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2021年08月10日
人望が集まる人の考え方
よい人間関係とは、自分が求めているものを手に入れるのと引き換えに、相手が求めているものを与えることだ。それ以外の関係はうまくいかない。
大切なのは、他人とうまくやっていきながら、満足感を得ると同時に相手の自尊心を満たす方法を見つけることである。人間関係の極意とは、お互いの自尊心を満たすようなやり方で相手とかかわることだ。これこそが人とかかわって本当の成功と幸福を手に入れる唯一の方法である。
人々は自尊心についてとてもデリケートで、自尊心を傷つけられると非常手段に訴えるおそれがあることを肝に銘じよう。
実業家のヘンリー・カイザーは「すべての人を大切に扱えば、必ずよい人間関係を築くことができる」と言っている。これは当たり前のことだが、非常に含蓄のある言葉だ。
・あなたは他人の価値を認める力を持っている。・あなたは他人が自分を好きになるのを手伝う力を持っている。・あなたは他人を受け入れて大切に扱う力を持っている。
自分の「隠れ資産」を相手に与えるとき、何が得られるかを考える必要はない。それを気前よく与えれば、必ず何倍にもなって戻ってくるからだ。
「人間が論理の生き物というより感情の生き物だと気づけば、人間関係の技術は飛躍的に向上する」
相手を独自の価値を持つ存在として大切に扱うと、相手の意見や考え方に敬意を払うようになる。その結果、相互の関心、理解、友情にあふれたより高い次元の人間関係が可能になる
意外なことに、一人ひとりの重要感を満たすには少しずつ注目するだけで十分である。
私たちが他人の間違いを指摘するとき、それはたいてい問題を解決したいからではなく、相手を批判して自分の重要感を高めたいからである。 そこで、相手の間違いを指摘する前に、「相手が正しいかどうかは大きな意味を持つだろうか?」と自問しよう。
自分が望む「主音」で会話を始めれば、相手の行動と態度を驚くほどコントロールすることができる。たとえば、自分を真剣に受け止めてほしいなら、真剣な調子で始めよう。実務的なやりとりを望むなら、実務的な調子で始めよう。気楽なやりとりを望むなら、気楽な調子で始めよう。ここで覚えておこう。相手は状況に合わせて対応する。相手はあなたが設定した舞台で自分の役回りを演じる。だからもし守勢に回りたくなければ、謝罪めいた調子で会話を始めてはいけない。たとえば、戸別訪問のセールスマンが主婦に対して、「お邪魔して申し訳ございません」とか「時間はそんなにとらせませんので」と言うと、自分では気づかないうちに主婦の態度をコントロールしている。自分の最初の言葉、動作、態度が「主音」となることを肝に銘じよう。
自分がどのように受け入れられるかは、あなた自身が最も責任を負っている。多くの人は他人にどう思われるかを絶えず心配しているが、自分が他人にどう思われるかは、自分の自己評価によるところが大きい。これも重力の法則と同じくらい確実な心理学の法則にもとづいている。
聖書に「裁かれたくなければ、裁いてはいけない」という教えがある。これは人間関係に関する名言である。私たちは何かを裁くたびに、自分を裁くきっかけを他人に与えてしまうのだ。
人間関係の分野で最も確実に言えるのは、相手が好いてくれないと思い込んでいると、その信念を実体験しやすいということだ。しかし、もし相手が好いてくれると確信すると、その信念は現実になる公算が大きい。相手が友好的な態度をとってくれるのを待つのではなく、自分から率先して友好的な態度をとろう。おそらく相手も友好的な態度をとってくれるはずだ。
「相手の言い分に共感して理解のある態度を示すことが、人望を集める最も効果的な方法である。しかし、相手の話をじっくり聞くという単純な方法を実行している人はごくわずかしかいないのが現状だ」
人間の最も強い衝動のひとつは自己保存であり、それには自分の肉体だけでなく自尊心を守ることも含まれる。私たちは自分の自尊心を守るために、どんな考え方を受け入れるかについて慎重になる。だから、自分の価値観と相容れない考え方を押し付けられると必然的に強く反発するのだ。
「相手を説得するには自分の意見を控えめな態度で正確に述べると効果的だ。その際、『私が間違っているかもしれないが』と切り出すといい。相手はあなたが遠慮がちに話しているのを見て謙虚な姿勢に共感し、自分の考えを改めて『あなたが正しい』と言ってくれるだろう」
