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2020年07月06日
熊本豪雨
水は怖い!!!
大雨は恐怖だ!!
昨年の10月の台風で
友人宅の1階全てが 決壊した川からの浸水被害にあった
私のアパートから坂を下った 数十メートル先からは
あっという間に湖のようになってしまった
ひたすら降り続く大雨は
人間の思惑などつゆ知らず
ただただ 高いところから低いところへ
水には何の意識もない
地形の高低差に沿って
その時の流れる道筋そのままに・・・
そして降り続いた大雨は 山の斜面をも滑らせる
その土砂にさえ罪はない
ありふれた言葉だが
やはり自然は 人間の思うようにはならないのだ
亜熱帯地域のスコールのような激しい雨
" 線状降水帯 " という言葉など
自分が幼い頃は聞いたこともなかった
この何年かに聞かれるようになった言葉ではないのか?
ニュースで度々報じられる「人吉市」には
高校生の頃文通していた人がいた
地名を聞くたびに 胸が苦しくなる
多感な女子高校生の頃
他愛のないことでも楽しくやり取りしていたことを思い出す
いつの頃からか 音信不通になってしまったが
もうその地を離れたかもしれない彼女や
そのご親族に何事ないようにただただ祈っている
自然の猛威と言ってしまえば それだけなのだが
このところ 毎年毎年起こってしまっている豪雨災害
いつ自分の身に降りかかって来てもおかしくない
豪雨対策はもちろん
地震や 停電など 不意の災害にも対応できるよう
自分にできることを もう一度再確認して備えよう
もうこれ以上 大きな被害が出ませんように
そして
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします
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2020年07月04日
娘の退院
2016年 11月13日
予定通りの日程で娘が退院
11月半ばにさしかかるというのに 非常に穏やかで
風もなく 清々しいほどの青空だった
娘は
「久しぶりのシャバだぁ〜〜!」などとはしゃぎ
青空をバックに 色づいていた駐車場の樹々を撮影していた
眩しいのは空ばかりではなく 明るい娘の笑顔でもあった
夫もにこやかに荷物を車に積んでいたのだが
その隙を狙った娘が ささっと走り寄って来て
「父 また何か悪さしてた?」と耳元で尋ねた
まさか 手術当日 彼女と2時間カラオケに行っていたとは
とてもその場では話せなかったが・・・
以前に「怪文書」とも忠告とも取れる手紙を受け取り
あれほど怖がっていた二人だったが
今では そんなことは全くなかったかのように
以前と同じに " バカップル " ごっこをしていた
今日も 娘を自宅に送り届けたら走りに行くと言っていた
また 走りながら メッセージのやり取りをするんだろう
案の定
「そろそろ シューズを買い換えたいんだけど
色々迷ってて・・・」
「お?本気モードね! 買ったら教えてね!」等々
そして 一緒に店に行きたいだの
同じ大会に参加できるのはいつ頃になるだろう?とか
本当に楽しそうなやり取りをしていた
娘は 帰宅してすぐに iPadを持って2階の部屋へ
「思ってた通りじゃん! バッカじゃないの???」と
今まさにやり取りしている様子を見て 心底呆れていた
手術日当日の夕方
実は夫から娘宛にメッセージが来ていた
出張から帰って来て 私が駅に迎えに行っている時間帯
「無事手術終わってよかったね
仕事を優先してついていてあげられなくてごめんなさい」と
当然のように 既読スルーしていた娘だったので
夕方に病室に来ても無視していたわけだ!
そしてここにきて 自分が入院中のやり取りを確認して
もう 呆れるほかはない!と言い捨てた
娘は お怒りモード全開だった
「お母さん!!!
もう私のことは心配しなくてもいいからね!
自分の体のことだけを考えて これからのことを決めてね!」
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2020年07月03日
術後の娘
術後3日目にして 続いていた微熱も下がって来て
ようやく笑顔が出て来た娘
痛みもずいぶんと引いて来て
この日の面会時間は 笑顔で楽しくおしゃべりできた
本人も 嚢腫を取ってもらったことで
精神的にずいぶんと楽になったようだ
それもそうだ
毎月生理がくると 薬を飲まなくてはならず
結構な痛みに耐えて来たのだから
母親として もっときちんと気遣ってあげていれば、と
この後に及んでも 正直悔やんでいた
娘には 本当に申し訳ないことばかりして来たように思う
自分の病気を明かした時 夫と別居して裁判沙汰になった時
いずれの時にも 子供達の中で自宅に残っていたのは娘だけ
色々と思うところがあっただろうけれど
いつも私を気遣って 笑顔で元気付けてくれていた
そのことに 甘えきっていた自分
どちらが親の立場だったのか わからないくらいだ
これからは 今まで以上に
娘が楽しく過ごせるように心がけていかなくては!
