横浜ベイシェラトン ホテルのナイトスイーツブッフェ
『Sweets Parade〜マリーアントワネット〜』E
『Sweets Parade〜マリーアントワネット〜』E
デザート紹介
シャルロットフレーズ
ピンク色のチョコレートでコーティングした苺のムースとバニラのババロアです。 たくさんのベリーをあしらい艶やかで華やかなデコレーションで、可愛らしく華やかで明るいマリーアントワネットを表していますね。元々、ババロアは、バヴァロアといい、はフランス語で、バイエルンの・・・を意味する言葉です。バイエルン王国の貴族のためにシェフが考案した物とも、1815年にアントナン・カレームが、バヴァリア地方にあった温かい飲み物を元に考案したとも言われています。現在、日本でもどこでも、簡単に子供でも、シンプルなババロアが作れますが、今回のブッフェで出されたのは応用版ですね。
とっても素敵。見た目も味も美味しかった!
マリーアントワネットの一生X
数奇な運命の悲劇のマリーアントワネット。彼女には様々な逸話がありますが、有名なのが首飾り事件。
マリーアントワネット王妃は、根は悪くはないのですが、フランス王妃になった時、若すぎて、政治にもとても疎い女性でした。お姫様として甘やかされて育ってきたのもあるでしょう。何故、民衆がそれほどまでに自分に対して反感を持っているのか、どうしてここまで中傷されるのか、彼女にはわからなかったのです。どんなに民衆の生活に目を向けても、彼女は民衆の怒りがわからなかった。民衆も彼女がわからなかった、とにかく批判したかった。まあ、レベルの違う人間の事を理解するのは難しいですよね。今の時代でもそうです。私も同じ人間でも全く理解できない層がいます。マリーの場合、彼女自身がどうこうする事で、何かが変わるわけでもなかったけれど・・・彼女が、少しでも浪費を抑えていれば、悲劇はおこらなかったとは決して思いません。だって、国民はマリーを責めましたが、現代の歴史家達の調査によると、実際に金を浪費しまくって、財政を危うくしていたのは、ルイ16世の祖父の時代だったそうです。決して、マリー一人の責任ではありませんでした。さて、マリーは、人工的に田舎を作り、ままごと遊びのような事をしていました。しかし、パンを買う金どころか、パンを作る材料すらないその時代、マリーのままごとは、さらに民衆の反感を買いました。そんな中、あの有名な首飾り事件が起きてしまいます。自称、ヴァロア王家の血を引くラ・モット伯爵夫人を名乗る強欲で嘘が得意な詐欺師が起こした詐欺事件!映画にもなりましたね。
首飾り事件の前兆。
宝石工バッサンジュと共に宝石商を営んでいたベーマーという男がいました。べーマーは王室に出入りする宮廷御用達宝石商でした。そう彼こそが、マリーアントワネットに、様々な高価な宝石を売っていた人物です。強欲なベーマーにとってフランス王家は金づるでした。彼は、マリーアントワネットだけではなく、マリーの夫ルイ16世の祖父であるルイ15世やその寵姫といわれたデュバリーにも高価な宝石を売っていました。デュバリーは、元は娼婦です。しかし、国王の公妾になった為に、宮殿では偉そうな態度をとっていたそう。身の程知らずの強欲で性悪な女でした。マリーアントワネットも嫌っていたそうです。ある日、ベーマーは、実際は国の財政を傾けた責任者でもある無類の女好きルイ15世と、元々は娼婦の癖にプライドだけは高いデュバリーが、購入してくれることを予想して、1774年頃から、豪華な首飾りの製作を始めていました。なんて勝手な男だ!!しかし、買ってくれることを予想していたデュバリーが、ルイ15世がなくなったために没落。デュバリーに媚を売っていた貴族達も、宮殿を追い出された彼女を、売笑婦と笑いました。でも甘いですね。断頭台にあがればよかったのに。宮殿を去っただけなんて、幸せですね。