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2020年05月25日
いよいよ
2016年9月26日
いよいよ 放射線治療が始まる日
治療計画後 職場の上司メンバーに詳細報告
秋彼岸には 義実家のお墓まいり等
一応 やるべきことは済ませておいた
治療が午前中なので 午後から出勤できる旨相談したが
何事があるのかわからないのが治療なのだから
無理せず その期間中は病欠ということで構わないと
日給月給だったので 収入はなくなるが
辞めなくてもいいと言っていただいたことは
本当にありがたかった
お墓まいりでは
このタイミングになって尚 ふざけた日常の夫のことを
59という若さで亡くなった義母に訴えていた
申し訳なく思ってくれるだろうけれど
夫はマザコンだったからなぁ・・・
義母も 仕方ないなぁと苦笑いするくらいなのかも?
まぁ 不倫「された」当人の気持ちなんか
他の人には わからないだろうし
不倫「した」当人の気持ちも理解できないだろうが(笑)
初日の大学病院は 月曜日の割には
駐車場が空いていて そのことに驚いた
けれど
放射線科はこれまでのどの時間帯よりも混んでいた
そうか!
今まで 昼近くの予約ばかりだったので
治療する人たちは ほとんど終わった時間帯だったのか!
少し広めの待合コーナーを見渡すと
その日は 入院患者さんは見当たらす
ほとんど外来の人で それも高齢の男性ばかり・・・
失礼ながら 独特の " かほり" にやられてしまった
まだまだ暑かったので
思わずマスクを取っていたのは失敗だった(笑)
順番が来て 技師さんに導かれ 照射室へ
着替えて 装置の真下のベッドに横になる
下から見上げると やっぱりでっかいシャワーだな!(爆)
服をたくし上げられ「座標軸」を確認された
「ニャンままさん 印があまり薄くなってませんね
助かります(ニッコリ)」
あれだけ " 消えないように注意してくださいね!!!" と
念を押して言われたので それは気を遣ってましたとも!
また 赤いビーム(笑)のようなものを当てられ
技師さんが退出して 放射線照射開始
身体の上を 覗き込むかのように
ゆっくり装置が移動していく
もちろん 放射線なので痛みも何もなく
ただただ
装置が身体の上方を 右から左へ横切っていくのを見ていた
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2020年05月23日
義父のこと
放射線治療計画を終えて 報告がてら義姉の家へ
それまで 転移した事を伝えていなかったので
とても驚かれた
加えて 最近の夫の動向を報告すると
文字通り目を丸くして 呆れ返るばかり
とにかく " 気持ち悪い" の一言だと
自分も 二人の件では
相当に消耗して来た頃だったので
義姉から もう離婚一択だ!!!と言われて
そろそろ その方向で動き始めるか!と思った
その頃 義父は
デイサービスとヘルパーさんの訪問に助けられ
自宅で一人暮らしをしていた
義父は 義兄の家での同居も拒否し
自宅からは動きたくない意志だった
山並みを見て 庭や畑の手入れをしていたいと・・・
けれど 自宅内で転んで 悪かった腰に加え
足も不自由になって来た
訪問介護のヘルパーさんにも 意地を張っていて
体がきかなくなってきているのに
そのやり方に 何かといちゃもんをつける時が
日々増えてきたと聞いていた
そんな状態だったので
そろそろ ショートステイを利用しては?と
ケアマネさんから 義兄夫婦に連絡が来たとのこと
私の知らぬ間に 義姉が色々動いていてくれて
翌週月曜日に 正式に認定その他の手続きができるらしい
義姉も時間があると 義実家へ通っていてくれて
何かと面倒を見てくれていたので
ショートステイを利用できるようになるのは
私にとっても本当にありがたい
パートをしているとはいえ 義姉に頼りきりだったので
義姉の負担が少しでも減ることになれば・・・
義姉は義姉で
常に 私の病気の事や体調を気遣って
義父のことは任せて!と言ってくれていたのだ
あんなに農作業が好きだった義父が
ショートステイとはいえ 自宅を離れて生活するのは
自身でもなかなか納得いかないことだったと思う
身体が不自由になって来てはいたが
認知症があるわけでもなく
ショートステイとはいえ
老人介護施設に通うのは プライドが許さなかったかもしれない
けれど 義兄にもご近所の方にも説得され
やっと重い腰を上げたという感じだった
これで少しは義姉の負担が減る・・・と
自分のことのようにうれしくなった
そして 義姉との久しぶりの何気ないおしゃべりを
思う存分楽しんで たくさん笑っておいとました
帰りしなに義姉からかけられた
