2006年09月28日
ゴミ処理施設第一歩! タンジュンパリギ村編
LSM Mata Biru- マタ・ビル(海を守る目)NGO(非営利団体)結成!
遂に念願の、島内ゴミ焼却炉が完成!
9月24日、二つの島、二つの村で同日に完成式典を行いました。
まずはタンジュンパリギ村編をご紹介。
インドネシアでは未だ残念ながら海や川、山は公共の巨大ゴミ箱のようにとらえている教育レベル&人々が圧倒的に多いため、各地でゴミのポイ捨てが相変わらず行われている国です。
ここメナド(マナド)もその例にもれず、これほどの素晴らしい世界でも有数のサンゴ礁の海があるにも関わらず、昨今のショッピングモールなどの乱立も手伝ってか、毎年、川や海に捨てられるゴミの量は急増中。
問題は、バリのように普段は目につかない川などを埋め尽くすように捨てられているゴミなどと違い、ここの場合、海に直接捨ててしまうことが多いため、海に浮くゴミは嫌でも人々の目につきやすく、流れによってそれが周辺の島々に流れ着いてしまうことも。
日本も含む外国政府からの、様々なプロジェクトに対する膨大な援助はしょっちゅうあるにも関わらず、インドネシア政府側からのリクエストを優先してしまうせいか、早々に手を打たなければならない本当に住民に必要な重プロジェクトは後回しで、とりあえずの見た目をよくするような港や空港の建設、道路、橋の建設などといったプロジェクトが最優先で行われてしまうのが、ここのお国柄。
一見えらく豊かに栄えるこの街にも、きちんとしたゴミ処理場などは一つもないのが現状です。
処理場がなく、全体のモラルも低いと、当然人々はどこでもゴミ投棄、あちこちで勝手に焼却。島ではまだまだビーチにゴミを投げ捨てにいく人も。
それならせめて村に焼却炉をつくり、ゴミを収集する人を雇って、村で出たゴミは、村の一カ所できちんと処理してはどうかと、ラフが焼却炉のデザイン、そしてゴミ収集システムの導入を、ブナケン島のチャチャが属する村、タンジュンパリギ村に提案、ブナケン・チャチャとして経済的に全面サポート、1年間既にゴミ収集システムを実施、先日終に焼却炉建設を完成させました。
この話を聞きつけたメナド・トウア島メナド・トウア第三村の人々から、
「ぜひうちの村にもこのシステムを導入してほしい!」という熱いラブコールに答え、同じプロジェクトをこの村でも実施。
先日、そのゴミ焼却炉の完成式典が、二つの島、二つの村で午前午後同日に行われ、チャチャスタッフたちも全員参加。
この日は、焼却炉完成記念だけでなく、ラフと私がファウンダーとなって立ち上げたNGO(非営利団体)、LSM Mata Biru マタ・ビル(海を愛する人々が海を見守る目)の結成日でもあります。
メナド(マナド)からは政府関係者、テレビ局、各誌新聞記者も駆けつけました。
おそらく近辺の島々では初の、記念すべきゴミ焼却炉の誕生に、各村の村長、役所、教会関係者の方々も、特に観光客を意識したこういった清掃活動プロジェクトへの必要性、積極的な参加について熱く語っていました。
<ひとりごと>
式典を終えてスタッフ一人の待つチャチャへ全員で戻ったのがもう暗い夕方6時過ぎ。
ホッとしながらも思ったのは、パートナーであるラフと私の組み合わせ、巡り逢わせ。
世界最強のサンゴ礁の海に惚れ、その海に漂うゴミを残念に思い、
「いつかゴミ拾いをしにブナケン島に住む」とかなり漠然とした夢を書いて送った
私からの手紙がきっかけで文通がスタート。トータルで実際に会って5日以内に婚約、
ロンドンで結婚するも、2年足らずで都会の生活にピリオドをうち、
島に完全移住して7年半。
現在ラフはN.S.W.A(北スラウェシマリンスポーツ協会)のチェアマンの一人
として、観光保護&地域住民プロジェクトに完全ボランティアながら積極的に関わって
