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2020年10月04日

死なないために大切なこと

セーラー服 水彩風72.jpg

父が亡くなってからは、毎週、実家に泊まりに帰っている。

母は家の片づけに夢中で、

納戸に長い間眠っていた私のモノたちを指して

「いらんもんは捨ててや!」と言い放つ。

実家に20年以上眠っているモノたちなんか

必要のない「いらんもん」であるはずなので

「全部いらん!」と言いつつ、

確かめてみたら…

どうしても捨てられないモノで溢れていた。


それは、私が過去に描きまくっていた「マンガ」。


高校生のときから投稿をはじめていたので

その投稿作の原稿とか、書き損じた原稿、

ノートに描いた漫画、

練習のために模写をした原稿、

デビューしてからの原稿も出てきた。


全部、「いらんもん」である。

なのに、捨てられない!!


へたくそだし恥ずかしいから、直視できない。

でも、捨てられない!!


おびただしい数の漫画とか絵とか。

この家で暮らしていたのは18歳から24歳までのはず。

たった7年だったのに、私はこんなにも描いていたのか!

と、驚いた。

忘れていたけど、毎日、毎日、描いていた。

毎日創作していた。

週に5日はアルバイトに行っていたと思うけど

それ以外はずっと描いていた。



あーあ、こんなに、描いちゃって!

と、昔の自分に呆れるような、褒めてあげたいような、

「がんばれ!」と応援したくなるような…

なんかしみじみしてしまったのだ。




「漫画家になりたい」


という気持ちで描いていたとは、思う。

でもそれよりも、

描きたいから描くという気持ちの方が強かったと思う。


雑誌に投稿しても、批評用紙には

「もっと練習して」とか

「もっと確実な線を」とか

毎回書かれてる(笑)

うまく描こうという気持ちはなかったように思う。


描かなければ死んでしまう

という気持ちがあったように思う。



私の家はソーカ学会で、

私はその活動がめっちゃ苦痛だったんだけど、

無理矢理しなくてはいけなかった。


ソーカの活動はめっちゃ面倒で、

会合が多いし、幹部の話を聞かなきゃいけないし

苦痛で仕方なかった。


なんでソーカ学会の活動がイヤだったのかというと、

自分の意見が言えないから。

自分で考えようとすると上の人から

注意(指導)を受けなきゃいけないから。

人自体は、悪い人はいないし、むしろいい人の方が多かったので

それが余計罪悪感を呼んで…


だから私は、ソーカの会合に出なくてもいいように

「めっちゃ忙しい漫画家にならなければ」と焦っていた。

当時抱いていた漫画家のイメージは、

「毎日漫画を描ける」

「締め切りに間に合うように徹夜もする」

だったので、

仕事を言い訳に会合をサボれると思ったからだ。



私にとって、流されるまま

ソーカ学会の活動に参加することは「死」だ。



でも、本当に、

悪い人はいないのだ。

だからこそ、石原さとみも同じソーカ

の人と結婚を決めたのだろうし、

それはとても幸せなことのように思う。


ソーカの人たちは、みんないい人だし、みんな幸せそうだ。

でも、私はその中にいて

幸せではなかったし、

別にいじめられていたわけでもないけど

辛かった。


それはなぜだろう?

と考えてみると、

やっぱり

「自分の考えで意見を言ってはいけない」(何が正しいかは幹部が決める)

ことと、


「理解してもらえない」ということだったように思う。


ソーカの人たちはみんなソーカの活動に誇りをもって

嬉しそうにやっているみたいで、

私が活動に対して消極的になると

「なぜなの?」「どうしてなの?」と理解はしてくれなかった。



どうしても人は人に「理解してほしい」と願ってしまう。

それが叶わないときに人は「死」がよぎるのかもしれない。



でも、自分以外の人はみんな他人なので、

すべてを理解なんてしてもらえるはずがない。



それは私がHSP気質だからなのだろうけど。

HSPは集団が苦手なのだ。


(HSPは他人の感情を敏感に感じ取ってしまうため

集団の中ではさまざまな人の感情に押しつぶされそうになってしまう)



私があの家でひたすらマンガを描きまくっていた理由は


「理解してほしい」という気持ちだったのかもしれない。


「好きだから」だけでは

こんなにも描けない。


昔の私が描いていた漫画は

自分でいうものなんだけど…


絵はもちろんヘタなんだけど

めっちゃ感情が溢れ出ていて

胸がきゅうっとなる。


デビューしてからは

ただ掲載を勝ち取るため…だけになってしまったけど


もともとの私の漫画は

今よりももっと繊細で、

もっと答えの出ない曖昧な物語であって

なんというか…不思議なおもしろさがあった。





最近、芸能人の自殺が続いてしまって、

「仕事もプライベートも順調なのに、なぜ」という意見が目立つけど

一番つらいのは

「なぜなの」「どうしてなの」と

聞かれることなのではないだろうか。


「なぜなの」「どうしてなの」

と聞かれるということは

理解されていないからだ。



「仕事がうまくいけば嬉しいはず」とか

「子どもができたら幸せなはず」とか

「ソーカの活動をしていたら幸せになれるのに」とか


自分だけが感じるはずの感情を

勝手に他人に決めつけられること。

押し付けられること。


これはとてもつらい。


…つらい。



だから人は死なないためにも

「わかるわかる」が必要だ。




「わかってわかって」になってしまうと

ただのウザいかまってちゃんになるので…


伝わるものを描かなければいけない。

読む人が「おもしろい」と感じてもらう物語を作ることは

とても大事だ(と思う)。



だから私は漫画を描く。


死なないためにも、漫画を描く。




























































posted by 蒼乃シュウ at 15:58 | TrackBack(0) | 日記

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ティーンズラブを主に描いておりました。以前は本名でミステリーや普通の少女漫画も描いていました。 Twitterは @pinokodoaonoshu ぴのこ堂
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