「自分の身体のことを一番に考えて
これ以上 ストレスになる生活を続けてはダメだよ!」
という 言葉を思い起こしながら 夕食の準備を始めた
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2020年05月21日
放射線治療開始前 2
1週間経ち 大学病院の予約の前にS病院のO先生のところへ
「放射線治療対応可、との連絡を大学病院から受けましたよ
本当に良かったですね!」
いつになく 思いっきりの笑顔のO先生
実は あまり芳しくない状況だったらしく 結果がとても心配だったと
やっぱりな・・・
夫の女性関係が発覚すると 自覚のないまま状態が悪くなる
今回の右腎門部周辺と大動脈付近のリンパ節の転移でも
先生としては 放射線治療はギリギリかな?との予想だったらしい
照射範囲もさることながら やはりリンパ節に入っているということで
先生としては 放射線科の先生に祈るような気持ちだったらしい
大学病院のお墨付きをもらったのなら大丈夫!と O先生に励まされ
そのまま 昼前の予約の大学病院へ
" 治療計画作成 " という 物々しい予定だったので
緊張して放射線科へ
その日はまず 検査服に着替えてCTを撮った
その後 担当の看護師さんから
治療に関してのオリエンテーションを受けた
放射線治療の目的・経過・予後を
とても詳しく丁寧に話してくれた
多少ではあるが 副作用といわれるものもあるらしい
悪心や 皮膚の色素変化等も見られるかもしれないと
「説明は終わったので
一番重要な準備をしてから 帰宅してくださいね」
と看護師さんが 穏やかに笑った
それから 技師さんと別の女医先生が来て
「CTのデータをもとに照射位置の印を身体につけますね」
そう言うと 実際治療をする部屋に連れて行かれた
思っていたよりも広くて殺風景な部屋の真ん中に
シャワーの吐水口のようなものがついた大きな機械が鎮座していた
患者はその機械の下に寝ているだけで
装置がグルグルと回って 患部に放射線を照射するという
促されて その機械の下のベッドに横たわる
検査服をたくし上げられて
「これから 照射位置を特殊なペンで書いていきますね!」
ペンで書く?? 直接? 罰ゲームか??
CTで撮ったデータを 治療計画用のコンピューターに入力して
副作用が少なく かつ効果的な位置決めをするとのこと
赤い光線がどこからともなく お腹の上を照らしていく
レーザーでも飛んでいるのだろうか?(笑)
何だかよくわからないうちに その線をなぞるように
お腹の上に 座標軸のようなものを書かれた!
「来週から この印に合わせて放射線を当てていきます
入浴時など 消えてしまわないように
くれぐれも注意してくださいね 」
は? ちょっとアナログ!!!
治療計画とは・・・
最終的には お腹にグラフを書くことでした!っと
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2020年05月20日
放射線治療開始前 1
大学病院での 初診問診が終わり
翌週の治療計画設定の予約までの間
職場の上司には
まだ詳しい日程は未定だが
30回の放射線照射の治療になることだけは伝えた
いかんせん 具体的な内容がわからないため
仕事を続けながらできる治療なのか
今度こそ 退職願を出したほうがいいのか
自分でも まだ迷っていた
次の受診までの間
仕事もこなす中で 悲しい知らせを聞いた
O先生に診ていただいていた Nさんが亡くなった
同じ病で闘病していた方だった
Nさんとは直接お会いしたことはないが
奥様が 飲食店を経営していて よく伺っていた
Nさんの描いた絵画がたくさん飾られていたお店で
本当に素敵な 油彩の風景画だった
O先生が今のS病院に移った時にも
Nさんは 病院にとても大きな絵画を贈っていて
総合待合スペースで いつもその絵を観ていた
ステージが高かったが 放射線治療が功して
ずいぶんと安定していたとお聞きしていたのだが・・・
7月に S病院でO先生に看取られたと
体調を崩して入院してから 1ヶ月半
O先生がずっと診てくれていたと奥様から聞いた
悲しい・・・というより
とにかく 安らかにお眠りくださいという思いだった
自分は 今出来ることを一つ一つしっかりと
焦らず 粛々と進めていくことしか出来ない
O先生と これからお世話になる放射線科の先生と
タッグを組ませてもらって 頑張らなくっちゃ!!!
一番タッグを組んでもらわなくてはならない夫は
転移した事を伝えた翌日であっても
" 出張帰りに会えないかな〜〜? " などと
彼女とラブラブメッセージのやり取りばかり
そして実際に 職場近くで待ち合わせまでしていた!
