
トイレ・水とともに隔離した
もう たまは虹の橋を渡る準備をしているのだ
そう思えて 涙が止まらなくなった
自呼吸が 途切れ途切れになってきていて
目も開いたままの状態に近い
それでも 名前を呼ぶと 耳を動かしていた
ずっと撫でてあげていたかったが 2時10分前頃に病院へ
結果を聞いて すぐに踵を返して帰宅!!!
車に乗り込んで間も無く
マスクの中に 突然たまの匂いが・・・・
あぁーーー 虹の橋を渡っちゃった
そう確信した
帰宅すると もう苦しそうな呼吸も止まり
穏やかな状態で横たわっていた
この家を建てて3ヶ月後に来た たま
16年の時を家族一緒に過ごした たま
夫と娘 そして都内の息子たちにすぐにLINEした
そして 風太とジジにもお別れをさせてあげた
娘は帰宅早々
「お母さんが帰って来ている時でよかった・・・
自分が帰宅して たまちゃんがすでに亡くなってたら
ショックで変になっちゃうところだった」
そう言って大泣きしながら たまの亡骸をずっと撫でてあげていた
動物は亡くなるときに その姿を人に見せないというが
たまが 下駄箱の下に隠れるようにしていたのはそのせいなのか?
今となってはわからないが
結果としては 娘の言った通り
私が自宅に帰る時を待っていてくれたのかもしれない
最高体重が 6,3kgだったが
その2年前くらいから痩せてきて
最後は2,6kgまでになってしまっていた
凛とした 姐さん猫のたま
荼毘にふしたとき 係りの人に
「顎の骨がとてもしっかりしている猫ちゃんだったんですね
猫用ではなく 小型犬用の骨壷にしますね」と言われた
さすが たま姐さんだね!!!と 娘と笑い合った
今は 虹の橋の向こうで 元気にしてるかな?
お母さんは まだもう少しこっちにいる予定だから
忘れないで待っててね!!!
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2020年11月17日
2017年 夏
義父の葬儀を終え やっと落ち着いたが
7月の間に 職場の同僚二人の義父・実母がそれぞれなくなり
営業所全体が慌ただしくも何となく神妙な雰囲気だった
まぁ とにかく暑くて 強めの冷房が入っていたせいか?笑
バタバタと 気ぜわしく過ごす中で
1年に一度のPET検査の日がやってきた
O先生のところでの血液検査では
腫瘍マーカーに関する数値は 軒並み落ち着いてはいるものの
骨転移に関しての数値は しきい値を行ったり来たりしていた
(これは現在に至っても同じ状況なので 一抹の不安はある)
O先生には
「よく動く数値だから 焦らず定期的に見ていけば大丈夫!」とだけ
毎回言われていて 定期的に画像診断をしてもらうことになっていた
MRIは半年に一度だったが 基本 脳転移の確認なので
やはり全身はPET検査が重要だと
大学病院のS先生は その日もシャキッとして迎えてくれた
結果としては 何事もなかったが
右腎臓を取ってからの3年目の夏ということで
改めて 水分補給はもちろんのこと 体調変化の見極め方等
細かいアドバイスをいただいた
普通通りに過ごせていると ついつい油断してしまい
体調変化を見逃したりしたら 大変なことになってしまうから、と
O先生に言わせると「改造人間」に近いというS先生!
