歩いてないで今すぐ走れよ!とか、
国語の授業で「走れメロス」を習ったときは、そんなツッコミで盛り上ったな。
親友との約束を果たすためにメロスは走る-。信頼と友情を謳い上げる表題作ほか、生きることの意味を考え続けた著者の名作短編集。太宰入門にふさわしい1冊。(解説・池内輝雄/鑑賞・井坂洋子)(Amazon.com より引用)
作品情報
『走れメロス』
著者:太宰治
発行年月日:1999年5月25日
出版社:集英社
収録作品
- 燈籠
- 満願
- 富嶽百景
- 葉桜と魔笛
- 新樹の言葉
- おしゃれ童子
- 駈込み訴え
- 走れメロス
- 清貧譚
- 待つ
- 貧の意地
- カチカチ山
感想
「カチカチ山」が読みたくなって買った本なんですけど、表題作の「走れメロス」って改めて読むとイイですね。
教科書に載っているくらいだから名作なのは当たり前なんですが、大人になってから読むと他者から「信頼されている」ことの重みがより分かるというか。
メロスはダメ人間
そもそもメロスって、怒りに任せて王様を殺しに行こうとして捕まったうえ本人の許可も得ずにセリヌンティウスを身代わりとして差し出すという、とんでもなく短絡的で自己中な男ですよね。
「きょうはぜひとも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔の台に上ってやる」なんて言っちゃって、ええカッコしいでもある。
この作品は、そんなダメ人間・メロスの成長物語なんだということがよく分かりました。
メロスは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮らして行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものではない。ままならぬことである。メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。(P140)
妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりもないはずだ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要もない。ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。(P142)
昔はこんなメロスに対して、なんて能天気なヤツ!これのどこが勇者なんだ!と腹が立ったのですが、この作品は別にメロスを正義の人として肯定してるわけじゃないでんですよね。
彼は「私は、今宵、殺される。殺されるために走るのだ」と分かっている。
分かっているからこそ、無意識のうちに王城への到着を遅らせているんですよね。本当は死にたくないから現実逃避しているだけ。
それでもメロスは濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も打ち倒して王城へ向かうわけですが、疲労のあまり「もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐れた根性」が心の中に現れ、ついには「ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか」とまで考えてしまう。
このときのメロスは自分を正当化してみたり開き直ってみたり、友人の命よりも自分の名誉を気にしていたり。
こうやって読み直すとメロスの、というか人の心の弱さがよく描かれていて面白いな〜と思います。
我が身を振り返ってみても思い当たる節が多々あってアイタタタ…って感じ。
メロスが走る理由
一時はセリヌンティウスを裏切りかけたメロスですが、この後、泉の水を飲んで立ち直ります。
私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいいことは言っておられぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス。(P147, 148)
「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ。ついて来い!フィロストラトス。」(P150)
「私は信頼されている」からメロスは走る。
彼を支えているのは、もはや自分の名誉ではなく、ただセリヌンティウスの信頼に応えることだけ。
自分を信じて、命さえ預けてくれる友人にふさわしい自分でいるために。
もしメロスが誘惑に負けて走るのを止めてしまったら、友人の「信頼」を裏切ってしまった自分に劣等感を抱いて生き続けることになる。
つまり、自分の心の弱さに打ち克つこと=友人に恥じない自分でいることが「もっと恐ろしく大きいもの」なのかな、と感じました。
大人になった今なら、困難な状況下で「私は信頼されている」と実感することのプレッシャーや、そこから逃げ出したくなる気持ちも理解できるから、たとえ一度挫けたとしても再び走り出したメロスは立派だと思います。
万歳、王様万歳。
死ぬために走り続けたメロスは間一髪で王城にたどり着き、処刑を免れたばかりか、王様に「信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか」とまで言わせる。
私、ここからの展開がご都合主義的でイヤだったんですよ。
いくらメロスが約束を守って戻ってきたからって、何人も殺してきた暴君が簡単に改心するなんて納得いかないじゃないですか。
でも、これって単に約束が果たされたからというだけじゃなかったんですよね。
一番の理由は、きっとメロスとセリヌンティウスがお互いに、相手を裏切ろうとしたり疑ったりしたことを正直に認めたから。
王様は決して二人の友情に感動してあっさり改心したわけじゃなくて、これまでずっと向き合うのが恐くて見ないふりをしていただけで、自分の心の弱い部分に気づいていたし克服したいとも悩んでいたんだろうというふうに想像できました。
最後の緋のマントの意味は未だによく分からなくていろいろ調べてみたんですけど、一番しっくりきたのは照れ隠し説かな。
「万歳、王様万歳」で終わってしまったら、さすがにピュアすぎですもんね。
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