全く 何なんだこいつは!!!
Nさんの訃報を聞いた夜に とうとうブチ切れた!!!
裁判沙汰まで起こして 別居して
子供たちにまで 今までの事が知られたというのに
それでも まだこんな事を続けているのか!?
また 見ていた人が居たんだからね!!!と
私のことに関心がないのであれば
もうどこにでも出て行ってほしい!
あなたが有責なのだから 私と娘が家に残る!と
思い起こせば 彼女との事がわかってきた頃から
少しずつ 腫瘍マーカーの数値が怪しくなってきたのだから
文字通り「諸悪の根源」だ!!!
メッセージの送受信が見られることだけは
口が裂けても言わなかったが(笑)
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2020年05月19日
大学病院受診 2
夫からの煩わしいメールが来てからも
まぁ 待たされた!!
2014年に 右腎臓を摘出する時にも
やはり初診で長い時間待たされて
腰が痛くなったんだっけ・・・などと思い出していた
予約時間はとうに過ぎて 午後も2時近くになり
やっと順番が来た!
ふっくらと優しそうな Nという壮年男性の先生だ
大学病院なので まずはこれまでの病歴の確認だ
一昨年 腎臓の件での際にも 散々話したのだが
科を跨ぐからなのか また1からのやり直し
今までのデータとカルテを見比べながら
詳細にわたって質問されたり 話したり・・・
結論としては
放射線治療に対応できます!との事
基本 患部に向けて30回の放射線照射をするらしい
その回数を基準にして
それ以降は患部の状態を見て決めるとの事
全身状態がいいので 通院治療で構わないと
「詳しい治療計画は 来週立てますので 今日はいいです」
と N先生にニッコリ微笑まれた
はい? 開始日すら今日はわからないの???
大丈夫なんだろうか? また時間が空いてしまう・・・
転移しているのはわかっているので やはり少々不安だった
職場の上司には 日程はハッキリ決まらなかったが
治療はする方向になったので またご迷惑かけます、と
取り急ぎメールだけは送っておいた
その夜 バツ悪そうに夫が帰宅
先週の採血結果で転移がわかって 紹介状をもらい
大学病院へ行った経過を話した
「検査って 聞いてたんでしたっけ?」
人の話を聞いての第一声がこれだ!!!
私は黙って PC前のカレンダーを指さして言ってやった!
「どうせ 私なんかに興味はないんでしょうけど
いつから 字が読めなくなったの?
こんなにハッキリ大きく書いてあるのも見えないほど
老眼が進んだんですか???」
夫は カレンダーを見て ギョッとしていた
そして ハッキリ分かるほど 顔色が青ざめていった
やれやれ・・・
あまりの情けなさに 話をするのもバカらしくなって
その夜は 夫だけ遅く食べた夕食後の後片付けもせず
急いで入浴を済ませ ニャンズとさっさと寝た!
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2020年05月17日
大学病院受診 1
2016年 9月の研修も終わり
いよいよ13日(火)の大学病院受診
前日の研修後 皆で美味しい料理で打ち上げをして
食べすぎて朝食はいらないほど(笑)
娘も健康診断で朝食抜きという朝だったので
のんびり起床して 夫の朝食と弁当のみ作った
期待していた?夫からのアクションは
本当に な・に・も!無かった!!!
リビングのPC前のカレンダーにも
7日の定期通院日はマークして記入していたし
週末2日間の食事時間にも
娘とそれらしき事をわざと話して
週明けの大学病院受診をほのめかしたりしていたが・・・
驚くほど 私に関心がないんだな、と
それに引き換え 彼女に関しては
8月末にあった 北海道マラソンに参加したらしく
たまたまTV中継があって 当日の日曜日には
TV画面に張り付いていたほどだ
世界陸上やロンドン五輪の女子選手選考会だったらしく
フルで中継していたのだ
先頭集団しか映さないマラソン中継をずっと観ていた
毎日のやり取りで 相手の日程も全て把握しているので
夫の一喜一憂の姿が とても面白く 半ば哀れだ
傍らで 呆れた娘に軽蔑の視線を送られていても
全く気づかないのだから・・・
予想通りとはいえ ちょっと頭にきたまま大学病院へ
放射線科の外待合のベンチは
ズラーーーっと並ぶ患者さん達で埋め尽くされていた!
やれやれ 何時間待つのかな?と思っていたその時
夫からのメール着信が!!
" もう 頭はスッキリしましたか?
