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2015年07月13日

ソースカツ丼

ソースカツ丼WEB001.jpg
喜多方ラーメン 大安のソースカツ丼

福島に行き、カツ丼と書いてあるメニューを頼むと、ソースカツ丼が出て来ます。
特に、安達太良の岳温泉や会津若松、喜多方はソースカツ丼が、主流というか普通なのです。
先にカツ丼のところで書いたように、ソースカツ丼は卵とじの和のカツ丼よりも
先に創作されたものと書きました。
調べてみると確かにヨーロッパ軒の初代高畑増太郎氏がドイツで西欧料理を学んで日本に帰り、
東京の料理発表会でソースカツ丼を披露した(大正2〈1913〉年)のが初とされています。
でも諸説があり、全部で8つ。
早稲田大学高等学院の学生中西啓二郎氏が発案して、出来たという説。これはヨーロッパ軒説と
ほぼ同根であるらしいとのこと。
高畑増太郎氏は早稲田大学のそばでヨーロッパ軒を開店(大正2年)し、
中西氏の発案は大正10(1921)年なのだそうです。
その他おもな説として、
岩手一関の和風レストラン松竹で考案された。
福井県福井市のヨーロッパ軒で大正13(1924)誕生した説。
でもこれは関東大震災で東京のヨーロッパ軒の店舗が崩壊し
高畑氏は故郷福井に戻って開店、そこで売出したので、出所は同じです。
群馬県の志多美屋本店で大正の終わりころ誕生。
福島県会津若松市の若松食堂で誕生したという説。
群馬前橋説、長野県駒ヶ根市、恵那市説があります。
もっとも古く、しかも3つ説が重複しているのがヨーロッパ軒の高畑氏発案ですね。
でも会津若松の説は保科正之というお殿様まで登場するお話もあり、
一概に、元祖発祥から順次日本各地に伝播したのではないのかも知れません。
明治はじめにウィンナ・シュニッツェルやコートレット(カットレット)が日本で広まり、
やがてポークカツレツとして人気を博したあと、一斉に日本中にカツレツが広がります。
その後、猛烈な勢いでバリエやアレンジがすすんだのではないでしょうか。
このカツレツがとんかつに進み、とんかつとご飯がドッキングし、ソース掛けやソース漬込み、
そして煮込みカツ丼があちこち同時多発で生まれたのかもしれません。
いやはや、長くなってすみませんでした。

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