横浜ベイシェラトン ホテルのナイトスイーツブッフェ
『Sweets Parade〜マリーアントワネット〜』F
『Sweets Parade〜マリーアントワネット〜』F
デザート紹介
ラレーヌ
薔薇の紅茶を使い、薔薇を模った氷を浮かべたノンアルコールカクテルです。見た目もとても素敵だし味も美味しかったです。
マリーアントワネットの一生Y
マリーアントワネットは、1793年10月16日にギロチンで処刑されました。38歳の若さです。まだまだこれから人生があったでしょう、なにより子供達の成長をもっともっとみたかったでしょう・・・でも最後まで彼女は王妃の品格を保ったまま、死にました。革命、牢獄、過酷な環境の中、マリーの美貌は失せてしまいましたが、品格だけは失せませんでした。これは人は顔の美醜ではなく、その内からでる品格が本当の美しさなんだとおもいましたね。特に今の時代、整形すれば美人になれる。でも育ちの悪さは出てしまいます。幸いまわりの友人にはいませんが・・・電車や街ではみかけます。見た目は一応美人だけど、しゃべり方がすごく下品だったり、食べ方が汚かったり、電車で堂々と化粧をしたり、そんな若い女性がたっくさんいます。この前は電車で、2人で4席とり、大声でゲラゲラ笑い、化粧をしながら、人の悪口をいっている女子高生をみましたが、若いのにもったいないな、言葉も汚いし、性悪な性格の品格の無さがモロバレでした。若いのにすっごいブスにみえました。いくら電車が空いていても公共の場。化粧するより、もっと学ぶべきことがあるんじゃないかな〜と残念に思いました。そんな平和ボケしたJKがいる現在ですが、マリーアントワネットの時代は、人の悪意や濡れ衣や運の悪さで、一般市民も、王族も、断頭台にあがる羽目になる、そんな恐怖が支配していた時代でした。
さて、マリーアントワネットの処刑前日。
死刑の判決を受けて独房に戻ったときに、義妹エリザベートに手紙を書きました。この義妹エリザベートは、マリーの夫である国王ルイ16世の妹で、国王夫妻をとっても慕っていたのです。慈善活動に熱心で、慎み深い、天使のような、聖母のような、心の優しい王の妹。一生独身で、国王夫妻の側にいたいと願い、そして、なんと死ぬのも一緒・・・彼女は逃げもせず、最後まで、マリーの側にいたのでした。とはいっても、最後は独房をバラバラにされてしまったけれど。そのエリザベートも全くの無罪なのに、処刑されてしまうんですよね。そんな時代でした・・・
マリーアントワネットが書いた手紙の一文には、『妹よ、あなたに最後の手紙を書かなければいけません。私は判決を受けたところです。しかし恥ずべき死刑の判決ではありません。あなたの兄上に会いに行くようにとの判決をくだされたのです。』
一文だけでも品がある健気な手紙だとわかりますね。
しかし長い告別の手紙を義妹エリザベートが目にすることはありませんでした涙。
どこまで報われないんだ、マリーアントワネット!!
さて、遺書を書き終えた彼女は、朝食についての希望を部屋係から聞かれると「何もいりません。全て終わりました」と言いました。そして白衣に白い帽子を身に着けました。その後、神に祈りを捧げたそうです。
斬首日当日、午前10時頃、刑場へ行く準備をするために、独房に判事と死刑執行人のサンソンがやってきて、マリーの手を後ろに縛りまました。そして、断頭台の刃が妨げられないよう、髪の毛も乱暴に短く切られました・・・
また、夫ルイ16世が刑場に向うときは立派な馬車で向ったのに対し、マリーが乗った馬車は普通の罪人にも使われる荷馬車でした。それほどまでに、国民はマリーを憎んでいたのでした。馬車はゆっくりと進み、セーヌ川を渡り、断頭台のある革命広場(現コンコルド広場)に到着。その間、なんとマリーは、背筋をぐっと伸ばして真っ直ぐ前を見据えました。かつての美貌はなく、充血した目、青白い顔。そして乱暴に切られた白髪が帽子から出ていました。しかし、それでもマリーには王妃の品格があったのでした。
そしてギロチン台へ・・・
途中で、サンソンの足を間違えて踏んでしまい、マリーは、「お赦しくださいね、ムッシュウ。わざとではありませんのよ。でも貴方の靴が汚れなくて良かったわ。」と言ったそうです。それが最後の言葉だったそうです。
死ぬ最後まで品格を保ち、気遣いをみせたマリー・・・
12時15分、ギロチンが下ろされ刑が執行された。処刑された彼女を見て群衆は「共和国万歳!」と叫び続けたといいます・・・
マリーアントワネットの一生、いかがでしたか。個人的に運が悪い悲劇の王妃という認識です。
当時、民衆は彼女は悪と認識していましたが、実際は家族思いで心優しい女性だったのではないでしょうか・・・
次の記事からは、そんなマリーアントワネットをテーマにしたブッフェ、私が食べたものを紹介します。
マリーアントワネットが好きそうなデザート。
彼女にも華やかな時代がありました。けれど、14,15で祖国から離れて、とついできたのだから、ホームシックもあったでしょう。でも泣いて欝になるより、前を向きに、元気に振る舞い、趣味のダンスや舞踏会やお茶会に没頭して、華やかに生きた。かっこいいし、彼女なりのストレスや不安の解消方法だったのではないでしょうか?
そんな彼女を誰が攻めますか。それに、実際に今の調査では、財政を危うくしていたのは、ルイ16世の祖父の時代からでしたし、マリーにいたっては、節約はしなかったものの(節約の仕方がわからないんじゃないかな?)、凄い浪費はしていなかったとの事。叩かれたネタは、マリーを蹴落とすためのデマが大半だったことでした。
確かに、王妃としてはダメな部分もあったでしょう。
でも、人間は誰もが完璧ではありません。それでも彼女はいっぱい頑張ったのではないかな?
そんなマリー・アントワネットに乾杯。
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