横浜ベイシェラトン ホテルのナイトスイーツブッフェ
『Sweets Parade〜マリーアントワネット〜』D
『Sweets Parade〜マリーアントワネット〜』D
デザート紹介
薔薇風味のショートケーキ
マリーアントワネットのドレスに見立てた苺のショートケーキです。
私の大好きなショートケーキ!!こちらのケーキは、シルバーのアラザンと薔薇の花びらが、豪華で煌びやかなドレスを演出します。デザインや色合いが、マリーアントワネットっぽいですね。
マリーアントワネットの一生★W
この記事では、王妃マリーアントワネットとルイ16世の子供達について。ルイ16世が、マリー・アントワネットと結婚したのは、1770年。しかし、結婚後8年間、二人の間に子は出来なかったです。それもそうですね。当時、マリーはまだ14、15歳でしたから。マリーも、まだまだ子供でしたし、夫の方もオタク気質だったのか、気恥ずかしさからか、狩猟や錠前づくりに没頭していました。まだまだ子供だったマリーは遊びまくり、衣装や賭博などで桁外れな浪費をしたり、お気に入りの廷臣ばかりを寵愛して、体制崩壊に至る火種をまいたと言われています。しかし、国民はマリーを責めましたが、現代の歴史家達の調査によると、実際に金を浪費しまくって、財政を危うくしていたのは、ルイ16世の祖父の時代からで、浮気性の愛人つくりまくりの祖父の責任でもありました。決して、マリー一人の責任ではありませんでした。ぶっちゃけ、断頭台にあがり不幸な目にあうべきは、マリーではなく、ルイ16世の祖父が、甘やかした下品で汚らしい娼婦とかの愛人達だっつーの!!なのに責任もない関係ないマリーの子供達までもが不幸な運命に・・・
親世代や祖父世代の借金って最悪ですね。正妻を大事にしない人のはもちろん、子孫や国に借金を残す人間はどんなに国民から愛されても太陽王だのなんだのいわれても、やっぱり最悪です。本当に国民の為をおもっているのなら、そんな事をしない。さて、そんな子供達ですが、マリーとルイ16世の間には4人の子どもが生まれています。
第1子は、王女マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス。
(1778年12月19日〜1851年10月19日)
マリーアントワネットが、23歳頃の子供ですね・・・フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの長女です。
やっと子どもが生まれたということで、落ちかけていた王妃の人気も少し復活したそうです。彼女は不幸な悲劇の運命を生き抜き、ルイ16世とマリー・アントワネットの子女の中で唯一天寿を全うしたそうです・・・それでも、大事な両親や弟たちが死んでいくのをみるなんて悲惨すぎて、生き残ったからこその苦痛もあると思います。そうおもうと可哀想ですね。
第2子は、王太子ルイ=ジョゼフ・ド・フランス。
(1781年10月22日 - 1789年6月4日)
ようやくできた未来の王となるはずの子供!マリーアントワネットが、26歳頃の子供ですね・・・フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの長男です。1789年、まさに革命が勃発したその年に早世。わずか8歳。脊椎カリエスを併発した肺結核でした。ルイ=ジョゼフ王子の結核は、乳母のジュヌヴィエーヴ・ポワトリンヌから移されたといわれています。
病弱に生まれたルイ=ジョゼフは、免疫力が弱かったのでしょうね。昔の時代は日本でも結核にかんしては無知でしたね。江戸時代後期になっても、隔離するような事はなかったみたい・・・免疫力が強かったからうつらないのかなぁ。そういう問題でもないと思うけどな。しかし、あの高杉晋作も結核で志半ばでお亡くなりになりましたが看病した人は長生き・・・笑。さて、ルイ=ジョゼフですが、彼は驚くほどの賢い子供であったと同時代の人々は記しています・・・若くして亡くなるなんて本当に可哀想。幼い子供の死はいつの時代でも悲しい。しかし、この王子の場合は、その時に病気で亡くなったからこそ、あとからおきるさらなる残酷な運命をみなくてすんだ・・・そういう意味では、次男より良かったのかもしれないです。それでも子を失った王と王妃マリーの事を思うと、やっぱり辛い。しかも革命がおきている・・・ここから、フランス王家の運命はどんどん残酷な方向に・・・
第3子は、王太子ルイ=シャルル。ルイ17世。
(1785年3月27日 - 1795年6月8日)
第2王子ルイ・シャルル。夭折した兄に代わって王太子となりますが、一番の悲劇の王子でしょう。革命の渦に飲まれ不幸な一生を背負うことに。幼い彼は何も悪くないのに!!!彼は、両親とともにタンプルの牢獄に幽閉され、父ルイ16世の処刑に伴い、ルイ17世となります。しかし間もなく母からも引き離され、1795年、ここでは書ききれないほどの劣悪な環境に置かれ、精神的に身体的に虐待され、そして病死したとされています、しかし、このルイ17世、実はタンプル塔から救い出されて生き延びたという説が当時からありました。ロストプリンス・・・ミステリー。もしそうなら、ちょっと良いななんて私も幼い頃に思っていました。「わたしがルイ17世だ」と名乗り出てくる輩がたくさんいたそうです。しかし姉のマリー・テレーズは、その誰にも会おうとはしなかったといいます。そんなミステリーも2000年で終わり。2000年になってDNA鑑定の結果が公表され、タンプル塔で死んだ少年はマリー・アントワネットの子に間違いないと結論づけられたそうです。うーん、本当かなぁ?ちょっとまだ信じたくない。私なんかは、まだルイ17世にはどこかで生きていて欲しいと思っていますね。報道されているニュース全てが真実とは限らないですからね。一般人に報道されるニュースを100%信じるほど私は純粋でも愚直でもない。子孫が生き残ってて、静かに暮らしたいから死んだ事にしてくれってのもあるかもしれないし、実はどこかの国の王族と結婚していて国に迷惑かかるから死んだ事にした方がいいのかもしれないし、まぁ、なんであれ死んだ事にした方が都合がいいのかもしれないし、100%の真相はわかりません。この世界の情報は一般人に報道される前に、世界の支配者達が操作できますからね・・・と、子孫がまだ生きてたらいいな〜と私は思っています。
第4子は、王女マリー・ソフィー・ベアトリス
(1786年−1787年)
マリーアントワネットにはもう一人子供がいました。詳しくはわかりませんが、生まれてすぐ亡くなった?1歳になる前に亡くなったといわれています。
マリーアントワネットの4人の子供達・・・病気などで若くして亡くなったのもとても可哀想ですが、残酷な運命に抗う術もなく都合の良い大人たちによって散々な目にあった長女や次男の事を思うと、王家の子供達ってやっぱり大変なんだなーと、凡人にはわからないような背負うべき運命があるんだろうなーと。そして自分は、平和な時代に、平和な国に、決して有名ではないけど一般の少しだけ裕福な家庭に生まれてきた自分は幸せなんだなーと感謝しています。私だけではなく、先進国の中流家庭というだけで、恵まれているでしょう。というか、日本人の子供って恵まれてますよ。恵まれすぎだし、今の小学生とか親から甘やかされすぎと思う事も多々あります。多少家庭や学校や仕事で嫌な事があっても乗り切ろう、すぐ自殺とか考えちゃダメだし、昔の時代の子供達とか、貧しい国の子供達や、そういう事を考えると、生きたくても生きかれなかった子供達がたくさんいる・・・日本人はもっと心を強くもって、少しは愛国心をもって、国の為に、親や家族の為に、そして自分と未来の子孫の為に、生きてほしいですね。
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