2021年09月14日
武器になる哲学
ルサンチマンを哲学入門書の解説風に説明すれば「弱い立場にあるものが、強者に対して抱く嫉妬、怨恨、憎悪、劣等感などのおり混ざった感情」ということになります。わかりやすく言えば「やっかみ」ということなのですが、ニーチェが提示したルサンチマンという概念は、私たちがともすれば「やっかみ」とは思わないような感情や行動まで含めた、もう少し射程の広い概念です。
ルサンチマンは、社会的に共有された価値判断に、自らの価値判断を隷属・従属させることで生み出されます。自分が何かを欲しているというとき、その欲求が「素の自分」による素直な欲求に根ざしたものなのか、あるいは他者によって喚起されたルサンチマンによって駆動されているものなのかを見極めることが重要です。
フランシス・ベーコン「富を軽蔑するように見える人々を余り信用しないがよい。富を得る望みのない人々が、それを軽蔑するからである。こういう人々が富を得るようになると、これほど始末に困る手合いはいない」
パーソナリティとはそれ自体の定義からして本来的には短期に大きく変化しないものです。心理学者のユングはパーソナリティのうち、外界と接触している部分をペルソナという概念で説明しています。ペルソナとは、元来は古典劇において役者が用いた「お面」のことです。ユングは「ペルソナとは、一人の人間がどのような姿を外に向かって示すかということに関する、個人と社会的集合体とのあいだの一種の妥協である」と説明しています。
私たちは「意思が行動を決める」と感じますが、実際の因果関係は逆だ、ということを認知的不協和理論は示唆します。外部環境の影響によって行動が引き起こされ、その後に、発現した行動に合致するように意思は、いわば遡求して形成されます。つまり、人間は「合理的な生き物」なのではなく、後から「合理化する生き物」なのだ、というのがフェスティンガーの答えです。
チクセントミハイは「あること」に気付きます。それは、分野の異なる高度な専門家たちが、最高潮に仕事に「ノッテいる」ときに、その状態を表現する手段として、しばしば「フロー」という言葉を用いる、ということでした。チクセントミハイは、彼ら専門家の用いたこの言葉をそのまま引いて、のちに「フロー理論」として広く知られることになる仮説をまとめました。 チクセントミハイは、フローの状態、いわゆる「ゾーン」に入ると、次のような状況が発生することを報告しています。
@過程の全ての段階に明確な目標がある
目的が不明瞭な日常生活での出来事とは対照的に、フロー状態では、常にやるべきことがはっきりわかっている。
A行動に対する即座のフィードバックがある
フロー状態にある人は、自分がどの程度うまくやれているかを自覚している。
B挑戦と能力が釣り合っている
自分の能力に見合ったチャレンジをしていて、簡単すぎて退屈することも、難しすぎて投げ出したくなることもない絶妙なバランスの上にいる。
C行為と意識が融合する
完全に今やっていることに集中している。
D気を散らすものが意識から締め出される
完全に没頭して、日常生活のささいなことや思い煩いが意識から締め出されている。
E失敗の不安がない
完全に没頭していて能力とも釣り合っているので、失敗への不安を感じない。逆にもし不安が心に上るとフローが途切れて、コントロール感が失われてしまう。
F自意識が消失する
自分の行為にあまりに没頭しているので、他の人からの評価を気にしたり、心配したりしない。フローが終わると、反対に、自己が大きくなったかのような充足感を覚える。
G時間感覚が歪む
時間が経つのを忘れて、数時間が数分のように感じる。あるいはまったく逆に、スポーツ選手などでは、ほんの一瞬の瞬間が、引き伸ばされて感じられることもある。
H活動が自己目的的になる
フローをもたらす体験を、意味があろうとなかろうと、ただフロー体験の充足感のために楽しむようになる。例えば芸術や音楽やスポーツは、生活に不可欠でなくても、その満足感のために好まれる。 チクセントミハイは、特に「B挑戦と能力が釣り合っている」という点について、次のようなチャートを残して詳細に説明しています。 フローに入るためには、挑戦レベルとスキルレベルが高い水準でバランスしなければなりません。高いスキルを持った人が、なんとかやれるレベルの課題に挑戦し、その上で、外乱が入らず、集中が持続できるなど、いくつかの条件が揃った時に、初めて人はフロー状態に入ることができる、ということです。
予告された報酬は、すでに面白いと思って取り組んでいる活動に対しての内発的動機付けを低下させる、という結論を得ています。
しかし実は、多くの人が実践して「いない」にもかかわらず、確実に子供の成績や運動能力が高まる産み方がある、と言えば驚かれるでしょうか。 それは、子供を4月に産む、ということです。
新約聖書のマタイ福音書の文言「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」という一節から借用してこのメカニズムを「マタイ効果」と命名しました。
日の当たらない場所であっても、地道に誠実に努力すれば、いつかきっと報われる、という考え方をする人は少なくありません。つまり「世界は公正であるべきだし、実際にそうだ」と考える人です。 このような世界観を、社会心理学では「公正世界仮説」と呼びます。
世界は公正ではありません。そのような世界にあってなお、公正な世界を目指して闘っていくというのが私たちに課せられた責務でしょう。人目につかぬ努力もいずれは報われるという考え方は、人生を破壊しかねないのだということをよく覚えておいてください。
無知の知とは、平たく言えば「知らないということを知っている」ということです。なぜこれが重要かというと、そもそも「自分は知らないのだ」という認識を持てないと学習がスタートしないからです。当たり前のことですが「僕はわかっているもんね」と考えている人は知的に怠惰になってしまう。「自分はわかっていない」と思うから調べたり、人に話を聞いたりという努力が駆動されるわけです。
【感想】
『哲学』という一見とっつきにくいテーマも、この1冊を読むだけでかなり要点を抑えることが出来る。ルサンチマン、マタイ効果、公正世界仮説など、人生と密接に結びついた哲学用語も分かりやすく解説されている。特にマタイ効果という考え方には凄く納得がいったし、この考え方を知ることが出来たのは大きかった。
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