一流の経営者は自分一人ですべてのアイデアを生み出す天才ではなく、従業員からアイデアを引き出し、それをもとに最終決定をおこない、実行に移す能力を持つ人物である。
「この問題について意見を聞かせてほしい」「あなたならどう解決するか教えてください」と言うと、相手は自分が信頼されていることを実感して親近感を抱く。
子どもは事前に自分の意見を言い、提案する機会を与えられると、意に沿わない決定がくだされても、親の権威に喜んで従うものです
「ほめ言葉は相手の心身にエネルギーを与える。心をこめて相手をほめると、疲れている肉体は壮健になり、落ち込んでいる精神は高揚し、すり減っている神経は回復し、不振におちいっている事業は活況を取り戻す」
自分が感謝していることを言わなくても相手はわかってくれると思ってはいけない。相手の行為に対する感謝の気持ちをきちんと伝えることによって、相手はあなたのためにもっと尽くしたくなる。
自分の幸福感を高めたいなら、他人の中にほめるべき素晴らしい点を探そう。これほど確実に自分の幸福感を高める方法はない。他人の中に素晴らしい点を探す努力をすることは、自分にも奇跡的な効果をもたらす。それは自己中心的で独善的な傾向を和らげ、他人に対する理解を深め、寛容の精神を培ってくれるからだ。
特定の行為をほめることは、ほめられた人がそれをもっとしようという動機づけになる。ほめ言葉はその対象となる行為を強化する働きを持っていることを覚えておこう。相手のよい行為をほめれば、相手の行為はますますよくなる。 ここで注意しておこう。相手そのものをほめると、相手の自己愛の傾向を助長しやすい。多くの少年が母親から「あなたは世界で最も素晴らしい人よ」と頻繁に言われたために一生を台無しにした。ほとんどの人が相手をほめるのをためらう理由は、それによって相手が増長して傲慢になることを懸念しているからだ。 しかし、相手の行為や性質をほめると、相手の自尊心を高めることができる。これは自己愛やうぬぼれとはまったく違うことだ。
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リーダーの禅語
リーダーには「風格」がなければなりません。 存在そのものが威厳に満ち、しかし傲慢ではなく、振る舞いは常に謙虚であることが求められます。 リーダーには「育成力」がなければなりません。 部下を立派に、一人前に、さらにともに力を合わせて仕事を遂行するパートナーに育て上げる必要があります。 リーダーには「平常心」がなければなりません。 何があっても動じない、それでいて何事にも臨機応変に対応できる柔軟性を持ち、冷静に行動することが肝要です。 リーダーには「行動力」がなければなりません。 大所高所から物事を見て判断し、自ら率先して迅速かつ的確に行動することが、組織の原動力になるのです。 リーダーには「信頼力」がなければなりません。 社内外のあらゆる人たちに「この人についていけば間違いない」と思わせる中身を持っていることが大切なのです。
「一笑千山青(いっしょうすればせんざんあおし)」――一流のリーダーはみな、どんな困難に直面しても、心配事が山ほどあろうとも、「なんとかなるさ」と笑い飛ばす強さを持っている。 「不戯論」――人の上に立つ者は、悪感情に任せて、くだらないことをゴタゴタいってはいけない。大事なときに大事なことだけを、心を込めていいなさい。 「冷暖自知」――器の水が冷たいのか温かいのかを知るには、実際に手を入れてみるしかない。つまり、何事も行動してみなければわからない。どんなに偉くなっても、「自ら動く」習慣を身につけなさい。
「本来無一物」――「人は生まれながらにして持っているものは何もない。我が身一つでこの世に生まれてきた」ということを意味するこの禅語は、まさに人間の本質を突いたもの。
「失うものは何もない」ことほど、人を強くする境涯はないのです。 リーダーになったみなさんだって、本質的には「無一物」です。高い地位や高い収入、多くの部下、輝かしい仕事の成果など、さまざまなものを持っていると思い込んでいるかもしれませんが、それらは衣服のようなもの。「身ぐるみはがれてなるものか」などと執着するほどのものではありません。
