BSプレミアムで放送中の連続テレビ小説アンコール『おしん』は1週間分の6話90分を一気に放送するフォーマットとなっている。ところが先週9/22(日)は3話45分しか放送せずどうしたのかと思っていたら話の区切り良く「戦中編」が終わったので納得した。
名作を観直すとそれぞれ見た時の自分の年齢に応じた感想を持つものだと言われるがそれを実感させられるのが『おしん』だ。
【注意:以下ネタバレとなっています。】
1.佐賀編
関東大震災で全てを失った竜三はおしんと長男・雄を連れて佐賀の実家に居候する。それは竜三の母・田倉 清とおしんの嫁姑のいさかいを生むことになり、結果長女・愛を死産で失うことになる。
20年前に見た時は義理の母・田倉 清のおしんへの仕打ちに腹を立てるととともに姑の怖さを思い知らされた記憶がある。今回観ているとこの時のおしんはまだ20歳台で若く東京で事業を切り盛りしていたと言う自信もあり、清に対して頑固で意地っ張り可愛げのない態度を取ることが多い。これは良くない。
佐賀の生活しか知らず出産の迷信を信じている清でも人生の先輩として意見を尊重すべきだったし、その立場を理解して手配してくれた家で出産すべきだったと思う。嫁として認められていない負い目から自宅での出産に固執する気持ちは分かるが、「郷に入っては郷に従え」という言葉を思い出すべきだった。
20歳も年を取ると嫁姑の言動を第三者的に見られるようになっていることに驚くと同時に、つい清の立場に肩入れしてしまう自分は年を取ったものだと思ってしまう。(苦笑)
2.放浪編
長男・雄と佐賀を出たおしんは東京で働き始めるが、色々な事情が重なり、山形の実家、坂田、伊勢と仕事と住まいを移すことになる。伊勢で魚の行商をやって生計を立てている所に台風で干拓事業に失敗した竜三が訪ねて来て夫婦で魚屋を営むようになり家族が増えていった。
八代 くにはおしんが見舞いに行った翌朝死去、次男出産を手伝ってくれた母・谷村 ふじは白血病に侵され生家に戻った夜に死亡、八代 加代はおしんが尋ねた夜に吐血により急死とドラマの展開上の都合とは言え、おしんの『デスノート』ぷりには思わず苦笑してしまった。そういえば父・谷村 作造もおしんが見舞いに帰省した夜に肝硬変で死んでいる。
3.戦中編
魚屋を営む竜三は兄・田倉 亀次郎の取り成しで軍への魚卸を手掛けるようになり、軍の信頼を得て裁縫工場の監督も任されるようになった。隣組の組長も務め日本の勝利を信じ戦争に協力したが1945年8月15日の玉音放送を聞いた2日後1人山奥で自決する。長男・雄は戦死し、夫が残してくれた家も満州から帰国した元持ち主に乗っ取られ全て失ったおしんは44歳の再出発を決意する。
この3週間は「雄の戦死」「竜三の自決」「自宅放棄」と怒涛の展開でまったく目が離せなかった。そういえば戦後の話で竜三が登場した記憶が無く、いつ消えたのだと思っていたら終戦直後に自決とはすっかり忘れていて驚いてしまった。
戦死の知らせを聞いた竜三が雄の遺影に「雄、フィリピンてとこは暑かったんだろうな。食べる物なんかなかったんじゃないか」と話し掛け、「父さんだってな、日本が戦場になったら一番先敵地に突っ込んで行くからな」「も、もうすぐ会えるな。そん時はお前の手柄話を聞こう。それ、楽しみにしとるぞ」と言うシーンには思わず目頭が熱くなってしまった。
日本勝利の為お国に息子を差しだした父親の覚悟と愛情が感じられる名シーンだと思う。これがあるから自決したのも一時代を生きた男のけじめとして納得も出来よう。もっとも若い時から子供服工場、干拓事業と思い込みの強さと挫折の弱さを見せていただけに、おしんも前の晩の竜三の様子に注意すべきだったという気はする。
雄を庇い震災で死んだ今村 源右衛門の時と父・作造死去の時にも泣かされたし、すっかり男の立場としてこのドラマを見ている自分に気づかされる。
戦争で仕事と家と家族2人を失ったおしんが44歳で再出発を決意するのを見て、今年金をもらっている老人を「年金勝ち逃げ組」と一括りにするのは悪い、68歳以上の人達にはその権利は十分あると思った。それと同時に、普通の人達が戦中戦後をどう生きて来たのか話を聞きたくなった。
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