2020年06月15日
父の旅立ち
2020年6月4日
父が旅立った 満90歳だった
いつものように 母の用事を済ませて帰宅
午後の6時を回っていて
弟家族もそれぞれに帰宅する頃で
普段なら少しおしゃべりをして
自分のアパートに戻る時間
けれど 当日は父の呼吸の様子が気になって
ずっとベッド横に付き添って 話しかけていた
今年の初め頃から 痰のつまりがひどくなり
時折苦しそうに咳き込んでいた時もあった
それでも
パルスオキシメーターでの酸素濃度はいつも98程あり
家族は それほど緊急には捉えていなかった
実は 5月30日にも痰の絡みがひどくなり
かかりつけの訪問内科の先生に来てもらっていた
訪問内科の先生からは 喉も細く 筋肉も弱っていて
吸入等は 逆に本人の負担が大きくなると言われていた
(ほとんど骨と皮の状態だったので 本当に首自体細かった)
昨年 家族の話し合いで「延命治療」はしないとしていて
この状態で器具を使うことは先生としても避けたかったようだ
そして
「このような状態が 何度か繰り返されて
だんだんと体力が落ちて衰弱していくと思われます」と
家族に話してくれていた
食事は 亡くなる2日前くらいまで
食べたいものを 日に2食ほど摂っていたし
痰に関しては
背中をさすって出しやすくしてあげたり 水分補給をしたりと
周りでできることはしていて
話しかければ それに対して 普通に答えたり笑ったりしていた
けれど その日は本当に痰の絡みがひどく
背中をさすろうが 水を飲ませようが
咳き込むことが止まらなかった
自分も 確定診断のための痰を出すのができなかったので
喉の違和感の気持ち悪さは身をもって体験している
そして弟家族も次々と帰宅して ベッド周りに集まる中
だんだんと 呼吸の間隔が開いていった
たまたま帰宅が早かった看護師の姪が
「下顎呼吸になってきたので 多分あと何呼吸かで
脈が触れなくなると思う
みんなでたくさん声かけしてあげて!」と
頚動脈に手を添え 確認しながら言ってくれた
反応が鈍くなってきて 力が抜けて来てから
20分ほどだった時に 脈が触れなくなった
家族みんなに見守られながら自宅で息を引き取るという
私たち家族が一番望んでいた状態での最期だった
穏やかに見送ったつもりではいるが
正直 やはり後悔することもある
もっと一緒にいて お喋りしてればよかった
もっとこまめにお水を飲ませてあげればよかった
もっと音楽を聴かせてあげればよかった
もっと もっと もっと・・・・・・・・
けれど今 遺影の父は穏やかに微笑んでいてくれる
92で逝った祖母より長生きするんだ!と言っていた父
最後の最後に嘘をついた
今頃 祖母に「あら 早かったね」と笑われているのだろうか?
いやいや 孫たち大好き大家族の長だった父だ
四十九日までは しっかり自宅で皆を見ていてくれると思う
梅雨のさなかとは思えない 晴天の中での告別式
最後の最後まで 明るく晴れ男の父らしかった
これからも 私たち家族をいつまでも見守っていてね!!!
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