首飾り以前に、その前も国の国税を使ったんだから、断頭台にあがるべきはこの売笑婦でしょう。しかも首飾りの、その矛先は、マリーアントワネットへと向けられることになってしまいます。本当に運が悪い。その首飾りは、ダイヤが540粒使われていて、ベーマーが1粒1粒を探し求め、バッサンジュが一生懸命に研磨して細工を施した、とんでもない値打ちものだったのです!!既にほぼ完成していて、現在の金額で数十億円。この首飾りを集めるために、莫大な借金をしていたバーマー。そして、そんな首飾りを買えるのは、マリー・アントワネットしかいない!!そうベーマーは思いついたのでした。これが首飾り事件の前兆です。
首飾り事件の首謀者、それは自称ラ・モット伯爵夫人。マリーアントワネットが首飾りを欲しがっているとロアン枢機卿という者に吹き込んだのがこの自称ラ・モット伯爵夫人です。その頃、ロアン枢機卿はなんとかマリー・アントワネットに取り入ろうとしていたのでした。しかし、彼はマリーに嫌われていました笑。ラ・モット伯爵夫人は、宝石商べーマーが王妃に首飾りを売りたがっているのを知り、ロアン枢機卿を利用しようと企んだのです。そして、ロアンに首飾りのことを持ちかけました。しかし、ロアンもすぐにラ・モット伯爵夫人を信じませんでした。彼は直接王妃と会いたいと言いました。そこでラ・モット伯爵夫人は、月明かりの中、マリー・アントワネットによく似た娼婦を用意したのです。ロアンは、それをマリーアントワネット王妃だと思い込んだのでした。王妃が自分のような者にまで会ってくれたと、そして、王妃の欲しがっている首飾りを献上しなければいけないと、そう考えたロアンは、ルイ16世に事後承認させることにし、ラ・モット伯爵夫人の用意した偽の首飾りを購入する旨の書類を用意してしまったのでした。そして、ロアンから宝石商へと書類が渡り、本物の首飾りは宝石商からロアンへ渡りました。そして、お察しの通り、本物の首飾りはロアンからラ・モット伯爵夫人へ。その後、夫人は、首飾りをバラバラにされてフランスやイギリス各地に売りさばきました。
ついに事件を耳にしたマリー・アントワネット。もちろん激怒したそうです。ロアンは宮廷の鏡の間で逮捕され、裁判にかけられることになりました。しかし、民衆は、ロアンの味方。悪いのは王妃だと噂されました。最終的に、彼が無実で、ラ・モット伯爵婦人が首謀者であるということをつきとめたわけですが・・・マリー・アントワネットは悔しさで泣き崩れました。結果を不服としたルイ16世は、裁判官を解雇、ロアンを修道院に隠居させてしまいます。そして、国王夫婦は、民衆だけではなく、貴族からの支持も失うことになってしまいました。
さて、ラ・モットの結末ですが、事件関係者と共に捕らえられたラ・モットは、監獄に送られました。しかし、彼女は脱獄し、ロンドンに亡命して回想録を何冊も出したそうです。その内容は、ひどいもので、自分は被害者で、事件の責任は全てマリーにあるとしたもの。人々は、ラ・モットに同情的で、マリーを中傷。王家への批判は高まっていきます・・・
うーん、なんだかな。マリーとルイ16世は運が悪いとしかいいようがないし、まわりにも恵まれなかったのですね。国民も貧しさゆえから、王家への根拠のない中傷や批判をする。貧しいと心までもが腐っていく・・・最悪な環境ですね。この首飾り事件をきに、どんどんマリーアントワネットとその一家の運命は暗黒に染まっていきました・・・
現在、特に日本では、マリーアントワネットっていうと贅沢な華やかなイメージがあり、よく可愛い女性向けデザートブッフェのテーマにされていますが、実際に色々な歴史的文献を読んでみると、彼女の後半人生は、白や赤やピンク色とはいえない、むしろ紫や黒や灰色に近いでしょうね・・・
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