娘は無事に健康診断へ行けたのかな? "
二日酔いで不機嫌だったわけではなく
娘も 普段と何も変わらず元気に出かけたわ!!!
・・・と送りたかったけど
" 今 大学病院にきてます " とだけ送信した
しばらくの間があって
" え 何かあったの? どうしたの? " ですと!!!
" 転移したから!! 詳細は帰宅後に! "
私の怒りが伝わったのだろう(爆)
夫からの着信はそれからは全くなくなった
煩わしい思いから離れて フラットな気持ちで
今日の診察を受けよう!!と 肩の力を抜いた
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2020年05月15日
2016年 怒涛の9月 5
O先生から転移を告げられた翌日に 研修があった
電車で1時間弱の県内の一番大きな支店へ
今回の研修仲間は 気のあったメンバーだったので
電車内で どうやら転移したらしいと報告
皆(といっても自分含め4人だが)一様に驚いていた
2012年の手術からの経過を知っていてもらっているので
また転移、というのは聞かされている方が辛かったかも・・・
次週に大学病院で治療計画を立ててもらうつもりだが
放射線治療だけになるのか そもそもその治療に対応できるのか
まだハッキリとはわからない旨を伝えた
どういう形になるにしても また職場へは迷惑をかけてしまう
本当に申し訳ない、と
もういい加減 辞表提出かな・・・?
上司には 昨日の今日で 結果はまだ伝えていなかった
治療方法とその計画がしっかり決まってからの報告の方が
職場としても 対応策を早急に出してくれるだろうし
この研修後は 3日間の休み
その後1日だけ出勤で大学病院へ、という日程
少し間が空いてしまうので 次の出勤日には
転移していたという事実だけは伝えないといけないかな?
そんな事を考えながら 支店での研修を受けた
夫からは 相変わらず何もない
・・・どころか 頭の中には私の存在もないのかも?
彼女とのお花畑のやり取りは普通に続いており
彼女宛に届いていた手紙の差出人探しも もう気にしていない風だ
職場の人たちも 絶対おかしいと思っているはずだけど
何と言っても「二人の世界」だから!(笑)
いつもならば 厳しいながらもとても楽しい研修なのだが
この時ばかりは どこか上の空だったような気がする
研修の翌日は 娘が遅い夏休みを取っていた
少しぼんやり気味の私を気遣い 映画へ行こう!とのお誘い
何と!
「君の名は」と「シン・ゴジラ」の2本立て続けに(笑)
「シン・ゴジラ」は2回目(爆)
娘の気遣いに感謝して この日はとても楽しく過ごせた
さぁ 明日土曜日からは 久しぶりの週末休み
果たして 夫からの何らかのアクションはあるのか!?
(色々な意味で・・・)
乞うご期待!!!
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2020年05月14日
定期検診日
昨日の水曜日は O先生の病院での定期検診日だった
火曜日のうちに いつもの片道2時間コースで帰宅
GW中の農作業に出向いた時よりは車の数は多かったが
そのほとんどは県内ナンバーだったし
不要不急の外出に対する自粛は守られている印象だった
病院へ向かう水曜日の朝
出勤前の夫から 何事ないといいね、とのお言葉が!
最近書いている 2016年当時と比べて全くちがう(笑)
自分の頭の中には 当時の人格の夫は別人として存在する
その表情だけ思い出しても 憎たらしく無神経な人間だった
今の夫と同じ人間・同じ顔のはずなのに
頭の中の当時の夫は いつまでも経っても嫌な奴だ
再びの " 別居(私の単身赴任)" に至る経緯は
これから書いていくが
夫に対しては
やはり根底に " 何か " が引っかかっているような感情がある
それはそうだ!
何度も裏切られてきて 心底信用できるはずはない
ただ " 負の感情 " に振り回されていたら
" 今の自分 " まで見失ってしまうし
大切な大切な " 時間 " は
そんな感情で覆い尽くしていいほど残されていない
余計な事は振り返らず
いつも「楽しく笑って」生きるんだ!!!
O先生の病院 S病院へ行くと
びっくりするほど 混み合っていた
予約の有無に関係なく コロナ関連の問診用紙があり
記入して体温を計測され 平熱の人のみ やっと受付
体調が少し悪かったり
平熱が高い人だったらどうなるんだろう?
幸いに 私の前後には 止められるような人はいなかったのだが
本当に具合の悪い人が スムーズに診察を受けられたらいいな、と
ちょっとだけ モヤモヤした気持ちで診察へ
採血・レントゲン共に 混んでいる割には比較的早く終わった
O先生の部屋に呼ばれたのは1時間半後だったが(笑)
「ニャンままさん!