そんなふうに考えていた時
相変わらず無愛想な 娘の主治医が部屋に入って来た
「熱も順調に下がって来たし 明日予定通り退院していいから
これからは 薬でコントロールして行くから
今までのような辛いことは あまり無いと思うよ
まぁ 何も無いと思うけど 何かあったらまた来て!」
これでおしまい! ちゃんちゃん!!!という感じ
Y先生の通常営業スタイルなんだろうけれど
とにかく あっさりとして素っ気ない
いたずらに心配されるよりはずっといいが(笑)
とにもかくにも
自分の治療 娘の手術、と
年末を迎える前に 二つの大きな心配事が無くなった
これからは いよいよホームに入る義父のこと
そして 脳内お花畑の夫のことについて忙しくなりそうだ
やれやれ・・・
自分が 精神的に落ち着けるのはいつになるのやら・・・?
目の前の問題を一つ一つ解決していくしかないけどね
さあ 2017年に向かって ラストスパート行きますか!!!
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2020年07月02日
2016年 放射線治療完了!
2016年11月10日
娘の手術翌日 無事に30回の放射線治療が終った
思っていたほどの副作用もなく
体調悪化もほんの一時期で
仕事を休んでいるのが申し訳ないほど順調だった
ちょうど木曜日だったので 面談日ということもあり
少々混みあってはいたものの S先生と話をする事ができた
「転移巣が1ヶ所のみだったので 効率的に治療できたと思いますよ
もちろん 腫瘍がパァーーっと消えたわけではありませんが
今のところ経過も良好なので O先生にも報告しておきますね」
比較的大きかった転移巣も ずいぶん落ち着いて来たとのこと
来週のO先生のところでの採血結果が良好ならば
ホッとして実感が湧くのだろうが
今は治療が終わったという事だけでうれしい
これで " 毎日の大学病院への通勤 " も終わる(笑)
バンザーーーイ!!!!!
あとは 娘のケアと夫とのことをじっくり考えよう!
昼食後 娘の病院の面会時間に合わせて出かけた
手術翌日ということもあり 痛みが酷いらしく
見ていられないほど 辛そうだった
腹腔鏡手術とはいえ 表の傷が小さく少ないだけで
お腹の中 かき回されるイメージだものな・・・
私も 右腎臓を取った後の痛みは結構なものだった
先生に「嘘つき!!」と言いたいほどだったから(笑)
少しでも早く 痛みが引くことを祈るしかない
それでも 私が来たので安心してくれたのか
半べそをかきながらも 少し眠ってくれた
まだ おつきあいしている方もなく
余計な心配かもしれないが・・・
卵巣の腫瘍を取ったという事実
そして 生理を薬でコントロールして行く生活
実際 結婚して子供のことを考えた時に
何も影響がないといいな
涙の跡がついた娘の寝顔を見ながら
私も少しだけ 鼻の奥がツンっとなった
どーーーーして 私たちがこんなことになってるのに
夫は 相変わらずのバカやってるんだろう?
思わず 呪ってやろうか???と頭の中で凄んでみた(爆)
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2020年07月01日
7月!!!
今日から7月!
2020年も 後半に突入してしまった
新型コロナの影響下での自粛期間が GWにかかったこともあり
仕事のイベント等もなくなってしまい
7月に入ったという実感はほとんど湧いてこない
まして 6月初旬の暑さと打って変わって
梅雨らしい 雨模様の天気が続いているし・・・
父を見送ったこともあり
心持ちは何やら ふわふわと地につかないものがある
今年後半を 有意義に楽しく過ごしていくためにも
まずは 気持ちを整えていかないと!