「常行一直心」 とは、そういうこと。 これは、「自分はこれで行く」という本道があって、そこから派生する道に広げていくスタイルを貫くことを意味します。 その本道とは、自分が得意とする仕事とそのやり方です。それを見つけて、磨きに磨いていき、他の追随を許さないところまで高めることがポイントです。本道で養った力は、その分野に関係するさまざまな仕事において、高いレベルで発揮することができます。太い幹からしっかりした枝葉が豊かに広がるように、マルチな能力が磨かれていくのです。
「大地黄金」 この禅語は、「自分が置かれている場所で精いっぱい尽くせば、その場所が黄金のように輝いてくる」という意味です。黄金の大地は、最初から存在するものではなく、自分がいまいる場所が黄金の大地になるのです。
どんな分野であれ、「達人」といわれる人の姿・所作は美しいものです。 「形直影端」という禅語は、まさにこのこと。「美しい姿をしている人は、影まで美しい」のです。
リーダーに必要なこの指導力のキモを教えてくれるのが、雛が卵から孵るときの様子にたとえた「啐啄同時」という禅語です。 「啐」とは、雛が卵の内側から、コツコツと殻を叩いている状態。「そろそろ、外に出たいなあ」という合図です。 一方、「啄」とは、その音を聞いた親鳥が、卵の外側から殻をつついてやることを意味します。 この「啐」と「啄」が同時に、絶好のタイミングで行なわれなければ、新しい命は生まれません。雛の体ができあがっていないうちに親鳥が殻を割ってしまえば、外界に出たとたんに雛は死んでしまいます。逆に、雛がもう十分に育っているのにもかかわらず、親鳥が殻を破る手助けをしてやらなければ、雛は卵のなかで息絶えてしまいます。 つまり、親鳥は雛が卵を内側から叩く音を慎重に聞き分けて、「もう大丈夫」と確信できる、そのタイミングを見定めているわけです。 会社にあってはもちろん、リーダーが親鳥で部下たちは雛。リーダーは部下を指導するなかで、彼らの成長の合図≠的確に受け止める必要があります。
リーダーは部下が真似したくなる振る舞いを心がけなくてはいけません。 このことを禅語で「薫習」といいます。 もともとは、衣をしまうときに、防虫香といういい香りのするお香を畳紙に包んで入れておき、その香りを衣に染み込ませることを意味します。衣に香りがなくとも、お香からの香りが自然と移って、次に着るときにまことに気持ちがいいものです。
「受けた恩は石に刻み、与えた恩は水に流す」
「もっとも大事なことは、言葉や文字では伝えられない。その外に立つ、何もないところに気持ちを込めて伝えなさい。本人が気がついたときにはじめて、それを教えてあげることができる」 これが「不立文字、教外別伝」という禅語の意味するところです。
禅の世界では、頭のなかを空っぽにして、心を「無」の状態にすることを「非思量になる」といいます。
「七走一坐」は、休む大切さを教えてくれる禅語です。 直訳すれば、「七回走ったら、一回座りなさい」ということ。リーダーのみなさんは「ある程度やったら、立ち止まって自分を見つめ直しなさい」というふうに読むといいでしょう。 いったん立ち止まることは、じつはゴールに到達するいちばんの「近道」なのです。
「いや、そのとき見て感じたことと、今度行って感じることは違いますよ。そうでなければ、あなたは成長していない、ということです」 たいていは「えっ!」と驚かれますが、リーダーはこういった視点を常に持っていなければなりません。同じことをやっていても、昨日と今日では感じることが違うはず。そこに気づくことが成長なのです。それが「昨日今日不同」という禅語の意味するところです。
年齢を重ねれば当然、成長の伸びしろ≠ヘ小さくなっていきますが、一%でもいい、「リーダーとして昨日より成長した」と思える部分を意識したいものです。この気づきがあるとないとでは、リーダー人生≠フ充実度が格段に変わってきます。
本当に強いリーダーは、「柔軟」の鎧を身につけています。そうして一歩引いたところにポジショニングをして、広い視野で状況を見極めて判断しようとします。
「君子の交わりは淡きこと水の若し。小人の交わりは甘きこと醴の若し」 これは荘子の言葉です。 人づき合いにおいて、立派な人物は水のようにさっぱりと、器の小さな人物は甘酒のようにべったりとしている。
【感想】
