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2021年08月10日
リーダーの禅語
リーダーには「風格」がなければなりません。 存在そのものが威厳に満ち、しかし傲慢ではなく、振る舞いは常に謙虚であることが求められます。 リーダーには「育成力」がなければなりません。 部下を立派に、一人前に、さらにともに力を合わせて仕事を遂行するパートナーに育て上げる必要があります。 リーダーには「平常心」がなければなりません。 何があっても動じない、それでいて何事にも臨機応変に対応できる柔軟性を持ち、冷静に行動することが肝要です。 リーダーには「行動力」がなければなりません。 大所高所から物事を見て判断し、自ら率先して迅速かつ的確に行動することが、組織の原動力になるのです。 リーダーには「信頼力」がなければなりません。 社内外のあらゆる人たちに「この人についていけば間違いない」と思わせる中身を持っていることが大切なのです。
「一笑千山青(いっしょうすればせんざんあおし)」――一流のリーダーはみな、どんな困難に直面しても、心配事が山ほどあろうとも、「なんとかなるさ」と笑い飛ばす強さを持っている。 「不戯論」――人の上に立つ者は、悪感情に任せて、くだらないことをゴタゴタいってはいけない。大事なときに大事なことだけを、心を込めていいなさい。 「冷暖自知」――器の水が冷たいのか温かいのかを知るには、実際に手を入れてみるしかない。つまり、何事も行動してみなければわからない。どんなに偉くなっても、「自ら動く」習慣を身につけなさい。
「本来無一物」――「人は生まれながらにして持っているものは何もない。我が身一つでこの世に生まれてきた」ということを意味するこの禅語は、まさに人間の本質を突いたもの。
「失うものは何もない」ことほど、人を強くする境涯はないのです。 リーダーになったみなさんだって、本質的には「無一物」です。高い地位や高い収入、多くの部下、輝かしい仕事の成果など、さまざまなものを持っていると思い込んでいるかもしれませんが、それらは衣服のようなもの。「身ぐるみはがれてなるものか」などと執着するほどのものではありません。
「常行一直心」 とは、そういうこと。 これは、「自分はこれで行く」という本道があって、そこから派生する道に広げていくスタイルを貫くことを意味します。 その本道とは、自分が得意とする仕事とそのやり方です。それを見つけて、磨きに磨いていき、他の追随を許さないところまで高めることがポイントです。本道で養った力は、その分野に関係するさまざまな仕事において、高いレベルで発揮することができます。太い幹からしっかりした枝葉が豊かに広がるように、マルチな能力が磨かれていくのです。
「大地黄金」 この禅語は、「自分が置かれている場所で精いっぱい尽くせば、その場所が黄金のように輝いてくる」という意味です。黄金の大地は、最初から存在するものではなく、自分がいまいる場所が黄金の大地になるのです。
どんな分野であれ、「達人」といわれる人の姿・所作は美しいものです。 「形直影端」という禅語は、まさにこのこと。「美しい姿をしている人は、影まで美しい」のです。
リーダーに必要なこの指導力のキモを教えてくれるのが、雛が卵から孵るときの様子にたとえた「啐啄同時」という禅語です。 「啐」とは、雛が卵の内側から、コツコツと殻を叩いている状態。「そろそろ、外に出たいなあ」という合図です。 一方、「啄」とは、その音を聞いた親鳥が、卵の外側から殻をつついてやることを意味します。 この「啐」と「啄」が同時に、絶好のタイミングで行なわれなければ、新しい命は生まれません。雛の体ができあがっていないうちに親鳥が殻を割ってしまえば、外界に出たとたんに雛は死んでしまいます。逆に、雛がもう十分に育っているのにもかかわらず、親鳥が殻を破る手助けをしてやらなければ、雛は卵のなかで息絶えてしまいます。 つまり、親鳥は雛が卵を内側から叩く音を慎重に聞き分けて、「もう大丈夫」と確信できる、そのタイミングを見定めているわけです。 会社にあってはもちろん、リーダーが親鳥で部下たちは雛。リーダーは部下を指導するなかで、彼らの成長の合図≠的確に受け止める必要があります。
リーダーは部下が真似したくなる振る舞いを心がけなくてはいけません。 このことを禅語で「薫習」といいます。 もともとは、衣をしまうときに、防虫香といういい香りのするお香を畳紙に包んで入れておき、その香りを衣に染み込ませることを意味します。衣に香りがなくとも、お香からの香りが自然と移って、次に着るときにまことに気持ちがいいものです。
「受けた恩は石に刻み、与えた恩は水に流す」
「もっとも大事なことは、言葉や文字では伝えられない。その外に立つ、何もないところに気持ちを込めて伝えなさい。本人が気がついたときにはじめて、それを教えてあげることができる」 これが「不立文字、教外別伝」という禅語の意味するところです。
禅の世界では、頭のなかを空っぽにして、心を「無」の状態にすることを「非思量になる」といいます。
「七走一坐」は、休む大切さを教えてくれる禅語です。 直訳すれば、「七回走ったら、一回座りなさい」ということ。リーダーのみなさんは「ある程度やったら、立ち止まって自分を見つめ直しなさい」というふうに読むといいでしょう。 いったん立ち止まることは、じつはゴールに到達するいちばんの「近道」なのです。