水曜日が定休日の仕事なので 今日も父の墓参りに行く
四十九日までは 毎週のお務めだ
母は 毎日父の遺影に色々と話しかけている
気がまぎれるし 楽しいんだと
けれど 家族が皆仕事で 一人きりの日などは
父のベッドがあった部屋に向かって
「おじいちゃん 今日の昼ごはんどうする?」と
思わず声をかけてしまっているという
「声をかけてから もういなくなったのに、と気付くのよね」
母は笑っていうが 聞いている私が泣いてしまう
通夜・告別式等の慌し胃時間が過ぎた今だからこそ
何かにつけて 父を思い出す
父の介護の手伝いをするためにも、とお願いした単身赴任だったが
今にして思えば もっとしてあげたかった事が思い起こされて
正直 後悔している部分もたくさんある
幸いにして 母は 今のところとても元気だ
先月のかかりつけ医の定期検査では
心臓の弁に部分的な石灰化が見られる、との診断を受けた
またか・・・
以前のように カテーテルを入れて切開することになるのだろうか?
人工弁TAVIを入れたとはいえ
20年以上もの弁膜症の症状の後だったので
完全な状態には程遠いのはわかっているつもりだが・・・
これからの毎日を 少しでも楽しく笑って過ごしてもらうためにも
注意深く様子を見守っていかなくては!
昨夜の天気予報では 午前中いっぱい続くと行っていた雨が止んだ
さぁ この隙に 父のお墓詣りに行ってこよう!
晴れ男の父が 早くおいで、と言っているのかもしれない
帰りには 美味しいランチでもして楽しい時間を過ごしてこよう!
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2020年06月28日
娘の手術と夫
術日前日は 夕方に娘の励ましへ
そして 当日は意気揚々と東京出張
予想通り あと15分ほどで帰ってくるというところで
駅まで迎えに来てほしい、と連絡が来た
" 一応 " 娘の見舞いに行きたいし
できれば その後 飲み会の会場まで送ってほしいと!!!
彼女とのやりとりで 飲み会のことは知っていたが
実際に夫の口からはその時初めて聞いた
アルバイトの子の結婚が決まって そのお祝いを兼ねた送別会ですと!
まぁ 理由は確かにそれだったが そこで言ってやった
「義姉さんが 子宮体がんになっちゃったんだって!!!
昨日 娘の手術に間に合うように来てくれて教えてくれたの
どうしよう??
飲み会に行くより 一度顔を出してみたら?」
夫はさすがに驚いていたが 信じられない言葉を吐いた
「姉ちゃんが・・・
でも どうしよう?って言われても・・・困るな
N病院での手術なら大丈夫でしょ!
俺らには 入院したらお見舞いに行くくらいしかできないよ」
おい!!! おーーーーい!!!
確かにそうかもしれないけれど そんな言い方ってあるの???
期待した自分がバカだったわ(呆)
そんな心持ちで娘のところへ行ったって
当然のように 娘からは無言の拒絶!
最近のやり取りは 娘は見ていなかったが
術日当日の夕方の面会時間
ニヤついている父親の顔を見たら
それは・・・察するっていうもの
娘に悪くて 早々に引き上げようとした時
「手術で大変なのに 仕事優先してごめんね・・・」ですと
どんな大切な出張だったのかは知らないが
本当に 何か起こってしまうかもしれないのが手術
二人の義姉が付き添ってくれたから心強かったものの
言ってしまえば他人の妻ではなく 血の繋がった娘なんだよ?
もう少し考えてほしいよ
今更言っても 遅いけれど・・・
案の定 そのまま飲み会会場に連れて行ってくれ、と
帰宅したら 手術の経過や今後のことを話そうと思っていたのに・・・
無言で夫を送って行った後
自宅で一人 彼女とのやり取りを見ていたら
彼女からは
・1次会で帰宅した方がいい 奧さんと娘さんに必要とされてるんだから
・こんな風にお互い気持ちを持っていてもどうせ結ばれないetc.
夫からは
・二人で話せると思って飲み会参加したのに
・話しようよ 頼みます
・二人だけでカラオケに行こうetc.
何やってんの???と殴りたくなるようなバカみたいなやり取り
相変わらず
中学生バカップルが帰りたくなくて 名残惜しくて言葉遊びをしている風
はい!!!
散々こんなやり取りを繰り返した後
ドラマの主人公気取りのお二人は
「寒いね」 「もう部屋に入ったよ!〇〇号室」と
楽しい楽しいカラオケに " 二人だけ " で行きましたとさ!
それも 2・時・間!!!