いるのですが、ゴミ問題になるとデリケートな問題だけに、他のほとんどの
メンバーであるリゾートたちがどうしても消極的になってしまうため、ラフと私が
シンガポールで発見した、素晴らしいゴミ処理専用カタマランボート導入の
アイデアなどを提案しても批判や問題点をあげるばかりで、代わりのアイデアや解決方法を
持ってくる人もいないまま、討論ばかりがうんざりするほど繰り返され、
実際には何も行動を起こすに至らず、今まで随分失望もしてきました。
それでもチャチャのオーナーの一人であり、チェアマンであるラフは忙しい日々を送る傍ら、
ゴミ処理問題を決してあきらめず、まずは地元の村人たちにゴミ処理システムの必要性を
熱心に説き、ようやく私たちの昨年からの計画であった、今回の焼却炉建設&設置を実現。
ゴミ拾いを提案した私のアイデアをそれ以上に実現、拡張させ、ついには
ファウンダー(基金提供者)となって
LSM(インドネシアのNGO) Mata Biru (Masyarakat pencinta Bahariku )
マタ・ビル(海を愛する人が海を見守る目)を個人的に立ち上げてしまったのでした。
チャチャも二人の人生の合作ものですが、こうして
村に最初のゴミ処理システムを定着させるという基盤づくりも結局二人の合作。
East meets West. こうしてみると、なかなか意義のある巡り逢わせだなあ(笑)。
遂に念願の、島内ゴミ焼却炉が完成!
9月24日、二つの島、二つの村で同日に完成式典を行いました。
まずはタンジュンパリギ村編をご紹介。
インドネシアでは未だ残念ながら海や川、山は公共の巨大ゴミ箱のようにとらえている教育レベル&人々が圧倒的に多いため、各地でゴミのポイ捨てが相変わらず行われている国です。
ここメナド(マナド)もその例にもれず、これほどの素晴らしい世界でも有数のサンゴ礁の海があるにも関わらず、昨今のショッピングモールなどの乱立も手伝ってか、毎年、川や海に捨てられるゴミの量は急増中。
問題は、バリのように普段は目につかない川などを埋め尽くすように捨てられているゴミなどと違い、ここの場合、海に直接捨ててしまうことが多いため、海に浮くゴミは嫌でも人々の目につきやすく、流れによってそれが周辺の島々に流れ着いてしまうことも。
日本も含む外国政府からの、様々なプロジェクトに対する膨大な援助はしょっちゅうあるにも関わらず、インドネシア政府側からのリクエストを優先してしまうせいか、早々に手を打たなければならない本当に住民に必要な重プロジェクトは後回しで、とりあえずの見た目をよくするような港や空港の建設、道路、橋の建設などといったプロジェクトが最優先で行われてしまうのが、ここのお国柄。
一見えらく豊かに栄えるこの街にも、きちんとしたゴミ処理場などは一つもないのが現状です。
処理場がなく、全体のモラルも低いと、当然人々はどこでもゴミ投棄、あちこちで勝手に焼却。島ではまだまだビーチにゴミを投げ捨てにいく人も。
それならせめて村に焼却炉をつくり、ゴミを収集する人を雇って、村で出たゴミは、村の一カ所できちんと処理してはどうかと、ラフが焼却炉のデザイン、そしてゴミ収集システムの導入を、ブナケン島のチャチャが属する村、タンジュンパリギ村に提案、ブナケン・チャチャとして経済的に全面サポート、1年間既にゴミ収集システムを実施、先日終に焼却炉建設を完成させました。
この話を聞きつけたメナド・トウア島メナド・トウア第三村の人々から、
「ぜひうちの村にもこのシステムを導入してほしい!」という熱いラブコールに答え、同じプロジェクトをこの村でも実施。
先日、そのゴミ焼却炉の完成式典が、二つの島、二つの村で午前午後同日に行われ、チャチャスタッフたちも全員参加。
この日は、焼却炉完成記念だけでなく、ラフと私がファウンダーとなって立ち上げたNGO(非営利団体)、LSM Mata Biru マタ・ビル(海を愛する人々が海を見守る目)の結成日でもあります。