「いや、そのとき見て感じたことと、今度行って感じることは違いますよ。そうでなければ、あなたは成長していない、ということです」 たいていは「えっ!」と驚かれますが、リーダーはこういった視点を常に持っていなければなりません。同じことをやっていても、昨日と今日では感じることが違うはず。そこに気づくことが成長なのです。それが「昨日今日不同」という禅語の意味するところです。
年齢を重ねれば当然、成長の伸びしろ≠ヘ小さくなっていきますが、一%でもいい、「リーダーとして昨日より成長した」と思える部分を意識したいものです。この気づきがあるとないとでは、リーダー人生≠フ充実度が格段に変わってきます。
本当に強いリーダーは、「柔軟」の鎧を身につけています。そうして一歩引いたところにポジショニングをして、広い視野で状況を見極めて判断しようとします。
「君子の交わりは淡きこと水の若し。小人の交わりは甘きこと醴の若し」 これは荘子の言葉です。 人づき合いにおいて、立派な人物は水のようにさっぱりと、器の小さな人物は甘酒のようにべったりとしている。
【感想】
禅語について書かれた本はこれで2冊目だけど、またたくさんのいい言葉に出会えた。1番感動したのは啐啄同時、という禅語。人を育てる時だけでなく、様々なシチュエーションに当てはまりそうな言葉だと思った。タイミングがいかに大事かというのを実際の事象で例えているのが上手い。他にも昨日今日不同、七走一坐、薫習など心の残る禅語をたくさん知ることが出来た。
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知性を磨く
「知能」とは、「答えの有る問い」に対して、早く正しい答えを見出す能力。 「知性」とは、「答えの無い問い」に対して、その問いを、問い続ける能力。 すなわち、「知性」とは、容易に答えの見つからぬ問いに対して、決して諦めず、その問いを問い続ける能力のこと。 ときに、生涯を賭けて問うても、答えなど得られぬと分かっていて、それでも、その問いを問い続ける能力のこと。
一人の人間が生涯を賭けて問うても、その答えを得ることができない問い。 人類がこれから百年の歳月を賭けて問うても、容易に答えの得られぬ問い。 そうした問いを問い続ける力が、「知性」と呼ばれるものであろう。
「割り切りとは、魂の弱さである」 この言葉は、厳しい言葉。 しかし、まぎれもなく、一つの真理を突いた言葉でもある。 たしかに、我々の精神は、その容量を超えるほど難しい問題を突き付けられると、その問題を考え続けることの精神的負担に耐えかね、「割り切り」を行いたくなる。 問題を単純化し、二分法的に考え、心が楽になる選択肢を選び、その選択を正当化する理屈を見つけ出す。
すなわち、精神が「楽になる」ことを求め、「割り切り」に流されていくと、深く考えることができなくなり、「答えの無い問い」を問う力、「知性」の力が衰えていくのである。前者の「割り切り」の心の姿勢は、心が楽になっている。 しかし、後者の「腹決め」の心の姿勢は、心が楽になっていない。
臨床心理学者の河合隼雄が、かつて「愛情とは、関係を断たぬことである」との言葉を残しているが、まさに、その通り。
実は、人間の精神は、歳を重ねるにつれ、エネルギーを高めていく。 しかし、我々が意識と無意識の境界で抱いている「人間の精神は、歳を重ねると、エネルギーが衰えていく」という強固な「固定観念」によって、実際に、我々の精神は、歳を重ねるに従って、エネルギーが衰えていく。
自分の能力を少し超えたレベルの仕事に集中するという時間を、 定期的に、継続的に、数年間というオーダーで持つ。
「知識」とは、「言葉で表せるもの」であり、「書物」から学べるものである。 「智恵」とは、「言葉で表せないもの」であり、「経験」からしか学べないものである。
例えば、「直観力」「洞察力」「大局観」などと呼ばれる能力。 これらの能力は、「知性」と呼ばれる能力の重要な核を成しているが、これらは、「職業的な勘」や「プロの直観」などという言葉があるように、永年の「職業経験」や「現場経験」を通じてしか掴めないものである。 そして、直観力、洞察力、大局観だけでなく、実は、「知性」と呼ばれる能力の核心は、「経験」を通じてしか身につかない、人間としての極めて高度な能力なのである。
しかし、残念なことに、最近の世の中を見渡すと、この「知識」と「智恵」を混同するという病が広がっている。 すなわち、「知識」を学んで「智恵」を掴んだと思い込む、という病である。
「野心」とは、 己一代で何かを成し遂げようとの願望のこと。 「志」とは、 己一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしき何かを、次の世代に託する祈りのこと。
哲学者たちは、これまで世界を「解釈」してきたにすぎない。 大切なことは、それを「変革」することである。
【感想】
知能と知性というのは全くの別物であり、後者は経験からしか生まれ得ない、非常に高度なものである、というのがこの本の核となるテーマになっている。様々な人生経験、職務経験を踏まえて、答えなどないと分かりつつも考えに考え抜いて最適解を導き出す力───それこそが知性であり、本などで得た上っ面だけの知識ではたどり着けない領域。この知性を磨いていくことで、人生がより豊かになっていくのは間違いないと感じた。マルクスの「哲学者たちは、これまで世界を「解釈」してきたにすぎない。 大切なことは、それを「変革」することである」という名言も心に沁みた。
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