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2020年06月27日
2016年 娘の手術 2
術日の朝 夫は意気揚々と出張へ
私は 自分の放射線治療をお休みして
まっすぐ N病院へ向かった
娘は弾性ストッキングを履き終わっていて
すでに点滴も入っている準備万端の状態
程なく 義兄妻の義姉や嫁いでいる義姉も来てくれて
ドキドキが止まらない、という本人と一緒に
手術フロアへ
何やら懐かしい 家族待合室の前
術室へ入る娘の手を握り励まし送り出した
待合室で話が弾んでいたが そこで何と!!!
嫁いでいる義姉に子宮体がんが見つかったと!!!
「ニャンまま子ちゃんと同じ この病院で手術なんだよ
でも 先生が大丈夫だって言うから信じてるの!」
もう なんて言っていいのやら・・・
義兄妻の義姉と ただただ顔を見合わせるしかなかった
夫は 姉のことが大好きなので
それを知ったら さぞかしショックだろうなぁ
手術は 予定通りの1時間で終わり
前後の処置を含め 全てが終わったのは12時過ぎだった
その処置の間 義兄妻の義姉と二人で
先生からの説明を受けた
・予定通り 卵巣は残して 嚢腫のみを摘出した
・腹腔鏡手術ではあったが ヘソの部分をうまく使って
メスを入れ傷になってしまう部分は 2ヶ所だけにした
・左側10センチの嚢腫のみ摘出の予定だったが
右側も2センチ余り腫れていたので そちらも取った
右側にも嚢腫があった事に驚いたが 摘出済みと言われホッとした
そして 手術の経過を 写真を示しながら説明してもらった
思っていたよりも 大きい嚢腫で
これではさぞかし痛かっただろうな、と 今更ながら涙が出た
部屋に戻ると 麻酔から覚めて間もないので
少々不機嫌な娘がいた
少しだけ話をしたが
眠りたいのでまた夕方来て欲しいと言われてしまった
午後の診察予約が入っている 嫁いでいる義姉と別れ
義兄妻の義姉と病院前のカフェでランチをする事に
手術が無事に終わり 気が抜けたような私に向かって
「それで 最近夫さんの様子はどうなの?」と
席に座るなり 義姉に聞かれた
相変わらず脳内お花畑で 今日も出張から帰ったら
職場の飲み会に参加するようだと話した
「ニャンままちゃん
放射線治療は順調みたいだけど 顔色があまりよく見えないよ
狐目の彼女の時のように ストレスが溜まって来ているんじゃない?
せっかく転移していた右腎臓を取ったはずなのに
また 1年後にその辺りに腫瘍ができた、と言うのが
何だかすごく引っかかるのよ!」
義姉にそう言われ
今までの転移のタイミングと同じだ!と気付かされた
そう 夫が何かやらかすたびに 身体に反応が出る
このまま 脳内お花畑の夫と一緒にいたら
身体中ガンに蝕まれてしまうかも?
その時初めて 恐怖に似た感情を覚えた
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2020年06月26日
2016年 娘の手術 1
2016年 11月8日
娘が N病院へ入院した
朝 私が大学病院へ向かう車に同乗して
私の放射線治療が済むのを待ち
そこから 反対方向のN病院へビューーン!と(笑)
入院手続きを無事に済ませ 病室に通された
私が最初に右肺上葉を切除した時の隣の病棟
改築前で その当時一番古い病棟だった
産婦人科なのに こんなに古い病棟で大丈夫なのか?というほど
ただ 明るい壁の色や そこここに記してある連絡掲示板等に
優しい雰囲気が満ち溢れていた
そしてもちろん 可愛らしい新生児室も・・・
二人部屋の窓際だったが 実質一人だけの個室
諸々のセッティングを終わらせて一度帰宅
夕方 仕事終わりの夫をピックアップして
再び病院へ
手術を控えてナーバスになっているせいか
少々ご機嫌斜めの娘だった
術日前の絶食だったので 余計そうだったのだろうけれど
夫は 取りつく島もない、という感じで
型通りの励ましの言葉だけをかけていた
とりあえず " 見舞いに行った " というアリバイ作りか!?
夫の頭の中は 翌日の東京出張のことでいっぱい!!
というより むしろ帰ってきてからの飲み会のことでか!
娘が手術だというのに 出張から帰ってきたら
その足でまっすぐ職場の飲み会に行こうとしている
彼女とのやり取りでその予定を知ったが
まさか 本当にそうするつもりなんだろうか?