メナド(マナド)からは政府関係者、テレビ局、各誌新聞記者も駆けつけました。
おそらく近辺の島々では初の、記念すべきゴミ焼却炉の誕生に、各村の村長、役所、教会関係者の方々も、特に観光客を意識したこういった清掃活動プロジェクトへの必要性、積極的な参加について熱く語っていました。
<ひとりごと>
式典を終えてスタッフ一人の待つチャチャへ全員で戻ったのがもう暗い夕方6時過ぎ。
ホッとしながらも思ったのは、パートナーであるラフと私の組み合わせ、巡り逢わせ。
世界最強のサンゴ礁の海に惚れ、その海に漂うゴミを残念に思い、
「いつかゴミ拾いをしにブナケン島に住む」とかなり漠然とした夢を書いて送った
私からの手紙がきっかけで文通がスタート。トータルで実際に会って5日以内に婚約、
ロンドンで結婚するも、2年足らずで都会の生活にピリオドをうち、
島に完全移住して7年半。
現在ラフはN.S.W.A(北スラウェシマリンスポーツ協会)のチェアマンの一人
として、観光保護&地域住民プロジェクトに完全ボランティアながら積極的に関わって
いるのですが、ゴミ問題になるとデリケートな問題だけに、他のほとんどの
メンバーであるリゾートたちがどうしても消極的になってしまうため、ラフと私が
シンガポールで発見した、素晴らしいゴミ処理専用カタマランボート導入の
アイデアなどを提案しても批判や問題点をあげるばかりで、代わりのアイデアや解決方法を
持ってくる人もいないまま、討論ばかりがうんざりするほど繰り返され、
実際には何も行動を起こすに至らず、今まで随分失望もしてきました。
それでもチャチャのオーナーの一人であり、チェアマンであるラフは忙しい日々を送る傍ら、
ゴミ処理問題を決してあきらめず、まずは地元の村人たちにゴミ処理システムの必要性を
熱心に説き、ようやく私たちの昨年からの計画であった、今回の焼却炉建設&設置を実現。
ゴミ拾いを提案した私のアイデアをそれ以上に実現、拡張させ、ついには
ファウンダー(基金提供者)となって
LSM(インドネシアのNGO) Mata Biru (Masyarakat pencinta Bahariku )
マタ・ビル(海を愛する人が海を見守る目)を個人的に立ち上げてしまったのでした。
チャチャも二人の人生の合作ものですが、こうして
村に最初のゴミ処理システムを定着させるという基盤づくりも結局二人の合作。
East meets West. こうしてみると、なかなか意義のある巡り逢わせだなあ(笑)。
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ほんと、感動もひとしおです。村の人の理解もなければできなかったこと。とはいえ、まだまだこれからが本番ですよね。長く続いて来た習慣はそう簡単にはなくならないのも事実。根気よく続けていくしかありません。
今日もゲストを送り出してから、ラフと、今後について長いミーティングを持ちました。
いろいろ更に忙しくなりそうです。そのうちこのNGOの活動を紹介、報告するブログかHPを立ち上げないといけないだろうし。
あー、素晴らしい海存続のためには、ただのんびりブナケンの海でダイビングしてるわけにもいかないのだ。ひえー!!頑張るぞー!
Think globally, Act locally!そのものだね!
夢をひとつひとつ実現させつづけるお二人に乾杯!
ここまで長かった分、感動が押し寄せて
きますね。
メナドに限らず、他の観光地でも
まだまだゴミ問題に悩まされているところは
いっぱいあります。
うちの近所の海は、顔をつけるのが
恐ろしいほど汚いです。
「絶対子供を泳がせない」と言っている人も
いるほど。
みんなで意識してキレイにしたいものです。