いずれの結果も 何の問題もありませんでした
胸の写真も とてもきれいです!
今年は 大学病院でのPET検査の必要もないでしょう
次回は・・・9月くらいがいいかな、と思いますね
諸々 もう少し落ち着いているでしょうから(笑)」
ヤッタァ!!!!! これで また毎日を頑張れるぞっと!!!
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2020年05月12日
2016年 怒涛の9月 4
帰宅して 少し夕方までぼんやりしてしまった
ハッと気づくともう5時近く
やっぱり " 転移 " という言葉は重いな・・・
少し重くなった気持ちのままで夕食の支度
帰宅した娘に話すと 少し驚いてはいたが
とにかくいきなりの手術や抗がん剤ではないので
粛々と放射線治療を進めていくしかないよね、と
実家の母からも電話があった
「転移していて治療する」ことを告げると
とても落胆していた
それはそうだろう
自身もやっと TAVIが終わりホッとしていたのに
まるで入れ替わるように娘の私に転移が見つかったのだ
今すぐに手術というような大きな心配はないようだから、と
電話口で母をなだめた
ご機嫌で帰宅した 相変わらずお花畑の夫
もうこうなったら 治療が始まるまで
なぁーーんにもいわない!!!(怒)
来週の火曜日には 大学病院の放射線科へ
それが終われば あらかじめ午後に予約していた
Mクリニックでの脳内のダイナミックMRIの撮影
・・・と 同日二つの病院の掛け持ちだ
我関せずの おバカな夫のことを気にかけている暇はない
いかなる時でも 病気になった自分自身が
自分を一番に考えてあげないと!!!(経験則!笑)
先生方にお世話になってばかりだが
結局 治療も手術も自分一人で受けるもの
余計なことは考えず
自分の中の細胞さんたちにしっかりしてもらって
ガン細胞さん達には
お引き取りしてもらうシフトを取ってもらわないと
アァーーー うっかりしてた!!!
明日は 会社の研修があったではないか!!!
それを言い訳に 夫が帰宅しても放っておいて
一人 息子の部屋の机に向かった
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2020年05月11日
2016年 怒涛の9月 3
母の退院後初の検査が無事に終わった
今度は自分の身体のことだ
もちろん 夫からは何の言葉も無いまま
どんより曇り空の中 病院へ
O先生は 待ってましたの様相で椅子に座っていた
促されてPET画像を見てみる
あった・・・ 光ってる
摘出したはずの右腎臓のあたり
「見ての通り やはり転移しているようです
ただ 画像を見る限り この右腎門部の周りと
大動脈付近のリンパ節だけ・・・かな?」
は? リンパ節って・・・まずいんじゃないの?
また全身のどこにでも転移してそうなイメージ
私が難しい顔をしていたのだろう
O先生が表情を柔らかくして続けた
「腫瘍マーカーが高い値になった原因は特定できたことですし
播種ではなく ほとんど一か所だけ、と言ってもいいですから
それほど 過剰な心配はいらないかと
リンパ節転移といっても
切り離した肋骨断面と同程度の大きさと光具合で
大動脈リンパ節のほんの一部の範囲ですから
実際の治療は 右腎門部周辺への放射線治療になると思います」
放射線治療か・・・ それだけで大丈夫なんだろうか?
その治療の間にあちこちに転移したら やっぱり抗がん剤???
そうなったとしたら 今度は入院で点滴だな・・・などと
ボンヤリと考えていた
ポンっと O先生が自分の膝をたたいたのでハッとした
「ニャンままさん 大丈夫ですよ
この範囲なら 放射線治療で効果は出ると思います
ただ 私の一存で 治療方法を決めるよりも
大学病院の放射線科できちんと確認してもらいましょう
照射内容や回数を きちんと計画を立ててもらって
お仕事のシフトも組んでもらったほうがいいでしょうから」
放射線治療か・・・ もちろん痛みはないんだろうけれど
入院?通院? 期間はどれくらいかかるんだろう?
当時は
自分が放射線治療に対応できるとは思っていなかったので
その内容が全く分かっていなかった
一抹の不安を抱えながらも
O先生から大学病院への紹介状を書いてもらい
病院から帰宅した
きっちりと症状が判ったことだし
うじうじクヨクヨしてる場合じゃない!
さぁ ここでもうひと勝負だな!!!
放射線でもなんでも やってやろうじゃないの!!!
出迎えてくれた ニャンズ達の頭を撫でながら
心の中で 雄叫びをあげた!!!
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