まぁ この人のことだから
他の人が考える優先順位とは違うんだろう
ある意味 明日の夕方の事が楽しみにすら思えてきた
いけない いけない(爆)
とにかく今は 娘のために
明日の手術の成功だけを祈ろう!!!
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2020年06月24日
2016年 10月 娘のこと 2
見つかった卵巣嚢腫の手術を控えて
職場への連絡調整 健保協会への限度額申請手続等々
娘の日程に合わせ 自分の治療時間の合間
運転手をして あちこち走り回っていた
娘は 子宮内膜症(チョコレート嚢胞)という診断を受け
大きい嚢腫ではあるものの 卵巣自体を摘出することもなく
将来の妊娠・出産に関しても
経過を見ながら対応できるとの説明を受けていた
術後は 薬を飲み続けることで生理のコントロールをして
再発の可能性をなるべく低くしていくとのこと
親としては もっと早くに病院へ連れて行ってあげなかったことを
悔やんでも悔やみきれなかった
命に関わる状態ではなかったものの
女性にとって生涯設計の中で重要なポイントとなる
結婚・妊娠・出産に 直接関わるデリケートな問題だったのに・・・
その時点では まだお付き合いしている方はいなかったが
結婚したい男性が現れて 子供のことを考えた時に
体調が整っていなければ 色々と悩みも迷いも出てくるだろう
結果としては 卵巣を取らずに済みそうだが
娘には本当に申し訳ないことをしたと思っている
夫はと言えば 私の放射線治療のことは
もはや 大学病院への通勤くらいにしか捉えておらず
娘のことに関しても 術日には出張があるから
付き添えない!などと抜かす始末(怒)
娘二人と結束して ことに立ち向かうほかはない
11月に入ったら8日に入院 翌9日に手術だ
1週間足らずの間に 精神的な部分も整えておかなくては!
夫抜きで 娘と二人 とにかく楽しい時間を作ることに専念した
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2020年06月23日
2016年 10月 娘のこと 1
自分の放射線治療は順調だった
下旬にあった2度目の治療計画も問題なく
ただ 身体の座標軸を濃く重ねた書きしただけ(笑)
軽く出るかもしれないと言われていた
皮膚表面の火傷に似た症状もなく
体調の大きな崩れもなかったので
精神的にも安定していた
娘は 中学生の頃から整理が重めで
時折保健室で休むことがあった
私も 妊娠してからだが
看護師さんに
「子宮後屈気味なので生理の時に辛い時があったんじゃない?」
と言われていたので やっぱり似てしまったんだなぁと思っていた
けれど 彼女の場合 就職してからも結構な症状があり
心配なので 病院へ行ってみよう!といつも言っていた
そしてとうとう 職場で具合が急激に悪くなり
女医先生がいる婦人科のクリニックに行ったとの連絡が!!!
結果 エコーで卵巣が大きく腫れているのが確認できたと
週末 クリニックが提携している近くの脳神経外科でMRI撮影
そしてクリニックへデータを持って行ったところ
左側の卵巣が10センチ近く腫れていると!!
「これは痛かったでしょうね・・・
すぐに手術をした方がいいので
N病院の婦人科に紹介状を書きますね」
女医先生の迅速な計らいで N病院の予約もすぐに取れた
私が 最初の手術をした病院だし 勝手知ったるというところ
不安がる娘だったが
予約日に手術前検査を全てすませるように手配していただいたおかげで
なんども通院することなく スムーズに手術日程も決まった
嚢腫が大きい割にはそれほど複雑な手術にはならないだろうから、と
先生に言われ 娘も少しは気持ちが落ち着いたようだった
夫は この一連のバタバタとした状況でも
ふっつーーーにお花畑のメールのやり取りをしていた
彼女に娘の病気が見つかったこと・手術になること等
憐れみを誘うような文章も綴ってたりしていた
狐目の彼女の時にも 私の病気をネタにしていたし!
どれだけ " 構ってちゃん " なんだよ!!!
こちらは 毎日の大学病院での放射線治療と歯科治療
加えて
娘の精神的なケアと入院までの諸々の準備の手伝いなど
頭の中 あちらこちらにアンテナ向けて頑張っているのに!!!
まぁ 下手に気を遣ってる風情で口出しされるのも面倒なので
それはそれで 放っておけばいいので楽だったが(笑)
とにかく 11月になったら 娘のこと 義父のこと
またまた 一挙に忙しくなるな・・・
自分の体調管理も頑張って乗り切らなくちゃ!!!
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