全56話を視聴するととにかく登場人物が多く家系図が欲しくなるほどだ。久しぶりに登場したキャラが誰なのかちょっと記憶をたどる必要がある始末だ。
印象に残ったエピソードは、源氏の熊谷次郎直実が平敦盛(末子)の遺品を父 平経盛(平清盛の異母弟)の許に届ける人情味ある死者への扱いには不覚にも袖を濡らした。そして安徳天皇の御入水も7歳と幼いだけに哀れだ。
このドラマでは後白河法皇の腹黒さ、1180年の石橋山合戦で敗北した以降鎌倉を出ることなく指揮するだけの源頼朝の慎重さと平宗盛(平清盛の三男)の無能さばかりが印象に残る。この演出では滅亡した平家や兄に追われた源義経に同情票が集まる筈だ。
1156年の保元の乱から1185年の壇ノ浦の戦いまでたった29年の間になんと大勢の武将が死んでいったことか。それに加え「原作:吉川英治」だからかその武将たちに関わる女性たちも運命に翻弄され自害したり出家したりと運命の残酷さを語る。
武士たちは兄弟親族で争うとはヤクザの跡目争いかと呆れて見ていたが、その原因は 1)家長全相続制度 2)個人の実力と能力の評価を重視 3)家督の重要性 といった武士ならではの価値観が強く影響していたらしい。
平清盛は武士なのに貴族政治をそのまま真似て藤原氏に代わり権力を追い求めたのが間違いだったのだろう。新しい武士による政治体制を考えられなかったのは本人の能力と時代の限界とは言え平家一門にとっては不幸だった。
そう考えると徳川家康は平治の乱の敗者の扱いから至る壇ノ浦の戦いの結末を教訓に、大阪夏の陣を起こし最後には豊臣家を滅亡させた。
源氏復興の教訓から参勤交代による外様大名の財力を削り、源頼朝と義経の確執から御三家で将軍を補佐し家督争いを無くす制度を作ったと思われる。徳川家康は歴史から多くを学んでいたのだと気付かされる話だ。
もともとは皇位継承を巡って後白河天皇と崇徳上皇が争った保元の乱が発端なのだから、これを知ると発展途上国で時々起こる軍事クーデーターは歴史の必然なのかと思ってしまう。その後の軍事政権の運命も平家物語的だ。
参考:TVアニメ 平家物語
https://heike-anime.asmik-ace.co.jp/#introduction
人形劇の平家物語を見てすっかりこのドラマに魅せられてしまい平安時代の歴史を復習し始めているが、2022年1月放送のTVアニメ 平家物語も見ているのに面白いとは思わなかった。この違いは18時間40分で約30年間を描いたか、4時間24分で15年間を描いたかの違いが大きい。
年数は半分なのに放送時間は4分の1以下では駆け足で歴史をなぞるだけで感情移入できなかった気がする。また死者が見える目と未来が見える目といった設定も不要だった。
参考:現代語訳 平家物語
https://www.aozora.gr.jp/cards/001529/card60756.html
さて原作の「平家物語」でも読んでみようか。
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