体の中に あちこち欠損しているところがあるとは思えないほどの
相変わらずのはつらつさに勇気付けられた
8月に入り 旧盆に都内の子供達が来てくれた
義父は新盆ではないので とりあえず私の実家に顔見せ
下旬に義父の四十九日法要と納骨式があるため
旧盆中は義実家には失礼して こちら側だけにしてもらった
孫娘も1歳3ヶ月だったので まだまだ無理はできない
下旬にあった納骨式も 結果的には無事に終わったが
読経の間 やはりじっとしていることは孫娘には辛かった
途中から嫁子ちゃんが抱っこして
お寺の庭を散策してくれてことなきを得た
相変わらず 実家と自宅を行ったり来たりの忙しい夏だったが
どうにか予定していた全てのスケジュールを無事に終わらせることができた
加えて この暑い夏を無事に乗り越えられたことで
自分の体力が きちんと回復している実感を得た
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2020年11月13日
2017年 8月
7月に義父が亡くなったのだが
この年はとても暑い夏が続いていた
通夜・告別式共 それはまあ本当に暑い中のことで
亡くなった日から 少し日を空けないと会場が取れなかったため
エンバーミングをしてもらった
驚くほど 生き生きとした雰囲気になり
まるで そこで眠っているだけかのような義父だった
そのきれいな顔を見ていただくことができて
通夜に来ていただいた方々にも ゆっくりお別れしてもらえた
そして この時の体験で
" 遺されたもの " の様々な仕事やら 役目やらを考えさせられたのだ
8月になって 新盆だと信じ切っていた私たちは
「亡くなってから四九日も過ぎていないのに 新盆の訳はないでしょう!」と
当の和尚さんに叱責されてしまった
確かに理屈上はそうであるが
自分の実家のあたりは 旧七夕の前までに亡くなれば
その年に 新盆を済ませる習慣があった
商家が多い地域がら
翌年の盆まで喪を長く引きずらないように
商習慣として そうしていたのかもしれない
なので 四十九日の法要は仕方のないこととして
翌年 新盆
そのまた翌年 3回忌・・・と
毎年法要をするのは 正直 多すぎないかと
罰当たりのような言い方だが
和尚さんのご都合をお伺いし
家族・親族の都合がなるべく重なる日程を模索し
その日程に沿った法要を営むのは そうそう簡単なことではない
それも 今回のケースでは3年連続・・・
結果的には
義兄夫婦が とてもスピーディーに動いてくれたので
この年はもちろんのこと
翌年以降も 法要関係は とてもスムーズに営まれた
故人を偲ぶことは 大切なことだし
家族にとっても 親族の皆と顔をあわせる機会を設けるのは
こういう時だからこそ、の大事な時間かと思う
けれど やはり大変だった・・・というのも正直な気持ち
時間的にも金銭的にも そして遠い親族は物理的にも・・・
同じ仏教でも 宗派が違えば 捉え方も違ってくるし
檀家さんの数で お寺さんから要求される内容も違ってくる
地域性もあるとは思うが
静かに故人を偲んでいきたいと思った夏だった
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2020年11月12日
擦っちゃったぁーーー(泣)
昨日 仕事でちょっとトラブルがあった
落ち着いて考えれば そのトラブルの原因は自分には無いし
処置の方法も 私の権限ではできないことだ
けれど・・・・
解決させておくこと!という指示
はぁ 終業時間間際に言われても・・・
今朝は少し早出をして 原因と思われることを
全て洗い出ししないといけない
いつものおっちょこちょいで 自分の確認ミスがあったかもしれないし
何やら モヤモヤイライラしたまま帰宅の準備をした
どうにも気持ちが収まらず
忙しくて通う頻度が減っていた カー◯ブスに立ち寄ろうと決めた
体を動かせば
このイライラもどこかへ飛んで行ってくれるはず!と考えたのだ
幸い 着替え一式はいつも車に積んである
とにかく 先ずは体を動かしに行こう!と
その駐車場へ入ろうとしたところ・・・
「ガガガッ!!!」と大きな音が!
あちゃーーーー(泣)
立体駐車場の柱に
車体の左前を思い切り 擦ってしまった!!!
よそ見をしていたわけでもなく
スマホを見ていたわけでもない
俗にいう「漫然運転」だったのだろう
頭の中でモヤモヤが蔓延して イライラする思いもパチパチしていた
視線は そこに向いているようで
実際は きちんと確認できていなかったのだろう
いつもと同じようなラインでハンドルを切ったはずなのに・・・
「◯ちゃん ごめんなさい!!!」と車の中で叫んだ
特定の宗教を持たない自分は 八百万の神?派だ(笑)
日本人古来の考え方で 森羅万象
この地上のありとあらゆるものには魂が宿っていると思っている
なので 車にも名前をつけて呼んでいるのだ(少し変?笑)
誰にも相談できない事は 一人車内でしゃべり倒し
いつも ◯ちゃん(車)に聞いてもらっていた
(周りから見たら 相当怪しいおばさん!笑)
高速道路を使う時など
◯ちゃん 今日もお願いします!よろしくね!と
きちんと声かけをしている
その相棒に傷をつけてしまった・・・(嘆)
何をしてるんだ!? 自分!!!
余計に心持ちが沈んでしまった・・・
車体の傷も深い部分があるが
とりあえず今日はミスの原因を探すため きちんと仕事に行かないと
はぁ・・・ ため息ばかりが出てしまうが
「頑張れ!自分!!!」
安全運転で 仕事に行ってきまぁーす!
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