禅語について書かれた本はこれで2冊目だけど、またたくさんのいい言葉に出会えた。1番感動したのは啐啄同時、という禅語。人を育てる時だけでなく、様々なシチュエーションに当てはまりそうな言葉だと思った。タイミングがいかに大事かというのを実際の事象で例えているのが上手い。他にも昨日今日不同、七走一坐、薫習など心の残る禅語をたくさん知ることが出来た。
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知性を磨く
「知能」とは、「答えの有る問い」に対して、早く正しい答えを見出す能力。 「知性」とは、「答えの無い問い」に対して、その問いを、問い続ける能力。 すなわち、「知性」とは、容易に答えの見つからぬ問いに対して、決して諦めず、その問いを問い続ける能力のこと。 ときに、生涯を賭けて問うても、答えなど得られぬと分かっていて、それでも、その問いを問い続ける能力のこと。
一人の人間が生涯を賭けて問うても、その答えを得ることができない問い。 人類がこれから百年の歳月を賭けて問うても、容易に答えの得られぬ問い。 そうした問いを問い続ける力が、「知性」と呼ばれるものであろう。
「割り切りとは、魂の弱さである」 この言葉は、厳しい言葉。 しかし、まぎれもなく、一つの真理を突いた言葉でもある。 たしかに、我々の精神は、その容量を超えるほど難しい問題を突き付けられると、その問題を考え続けることの精神的負担に耐えかね、「割り切り」を行いたくなる。 問題を単純化し、二分法的に考え、心が楽になる選択肢を選び、その選択を正当化する理屈を見つけ出す。
すなわち、精神が「楽になる」ことを求め、「割り切り」に流されていくと、深く考えることができなくなり、「答えの無い問い」を問う力、「知性」の力が衰えていくのである。前者の「割り切り」の心の姿勢は、心が楽になっている。 しかし、後者の「腹決め」の心の姿勢は、心が楽になっていない。
臨床心理学者の河合隼雄が、かつて「愛情とは、関係を断たぬことである」との言葉を残しているが、まさに、その通り。
実は、人間の精神は、歳を重ねるにつれ、エネルギーを高めていく。 しかし、我々が意識と無意識の境界で抱いている「人間の精神は、歳を重ねると、エネルギーが衰えていく」という強固な「固定観念」によって、実際に、我々の精神は、歳を重ねるに従って、エネルギーが衰えていく。
自分の能力を少し超えたレベルの仕事に集中するという時間を、 定期的に、継続的に、数年間というオーダーで持つ。
「知識」とは、「言葉で表せるもの」であり、「書物」から学べるものである。 「智恵」とは、「言葉で表せないもの」であり、「経験」からしか学べないものである。
例えば、「直観力」「洞察力」「大局観」などと呼ばれる能力。 これらの能力は、「知性」と呼ばれる能力の重要な核を成しているが、これらは、「職業的な勘」や「プロの直観」などという言葉があるように、永年の「職業経験」や「現場経験」を通じてしか掴めないものである。 そして、直観力、洞察力、大局観だけでなく、実は、「知性」と呼ばれる能力の核心は、「経験」を通じてしか身につかない、人間としての極めて高度な能力なのである。
しかし、残念なことに、最近の世の中を見渡すと、この「知識」と「智恵」を混同するという病が広がっている。 すなわち、「知識」を学んで「智恵」を掴んだと思い込む、という病である。
「野心」とは、 己一代で何かを成し遂げようとの願望のこと。 「志」とは、 己一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしき何かを、次の世代に託する祈りのこと。
哲学者たちは、これまで世界を「解釈」してきたにすぎない。 大切なことは、それを「変革」することである。
【感想】
知能と知性というのは全くの別物であり、後者は経験からしか生まれ得ない、非常に高度なものである、というのがこの本の核となるテーマになっている。様々な人生経験、職務経験を踏まえて、答えなどないと分かりつつも考えに考え抜いて最適解を導き出す力───それこそが知性であり、本などで得た上っ面だけの知識ではたどり着けない領域。この知性を磨いていくことで、人生がより豊かになっていくのは間違いないと感じた。マルクスの「哲学者たちは、これまで世界を「解釈」してきたにすぎない。 大切なことは、それを「変革」することである」という名言も心に沁みた。
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