2015年03月29日
姿を消した橋の下の祠
昨年3月6日のブログで、札幌から支笏湖に向かう国道453号線のラルマナイ川に架かる、山水橋の河川敷に設けられた祠の話を載せた。その時のブログでは、敢えて具体的な川と橋の名は伏せた。あれから1年が経ち、今回あらためて現地に出向くと、昨年9月の大雨の影響か、祠は跡形も無く消えていた。
昨年のブログは「この祠は、2年ほど前に00川上流のポイント探しの時に発見したもの。橋から下を覗き込んでも見ることができない。見た目には10年以上の歴史を感じさせる。祠は河原に流れ着いた間伐材と、ベニヤ板や青色の養成シートで作られた素朴な概観。中には木彫りのお地蔵様や観音様らしきもの、それに錆びた手刀やお賽銭を乗せる三宝も置かれていた。
祠が設けられている場所から、少し離れた橋脚端に鋸で切った真新しい直径10センチほどの間伐材が置いてあり、最近も作業していた気配があった。
この場所に祠を置いたのは、普通に考えると地神様に安全祈願と山・川の実りに感謝するためだろう。あるいは、半世紀前にこの地が恵庭金山として栄え、金や銀を採掘。ピーク時には500人を超える人間が暮らし、小学校や郵便局・巡査派出所なども設けられていた歴史がある。そのときの神事の名残かもしれない」という内容。
結局、祠は誰が何の目的で設けたのか、分からず仕舞いとなった。まだ残る雪の下に、その名残を留めているのかもしれないが、川と橋の名を記すことにより新しい情報が得られる、との考えから、正確な場所を記すことにした。
山水橋の祠については、恵庭市民の書き込み掲示板にもその存在が問われたことがあった。「ラルマナイ川の祠は一体誰が何のために設けたのか」と。また、「お好きなもの(木彫り)を持ち帰ってください」と記された木片があったというが、前回それは確認できなかった。この話が本当だとすると、実際には祠とはいえないものなのかもしれない。
実は、この近くの渓流でフライを行っていた時に、林道を走る乗用車から「この辺に恵庭金山があったと思うが知らないか」と声をかけられたことがあった。当時、ここで働いていた者の関係者が、昔を懐かしんで訪ねてきた様子に見えた。また、見通しの良い早春の圧雪の季節に、見た目にも登山者や釣人ではない人が、漁川上流に入り込んでいる姿を目撃した。上流には恵庭金山の精錬所と坑口跡が残されていて、そこに行く人々らしい。
橋の下の、祠の謎を解くだけで話がここまで膨らんでしまった。確認するにも今は跡形も無い。謎は謎として、深追いしないほうが良いのかもしれない。
写真上左:現在の山水橋下の様子。昨年9月の河川の氾濫で河原の構造物は全て流されたようだ、同上右:昨年3月に撮影した祠。祠といえるのか、今となっては誰もわからない、同下左:中には、観音様やお地蔵様らしい木彫りの像が無造作に並べられていた、同下右:間伐材や養成シートを用いて回りを囲っていたが・・・・
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昨年のブログは「この祠は、2年ほど前に00川上流のポイント探しの時に発見したもの。橋から下を覗き込んでも見ることができない。見た目には10年以上の歴史を感じさせる。祠は河原に流れ着いた間伐材と、ベニヤ板や青色の養成シートで作られた素朴な概観。中には木彫りのお地蔵様や観音様らしきもの、それに錆びた手刀やお賽銭を乗せる三宝も置かれていた。
祠が設けられている場所から、少し離れた橋脚端に鋸で切った真新しい直径10センチほどの間伐材が置いてあり、最近も作業していた気配があった。
この場所に祠を置いたのは、普通に考えると地神様に安全祈願と山・川の実りに感謝するためだろう。あるいは、半世紀前にこの地が恵庭金山として栄え、金や銀を採掘。ピーク時には500人を超える人間が暮らし、小学校や郵便局・巡査派出所なども設けられていた歴史がある。そのときの神事の名残かもしれない」という内容。
結局、祠は誰が何の目的で設けたのか、分からず仕舞いとなった。まだ残る雪の下に、その名残を留めているのかもしれないが、川と橋の名を記すことにより新しい情報が得られる、との考えから、正確な場所を記すことにした。
山水橋の祠については、恵庭市民の書き込み掲示板にもその存在が問われたことがあった。「ラルマナイ川の祠は一体誰が何のために設けたのか」と。また、「お好きなもの(木彫り)を持ち帰ってください」と記された木片があったというが、前回それは確認できなかった。この話が本当だとすると、実際には祠とはいえないものなのかもしれない。
実は、この近くの渓流でフライを行っていた時に、林道を走る乗用車から「この辺に恵庭金山があったと思うが知らないか」と声をかけられたことがあった。当時、ここで働いていた者の関係者が、昔を懐かしんで訪ねてきた様子に見えた。また、見通しの良い早春の圧雪の季節に、見た目にも登山者や釣人ではない人が、漁川上流に入り込んでいる姿を目撃した。上流には恵庭金山の精錬所と坑口跡が残されていて、そこに行く人々らしい。
橋の下の、祠の謎を解くだけで話がここまで膨らんでしまった。確認するにも今は跡形も無い。謎は謎として、深追いしないほうが良いのかもしれない。
写真上左:現在の山水橋下の様子。昨年9月の河川の氾濫で河原の構造物は全て流されたようだ、同上右:昨年3月に撮影した祠。祠といえるのか、今となっては誰もわからない、同下左:中には、観音様やお地蔵様らしい木彫りの像が無造作に並べられていた、同下右:間伐材や養成シートを用いて回りを囲っていたが・・・・
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不思議な体験ですか…。20代の頃まで所謂、霊感ってのが強かったのか色々な体験をしました。
何から話したら良いのか…(笑)
私が小学校〜中学の頃まで住んでいたアパート(居間で言うテラスハウス)で不思議な体験を
沢山しました。
金縛り、ポルターガイストなどなど…ほぼ毎日ありました。後半は慣れましたが(笑)
具体的には2階に誰も居ないのに足音や、深夜にトイレに入ると高速ノック。
これまた深夜に、風呂場で湯あみサウンド。もちろん真っ暗で確認すると風呂場の床は乾いて
おり水気は一切ありませんでした。
この数々の減少は家族も大なり小なり体験しており、中3の頃に引越しています。
今は、オーナーさんの娘夫婦がその部屋に入って居るらしいのですが現象が続いているのかは
わかりません。
詳しく沢山の体験があるのですがここでお話しするには長くなりますので(これも十分長いですが)
いつかどこかでお会いする機会があればお話しできるかと思います。
長文駄文失礼致しました…
新琴似の心霊アパートも含めて、縁がありそうですね。
今度はMAKOTOさんが遭遇した不思議な体験を
教えていただけませんか。
連絡をお待ちしています
この祠、私も見たことがあります!
2年前渓流釣りを始めた頃にポイントを探してウロウロしていた時に発見しました。
その時は、祠の少し離れたところで焚火?の跡が残っており下火でしたが煙が上がっていました。
場違いな祠に気味悪さもあり、先刻まで人が居た形跡あったので釣りもせず逃げるように
その場を後にしました。
やはり、秋の大雨で流されてしまったのでしょうね…。